重層的非決定?

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2006年06月24日

■ 反省

いやはや、参りました。

某キーワードに関して編集に関わった方をまとめて批判しましたが、その中で最後に議論をしていた方はとてもまともな主張をなさっていた、ということに最後に「分かった」。件のキーワードの存続に関しては私は未だ問題意識を持っていますが、とりあえず、その削除待った!、という主張自体はもっと慎重に傾聴するべきでした。

というわけでtriptych1989さんには数々の失礼な対応をしたことを深くお詫び申し上げます。

キーワード全体に対する私の主張自体はまた改めてまとめたいと思います。論点は「主観」と「客観」、「具体」と「抽象」そして立場の「一貫性」です。概略をいうと、キーワード編集(作成、削除を含む)に「客観」性を要求するのは違うのではないか、それらはそのキーワードの対象に関わるものたちの「主観」的な思いのもとになされてしかるべきものである、ただし、自分と同じレベルの主観を相手も持っている、それゆえ最低限の一貫性は保持しておかないと、自分にとって不快なものは削除するが、他人にとって不快なものの削除は許さない、ということを相互にやり合う、およそむちゃくちゃな「闘争」状態に入ってしまう。

ただキーワード削除基準が現状、人によって違っており、その部分での諍いが生じるのはどうにもやむを得ないところだと思います。つまり「お互い不快なものは極力削除してしまいましょう」という立場と「お互い不快なものであっても情報は極力残しましょう」という立場はいずれも双方とも一貫性を持っており、いずれが妥当とも言い難い訳です。

この両者の対立に対しては私も悩むところです。基本的には私は後者の立場ではあるのですが、しかし後者の立場を取るものには、しかしそれだけに絶対に忘れてはならない重要事項があると思っています。それはたとえ一人であっても、その言葉で深刻に傷を負うものがいるのであれば、それには最大限の配慮が必要である、ということです。もちろんこれもまだ非常に曖昧なものです。「深刻な傷」というもの自体が流動的なものであるからです。しかし大原則としてはこの事項を考慮に入れておかないと、一つ間違えれば、無神経なマジョリティによる集団いじめのような現象を生成する危険性が出てきてしまう。

それでは前者と後者の対立がなくなるではないか、というとそうではありません。上の留意事項は、たとえ一人でも当事者の深刻な告発は尊重せよ、ということを言っているのであるのに対して、前者(不快とおぼしき情報は極力削除)の主張はより抽象的なレベル/段階での判断を要求するものなのです。そしてその抽象的なレベルでの判断とは、しばしば「常識」を根拠とする。それでは逆に「たとえ一人」の深刻さを取り逃がす危険性をもってしまう、私はそのように考えているのです。

未だまとまっていませんが、また後で考えたいと思います。

投稿者 althusser : 2006年06月24日 00:00

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