2009年03月04日
■ 私はアイドルファンではない
芸能人のフットサルリーグ、そこに芸能人ではなかった学生運動部クラスの選手を一人コーチ役として投入する。もともと芸能人じゃない人がチームにいるじゃないかと、同じリーグのチームがプロレベルの選手をチーム入りさせる。そうして際限ない「補強」を各チームが行う。
越えてはいけない一線を越えたのは誰なのだろう。それともそんな「一線」なんてものは存在しないのか。
握手をネタにCDを複数枚買わせる商法を大々的に行う。それを見た別のアイドルグループがそれをさらに強化したネタでCDを大量枚購入させる。
越えてはいけない一線はあるのか、ないのか。
フットサルのたとえ話はは私の曖昧な記憶で書いたものなので、現実にあった状況を正確に表現できているわけではないので、あくまで一つの仮想例としてみてもらえれば。
別に明確なルールがあるわけでもないわけで、「一線」なんてものはなかった、というのが正しいのだろう。けれどもそういう状況を見て、引いてしまう心理というのがあるのもまた現実。ハロプロが及び腰にやった「手」が戯画的に拡大され、その負の部分が最大限に引き延ばされて、醜悪なものとして提示されてしまった、ということなのだろう。
ハロプロファン心理としては「おいおい、もうちょっと空気を読めよ」と言いたくもなるのだが、その不快感の源泉は自身の中にあるという。
AKB48の仕掛け人(?)秋元康がかつて作詞した曲に「なんてったってアイドル 」というのがある。アイドルという存在を徹底的に戯画化して好評を博した作品だ。もともとが美しい存在であるアイドル自身を戯画化しているうちは笑えた。しかし美しからぬアイドルファンを戯画化するのはいささか悪趣味が過ぎる。
かつて(私にとってそれなりに共感できる方向で)熱心なハロプロファンだった人がAKB48のCDを大量枚購入したという記事をブログで書いているのを読んで感じる何とも言えない乾いた感情というのも、私のハロプロを応援していた想いに対する、私自身が何故か必要とした正当化が、損なわれたという意識に由来するのだろうと思う。
それはハロプロ内で同じく握手会のために数十枚CDを買ったという購入報告を読んで感じる嫌な感情とも同じだし、ライブ会場で見かける「アイドルオタク」丸出しの衣装のファンを見る不快感とも重なるだろうし、同じくライブ会場で私の視線を直接遮るわけではない場所でサイリウムを振る客に対する不快感もそれに近いのかも知れない(ちょっと違うかも知れない)。
「私はいわゆるアイドルファンではない」。
購入記録。といっても一週間前の話だけれども。
- モーニング娘。「泣いちゃうかも」DVD。
- 前田有紀新曲「ケンチャナ」。
amazonによると「ケンチャナ」はハロプロエッグのユニット「しゅごキャラエッグ」の曲「しゅごしゅご!」と併わせて購入されているらしい。
そんな「いわゆるアイドルファンではない」人たちを引き裂きかねないファンクラブの分割。乾いた空気が流れている。
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