重層的非決定?

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2006年02月23日

■ 追記3

ついでにこの手の削除合戦には必ず「キーワード削除反対論者」が一枚かんできてよけいに議論がおかしくなるのだが、実を言うと私はこの「キーワード削除反対論者」と近い思想(のようなもの)は持っている。「ゴミ」のような情報の中にたからものがある。それがネットのよいところだ。前にも引用したeulearさんの記述。それはべつとして... - キーワードの件などなど。 …續きを書いた。

マイナーな亊物をも流通させることができるのが電網の良點なのだといふことを忘れないはうがよい。

に対する共感も同じものである。その情報が存在することによって具体的に迷惑を被る状況が生じる*1、あるいはシステム上そうした「ゴミ」情報を抱える余裕がない、という場合を除いては情報は極力温存されるべきだ。それがこの社会の余裕というものだ。それを認めない「削除論者」の理想とするものとは根本的に違うようだ。

キーワード論議に関心のない人も多いと思うが、これは大げさに言えば社会論にも通ずる議論なのである。

*1:この問題はこの問題で非常に重要である。情報は単に垂れ流されればよい、というものではない、というのもまた改めて強調されるべきことだ

投稿者 althusser : 2006年02月23日 00:00

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