重層的非決定?

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2005年01月02日

■ 謝罪

一応前に話題にしたので島田紳助さんについて。

といっても「踊る大捜査線」見おわって、チャンネル回したら「行列のできる法律相談所」に引っかかって、ついでだからと見ていただけで、それ自体としては実はあまり関心が無い。視聴者に向けての謝罪にさして意味を感じていないので。

まあ、タレントのADやらマネージャやらに対する暴力を肯定的にネタにするような風潮に歯止めがかかれば、私はそれ以上どうこう言うものは無い。

謝罪自体は、これ以上もこれ以下もない、というもので、といっても批判の余地は多分あると思うし、本当に本質的な部分での反省にいたったのか、と仮に問えば、そうではないだろう、と思うが、一般論として本質的な反省・謝罪なんて無理なんだよね。少なくともテレビカメラを通じて、語る形式では無理。文章で、しかも謝罪文とかではなく、エッセイという形式で、己の内面を自ら解きほぐす(もちろんその際には単に謝罪するだけではなくて、逆に己の正当な部分はどこまでもそう主張しなければ意味がない)、とかそういうことをやれば、かなりのものになるだろうが、そこまでやるべきか、というとそうは思わない。少なくとも他者から要求されてできる性質のものではないわけで。

だから、正直言って安倍なつみさんの復帰も気が重い。島田紳助さん以上に本質的な謝罪なんて無理だろう。スタッフから「悪いことだった」と教えられたからそう認識はしているだろうが、理解なんて全然出来ていないと思う。島田紳助さんは、まあ、割とどうでもいいんで、神妙な顔を「そら、そういう顔をするしかないわな」とスルーできるけれど、安倍なつみさんが神妙な顔をして見せても、きっとうそ臭く見えてしまうだろう。そうしてそういう嘘をついていると見えてしまう顔を彼女がしているのを見るのは忍びない。

まあ島田紳助さんが、「司会者」でありながら、あれだけきちんと演技して見せたのだから、安倍さんは「女優」としてしっかりやってくれ、というぐらいだろうか。

投稿者 althusser : 2005年01月02日 00:00

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