2005年09月14日
■ 無党派(*1)は馬鹿だ
選挙結果をふまえて、毎日新聞で高村薫が「無党派は馬鹿だ」という趣旨のことを書いている。いや、本当は「無党派は保守だ」という題名なのだが、でも内容は「馬鹿だ」と言いたげなのが丸出しという。
それ以外にも「識者」がそういう趣旨の発言を繰り返しているのに対する反発する主張をネットで読む。そりゃそうだわな。選挙結果という民意が結果として出ている、それを馬鹿扱いされるのは完全に有権者の選択を馬鹿にしている、おまえは何様だ、ということだ。
でもね、そこで怒ったらまさに「馬鹿」という批判が己に妥当してしまうのよ。今回の選挙結果を批判している人たちは個々の選択ではなく、その総和としての結果を「馬鹿」といっているわけ。たとえば堀江とかその辺のIT長者とかが規制緩和、郵政民営化、そこから流出するかも知れない大量の資金を当て込んで、自民党に投票することは全然「馬鹿」ではない。非常に合理的かつ正しい選択だ。そのことを否定する人は、たぶん、誰もいない。だから自分の選択に自信を持って、その結果により、株価も上がったし、結構なこと、と思っている人は「馬鹿」にいちいち反応する必要もない。
「馬鹿」なのは、民意という奴をむちゃくちゃにねじ曲げて、勝者と敗者を極端に分かつ小選挙区制という制度(そしてこの制度を推進した奴らは民主党に多くいる。こういうのを馬鹿というのだ)それ自体であり、改革か守旧かという単純二元論で政治を語ろうとするマスコミ(その主犯はテレビ朝日だ)であり、投票率を上げることだけを至上の価値であるとして、難しいことはさておきとにもかくにも「選挙に行こう」などとあおったマスコミであり、普段は政治にコミットしないということをなぜか誇らしく思っているくせに、マスコミにあおられて「難しいことはよくわからない」などと注釈をつけながら投票に行く「無党派」という馬鹿者である。
それから話は変わるが、自分はどこに投票したとかしゃべり散らすのも、どうかと思う。それは他者には語らないのが「秘密投票」の原則である。私はこれまで家族にもどこに投票したかを明示的にいったことはない(つもり)。いかにバレバレであっても、それは口にしないのが、お約束である。それが「原則」というものだ。自分で勝手にしゃべり散らす奴は、まあそれはそれでいいとして、他者にそれを要求する人って何なんだろうね。きっと「己の政治的立場を明確に」というような主張とごっちゃにしてしゃべっているのだろうけれど、「秘密投票」の原則を知らないか、「原則」の意義を理解していないのか、いずれにせよ、とても「はしたない」行為だ、というぐらいのことは今後は自覚するように。
*1(ここでいう「無党派」とは特定の支持政党を持たないということではなく、普段政治にコミットしないということを価値として考えている人間集団のことである)
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