重層的非決定?

« 口だけファシズム | メイン | 買え »

2005年09月02日

■ 雨 晴れ のち 鬱

結局看護学校の授業は、無理矢理躁状態になって、戦争責任問題やら教科書問題やらをしゃべり散らした。ま、授業の趣旨は私が勝手に決めてよいことになっている(のか?)ので問題なし、と。

授業の主な内容は、前に紹介した原爆開発に携わった科学者に私が扮し、学生さんからいろいろ追求させて、私がそれに回答するというもの。学生さんもそれなりに日本の被爆体験という「被害」体験には感情移入は出来るようで、いろいろ言ってくるが、私が扮する科学者の方が状況に対する情報量も多ければ、一応弁も立つので簡単に論破される。ちょっと学生さんを悔しがらせたところで、私の「詭弁」を解説する。ちょっと汚いやり方だが、きれい事を並べた(と学生さんが受け取る可能性のある)説明よりは効果的なように思う。そしてそのあたりから敷衍して、「戦争責任」一般の問題についてしゃべり散らす。

学生さんの戦争問題に関する関心はそれなりに高く、結構いろいろ質問してくる。特に靖国神社が、戦争被害者一般をまつっているものではない、というのは知らなかったようで、それなりにインパクトがあったようだ。

というわけで、躁鬱である。

投稿者 althusser : 2005年09月02日 00:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL: