2006年06月15日
■ コミュニケーションを全力で拒絶するもの
「話せばわかる(はず)」という前提が実は一番暴力的なのだ。
話してもわからないことがある、システムというものはその可能性をどこかに含み込んでおくことによって、逆にその幅の広さを持つことも出来るものだ。
コミュニケーションを全力で拒絶しているものに「話し合いで解決」などというのは偽善にもならない。もしその対象に何かできることがあるとすれば、それはただその全力で拒絶する意志を作り上げたものが何であるのかを想像することだけである。そしてコミュニケーションを全力で拒絶するという態度は、「話し合いで解決」なる欺瞞への抵抗を含んでいるのではあるまいか。
いずれにせよ、コミュニケーションを全力で拒絶しているものへの最後になしうるコミュニケーションとは、拗くれた態度に執着するその主体を消去することだ。酷薄なようだが、しかし「執着」への固着からの解放してやるにはそれよりない。
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投稿者 althusser : 2006年06月15日 00:00
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