重層的非決定?

« 2008年08月 | メイン | 2008年10月 »

2008年09月29日

■ 鬼が笑う話II

今日(もう昨日だ)のラジオ公開録音でなっちこと安倍なつみが来年の仕事について話をしたらしい。

2006年白蛇伝、2007年連続ドラマ、2008年トゥーランドットと例年外向けの仕事が続いているので、来年も、と思ってきたが、どうやらそうなりそうで、大変に喜ばしい。ファン向けのコンサートとか新曲発売ももちろん大切だし、その質が年々上がっているのもありがたいことだが、それだけでは残念ながら量的には縮小モードに入ってしまう。

ただ少し気になるのはその内容。レポートする人によって微妙に表現がぶれる。

  • 来年新たに決まっている仕事がある。
  • 来年は仕事の上で新しいことにチャレンジする。

どちらでもいい話なのだが、前者ならこれまでもやってきたジャンルだけれども、新しい仕事が入った、ということになり、またミュージカルか何かに出るのかな、と想像される。一方後者ならこれまでやってきたこととは少し毛色が違う仕事ではないかと想像される。ただその場合、いったい何?となるわけだ。歌、ドラマ、舞台、一通りやってきた安倍さんにとってまだやっていないジャンルの仕事って何?

映画?考えられなくはないけれど、うーん。バラエティ?別にこれまでやってなかったわけでもないし、そんなに「チャレンジ」と言うほどの話でもないだろう。何か番組の司会?これも一応ハロモニの司会やってたこともあったしなあ。ということで、結論、わからん。

まあ、無難?に新しいミュージカル、というのがファンにとっても、安倍さんのキャリアにとってもいい話のような。

いずれにしても、安倍なつみの活動自体についてはこうして制作サイドからの評価をつないで仕事が入っていけば、ハロプロ・アップフロントの意向・思惑(「処女性」で商売したい?)に惑わされずにすむ可能性が高いので、それはのぞむべき方向というべきだろう。藤本美貴、松浦亜弥ほか、基本的にエルダークラブはすべてそのモードに入っているので、そのまままとめて「ハロプロ」から撤退していくのも悪くはないのか。

問題はベリキューにリソースを取られているのか何なのか、エルダー組(となぜかモーニング娘。)のCDリリースが極端に減らされていること。ハロプロから撤退すればそこも改善されるのなら、それこそ大歓迎なのだけれども。


だって売れてないからCDも出ないんでしょ?と口さがない人はいうかもしれないけれど、鈴木亜美なんてどれだけシングル出しているか(2007年5枚!今年もすでに2枚目リリース。アルバムも二年連続リリース)。売れ行き?語るに及ばず、ってAvexって意外といい会社だったのか。なんか拝金主義、ちょっとでも売れないと切り捨て、というイメージがあったけれど、そうでもないのだな。ハロプロ・アップフロントの方がよほどひどいな。ベリキューだって(Avex所属歌手と比べるまでもなく)全く売れているわけでもないのに、そっちばかりに曲を出させるなんて。

今年の異常ともいえるベリキュー偏重のCDリリースにはほとほと嫌気がさしているし、ハロプロ・アップフロントへの不信感も募りまくっているわけで、ハロプロ・アップフロントからの離脱、そしてAvexへの移籍を願う人が多かった後藤真希ファンの慧眼には頭を垂れるしかない(苦笑)。

2008年09月28日

■ ベストアルバム

なっちこと安倍なつみ、ベストアルバム12月10日発売。

なんで新曲発売直後のこの時期に?と思ったけれど、とりあえず12月3日発売の新曲は収録されていない模様。安心する。

そして収録曲の中になんとあの曲が。「鳴りやまないタンバリン」。多くは語りますまい。ようやく私の中で一区切りがつくだろうか。

なぜこの時期に?という疑問については、どうやら安倍さんだけでなく、他7タイトルが同時期に出るらしい。なぜこの時期?という問いかけは安倍なつみの活動に対してではなく、ハロプロ全体に対して向けられることになった。

まずは他の7タイトルの割り振り。趣旨からして、これまでにベストアルバムが出ていても、改めて出す、ということもあり得るだろう。ただし今更後藤真希をアップフロントから出す、ということはできるのか、やるだろうか。一応やらないだろうとして除外すると、

  • 松浦亜弥
  • 中澤裕子
  • メロン記念日
  • カントリー娘。
  • タンポポ
  • プッチモニ
  • ミニモニ。

モーニング娘。はいくら何でもベストを出したところだし、ここで他のハロプロと十把一絡げでだすものでもあるまい、と除外。というより何となく娘。にベリキューをあわせた「ワンダフルハーツ」組の話ではない気がする。美勇伝もベストは最近出したばかりなのでここでは除外かな。前田有紀は、どうなんでしょ。

上記予想通りだとすると、いろいろハロプロ年長組「エルダークラブ」の一区切り、という感じがありありとして、まあいっか、という気持ちと今のハロプロのあり方に対する疎外感と、両方の気持ちがない交ぜになってくる。

正直ハロプロというくくりに対してはそれなりに心を決めた部分もある。ベリキューエッグもそれなりの年齢になったら(私が「推し」出したのはたとえば高橋愛18-19歳の時、松浦亜弥19-20歳の時、など)、とも思わないでもなかったけれど、その必要もなさそうだ。


あろう事か藤本美貴を素で忘れていた。となると

  • 松浦亜弥
  • 中澤裕子
  • 藤本美貴
  • メロン記念日

が確定か。そうなるとあと3グループ。

可能性1
やっぱりワンダ3組(モーニング娘。、Berryz工房、℃-ute)。
可能性2
懐かしのモーニング娘。派生グループ(ミニモニ。、プッチモニ、タンポポ)
可能性3
エルダー総決算(前田有紀、音楽ガッタス、美勇伝)
可能性4
変則娘。メンバーベスト(石川梨華(タンポポ、カントリー娘。含む)、吉澤ひとみ(プッチモニ、音楽ガッタス含む)、飯田圭織(旧タンポポ含む))

さあ、どれだ!

■ モーニング娘。コンサート千秋楽公演チケット

モーニング娘。2008秋コンサート開始。

初日昼公演で高橋愛が泣いた、とかいうレポートを読むと胸が騒ぐ。そろそろ卒業、そういう覚悟のようなものが一方でできつつ、まだそのときを迎えたくない、という気持ちも強く。安倍なつみの時はそれなりに待ち望んでいたのだけれど。

もっとも愛ちゃんが泣くというのは大して意味がないことが多いらしい。田中れいな曰く「えっ?!ここで(゜o゜ってところで泣いてる」らしいので。

セットリストは想像していたよりはそれなりによさげ。ただ未発表曲というのはやはりよくわからない。当然オリジナルアルバム用に作っていたものだろうと思えるのだが、なぜそれが未だに世に出ていないのか。つんく♂Pと事務所との思いに何かずれがあるのか。

とりあえず私にとって最初期8人と並んで歴代最高のモーニング娘。(なのだ)、そのライブはみられるうちにみておきたい、と思って、チケットをあれこれ取る。ツアー序盤の名古屋2公演はすでに入手済み、ツアー最終大阪梅田芸術劇場2日公演、当初は比較的楽にとれるであろう初日分を昼夜2公演押さえてよしとするつもりだったが、つい欲が出て最終日千秋楽公演をねらう。先行申し込みはことごとく落選。振り替えで初日昼夜公演チケットがそろう。

そして今日、一般販売日。当初予定の名古屋2公演、大阪2公演を押さえてあるので、もういいか、とも思ったが、やはりとれるものなら、と千秋楽公演チケット取りにチャレンジ。

最終夜公演ファミリー席のチケット、とれてしまった。そうなると昼公演も。とれた。

ぴあの会員特別先行申し込みの電話受付では全然だめだったのに、一般販売だとあっさりとれる。いやあ、わたし電話は苦手だが、ネットは強いわ(苦笑)。もちろん件のチケット自体は即時予定枚数終了となりました。

よくやった。感動した!>自分。

2008年09月25日

■ キモヲタたちよ

いい話を書いた後で、ちょっと現場にいた*熱心な*ファン(モーヲタ)たちへ苦言を。

べつに亀井絵里・光井愛佳二人が歌っている「春 ビューティフル エブリディ」が流れたら大いに盛り上がって「ヲタ芸」するぐらいはまあ、わざわざごちゃごちゃは言いませんよ。でも特に背の高いおっさん、兄ちゃんたちよ、明らかに背の低い女の子たちが自分のすぐ後ろで必死で娘。たちを見ようとしていたら、場所をちょっとばかし譲ろうとかおもわんかね?譲るとまでは行かなくてもちょっと横に詰めるだけでもその子たちの視界が広がるのが明らかに分かるところでも、岩のように動かない。もうアホかと。あまりにあまりだからちょっと合図を送ったけれど基本無視。頭の中かち割って脳みその状態みてみたいわ。

私はどんどん譲ってずるずる後退したけれど、でも私より背の低い子たちが前に来たって、物理的距離がほんの1、2メートル離れるだけで、視界は大して変わらなかったぞ。そりゃそうでしょ。それに仮に私の視界がそれによって多少遮られたって、そんなことよりも学校帰りの女の子たちが娘。の姿を見て喜んでくれたらそのほうが嬉しいじゃん。それがファン心理ってものじゃないのかなあ。

モーヲタが「世間的」に結構馬鹿にされていて、それが服装だとかそういうところでされるのは何だかな、と思うこともあるけれど、本当はそういう見かけの問題じゃなくて、他者(同じ仲間でない、「一般人」)に対してのちょっとした配慮も出来ない輩のそうした精神のあり方が馬鹿にされる遠因となっているんじゃないか。だって背の低い女の子が必死にのぞき込むようにしている前で微動だにしないおっさんの姿、やっぱり普通に「キモ」かったもの。

■ 優しい空間

握手券付きCD発売開始15:00〜、光井愛佳ラジオ公開録音番組開始16:00〜、亀井絵里・光井愛佳握手会開始19:00〜、私の仕事が終わるのが16:40、そこから会場に行けるのが17:30すぎ。

握手券は望むまい、ラジオの段取りが分からないので公開録音が見られるかどうかは全く不明、握手会を見るだけの「参加」が可能かどうか、不明。

15:00過ぎに既にCD販売終了との情報が。それでもついでといえば本当についでなので、ダメ元で行ってみる。会場近くまで行くと人だかり。あっさり公開録音現場に出くわす。ギャラリー400人弱ぐらいだろうか。当然ブース越しだが、生亀生みっつぃ〜を見られる。ただし番組途中からなので、全然番組の流れが分からない。結構笑い声が起こっているが、あまりついて行けない。

でもそんなのはよいのだ。ラジオ公開録音は想像以上に長くて、途中休憩を挟みながらも1時間近く生亀生みっつぃ〜を堪能できた。想像していたよりずっとお得だった。

亀ちゃんは相変わらず「ぽけぽけぷ〜」で全身で「適当」な雰囲気が漂っているのはさすが。そこにみっつぃ〜がまったり関西弁で絡むものだから、何ともいえないぐだぐだな空気が流れる。ラジオの中身はよく分からないのに、これが妙に楽しい。

亀ちゃん、適当な雰囲気全開で、かつむちゃくちゃに可愛らしいのに、よく見ると(よく見なくても)これがとてつもなく美人さん。街で出会ったら亀ちゃんだと分からなくても振り返るレベル。逆に言うとよくこれだけの美人があれだけぐだぐだな空気を作れるな、と。

ギャラリーは結構若い女性も多くて、特に学校帰りの制服姿の女子中学生だか高校生だかが目につく。しかも単に「有名人」目当てだけでなくて、みっつぃ〜みっつぃ〜言っている子がいたりする。それとなく聞こえてくる話しぶりから、もしかするとみっつぃ〜の知り合いなのかも知れないとも思ったり、単に地元ということで(光井愛佳は滋賀県出身)応援しているだけかも知れないとも思う。いずれにせよ、その年代からはみっつぃ〜推しの雰囲気を漂わせている子が結構いた。

握手会。「握手したいな〜」という女の子たちの声。ギャラリーの数からしても希望者全員に握手件付きCD売ってもよかったように思う。なんでも300枚限定だったのだが、一人で複数枚買った馬鹿がいたとの情報も目にする。学校帰りの子たちの分は残しておけよ、おっさんたちよ。

そうした子たち、握手に群がる「キモヲタ」の姿をどう見るか、と思っていたが、数人の限度を超えた人に対しては「キモ」に近いことを言ってはいたが、案外それほど拒絶反応は見られなかった。結構優しいのね。そういうところも含めて、全体的にいい雰囲気のイベントでした。

握手券はもらい損ねたけれど、思っていたよりずっとお得だった。行ってよかった。

■ モーニング娘。が滋賀にやってきた

モーニング娘。(亀井絵里&光井愛佳) 9/25FM滋賀公開生放送、握手会イベントのお知らせ

ということでみっつぃと亀ちゃんが滋賀までくる、と。平日に滋賀って。でもちょうど私は滋賀でお仕事。15:00握手券尽きCD販売開始時間、16:00ラジオ公開生放送時間は完全に仕事中だが、握手会開始19:00には十分に行ける。そのときまでCDが残っているかどうかは不明だけれど。平日の滋賀で300人て多いのか少ないのか、見当もつかない。まあ握手会自体はどうでもいいけれど、生亀生みっつぃはちょっとみたいかも。

2008年09月24日

■ 希望への道

モーニング娘。がカバーする「ペッパー警部」だが、ファン界隈で多く語られているほど作品制作の部分においては「手抜き」だとは私は思っていない。確かにアレンジには私が期待した斬新さはなかったけれど、これはこれで聞いたときに「あり」だなと思ったわけで、ただそれを言語化する力は私にはない。というので力のある人に任せる。

鉄よりつよいもの。「ピリッと効いてる」

鉄よりつよいもの。「甘い甘いロマンスなの」

なるほどなあ、と私は思った。確かに曲のはじまりは明らかにオリジナルを彷彿させる古くさい感じなのに、いつの間にか娘。の曲として何の違和感も感じない。不思議だな、と思っていたのだが、このサイトさんの解説を読んでとても納得がいった。こういう分析をして、こういう文章を書ける人がまだハロプロ、娘。界隈にいるということはとても大きなことだ。

作品の仕上がりとしてはファンがモチベーションを下げ、購入をためらうようなものでは全くないはず、と私は思っているのだが、私の想像以上に「カバー」ということへの拒絶反応は強かったようだ。正直ちょっと狭量だな、と思う。

ただそれでもそういうあり得べき拒絶反応を和らげ、ファンのモチベーションをあげていく「説明」を事務所が全く出来なかったことがやはり問題なのだと思う。そして「この後」へ向けての信頼も全く得られていない。「今年はオリジナルシングルは一枚しかでないのか」。「このままカバー曲を連発していくのではないか」。そういう娘。ファンの不満・不安を払拭するストーリーを全く見せられていない。

今後少なくとも以下の3つのことをやらなければ、娘。ファンの多くが抱えた不安・不満を払拭するのは難しかろうと思う。

  • 今年中にもう一枚オリジナルシングルをリリースすること。
  • 年末年始にかけて、カバー曲をひっさげて歌謡曲番組への出演を積極的に行い、カバーシングル・アルバムを出した意義を示すこと。
  • 来年春ツアーまでにオリジナルアルバムをリリースすること。

そしてこの不安・不満が最後まで払拭されないと、本当にこのまま「戻ってこない」人たちが多数出てくるという確かな実感が私にはある。

■ 私の中のハロプロがなくなっていく

自分でも何に腹を立てているのか分からなくなってきたので、一度整理する。

今年私が購入した曲一覧。

  • 安倍なつみ&矢島舞美 16歳の恋なんて
  • 安倍なつみ&矢島舞美 私の恋人なのに
  • メロン記念日 カリスマ・綺麗(昨年発売のミニアルバムからのシングルカット)
  • メロン記念日 オンナザカリ
  • モーニング娘。 リゾナントブルー
  • モーニング娘。 その場面でびびっちゃいけないじゃん!
  • 藤本美貴 置き手紙
  • 藤本美貴 遠い恋人
  • 松浦亜弥 きづな(さるマイナーグループのカバー)
  • 松浦亜弥 ひとり(2006年アルバム曲の異版)
  • HighKing C/C
  • HighKing 記憶の迷路
  • モーニング娘。 ペッパー警部(カバー)
  • モーニング娘。 ロマンス(カバー)

今後の購入予定CD。

  • モーニング娘。 カバーアルバム(曲数不明)
  • 安倍なつみ 新曲(詳細不明)
  • 安倍なつみ ベストアルバム

例年ハロプロサイト界隈では「ハロプロ楽曲大賞」というものが行われている。私は投票はしたことがないのだけれど、結果などは閲覧している。最近は特に知らない曲が多くて疎外感を感じることも多いのだけれども、それでも昨年でいえば70曲ぐらいは購入曲があったりして、それなりに当事者意識は持ってみられていたわけだ。しかし今年はここまでで、そしておそらくこのまま年末まで、いったい何曲新しい曲が私のハロプロ曲コレクションに増えるというのだ?去年の70曲と比べて、いったい今年は何なのだ。

去年に比べて私が購入対象メンバーを意識的に減らしたわけではない。後藤真希がいないけれど、それはハロプロ内外にかかわらず曲をリリースしていないからだ。GAMはうやむやになってしまっている。モーニング娘。誕生10年記念隊はまあ仕方がなかろう。中澤裕子、前田有紀は今年はいまだリリースなし。

美勇伝を購入していないのは正直ごめんなさい。音楽ガッタスもしかり。確かにこの2ユニットの曲がないのは私の怠慢だとは思う。それでもハロプロに貢献してきたメジャーどころは(この2ユニットを除き)それなりに押さえているつもりなのだ。それでこの曲数。購入(予定)曲自体が少ない。その中でオリジナル曲の占める少なさ。

ベリキュー界隈・きらりんレボリューション?界隈を合わせればハロプロ楽曲はそれほど減っていないのかも知れない(分からない)。しかし私が見てきたハロプロを支えたグループ・メンバーの曲の減りようはどう考えても尋常ではない。ハロプロの柱だったはずのモーニング娘。を含めて、ここまでその存在感をなくしてしまっている。そしてこれがハロプロなのだという。

私にはこの状況を受け入れるのはとても難しい。

■ 何かがおかしい

どんどんいろいろなニュースが入る。仕事がはかどらない。

安倍なつみコンプリートベスト12月10日発売。

コンプリートベストってこの中に12月3日発売の最新シングルも含まれるのかい?

というか、そんなものを出すよりもオリジナルアルバムを出せよ、と。

モーニング娘。も結局秋のライブがあのような内容になったのはひとえにオリジナルアルバムが出ていないことに尽きる。考えてみれば、昨年最新アルバム曲をやり尽くして、今年シングル全集をやってしまったら、今回新たにやることがない、そうなればあのような内容にする以外にはない。

要するに問題は、いまハロプロ・アップフロントには極端に曲を作るパワーがなくなっているのではないか、と感じられてしまうことだ。モーニング娘。はオリジナルアルバムを1年半余りだしていない(し、今後半年近くは出せる見込みがあるようにも見えない)。安倍なつみもミニアルバムを昨年春に出したきり。松浦亜弥だって今年はカバー曲しか出さない(見通し)。メロン記念日も昨年発表のミニアルバムからのシングルカット。何かハロプロ・アップフロント全体(あるいはモーニング娘。+エルダ限定なのかもしれないが)でおかしなことになっているように感じられてならない。

もちろん安倍なつみがCDをリリースするという話なのだから、それ自体は否定すべき話ではない。というより、本来は歓迎・喝采すべき話なのだと思う。またモーニング娘。コンサートに関しても、普通に楽しみにすべき話であったのかもしれないとも思う。「へえ、どんなカバー曲をどんな風に娘。たちは表現してくれるのだろう」。「未発表曲!どんな曲があるのだろう。いい曲があればいいな」。

でもどうしても歓迎しがたいものが残ってしまうのは、単に私の気分の問題なのか、そういう雰囲気を醸し出す環境が客観的に存在しているのか。ずぶずぶの当事者の私にはそれが見えない。

2008年09月23日

■ ショック療法

なんだか「ペッパー警部」の売れ行きなんてどうでも良くなってきた。モーニング娘。の今後の活動?高橋愛ちゃんのドラマが楽しみ(はーと)。愛ちゃんきゃわわだしぃ、それでいいんじゃね?

■ コミュニケーション技術講座

「いい知らせが一つと悪い知らせが二つあるんだけれど、どっちを先に聞きたい?」

「うーん、怖いなあ。交互に聞くとするか」

「じゃ、悪い知らせから。『ペッパー警部』の売れ行きがあまり芳しくないかもしれない」

「うーむ。そうか。ファン向けじゃなくて一般向けの曲だったのに、発売前にテレビ出演とかなかったしなあ。ファンもここは支えてやらなければいけないと思ったんだが。まあ年末に向けて何か仕掛けていって、長期的に意味が出てくればいいんじゃない?」(はぁはぁ、何とか持ちこたえたぞ)

「じゃ、次いい知らせ。高橋愛に連続ドラマの主演が決まったんだよ」

「お、すげーじゃん。これはかなりいいニュースだ。いろいろ妄想も広がるなあ。一気に元気になれた気がするよ」

「それは良かった。じゃ、最後に悪い知らせ。秋のモーニング娘。コンサートの内容なんだけれど(かくかくしかじか)」

「・・・・・・」(ショックのあまり倒れる)

円滑なコミュニケーションのためのヒント

マイナスの内容を相手に伝えるときにはプラスの内容を前後に挟むようにしましょう。

「マイナスの内容の方が数が多いときにはどうすればいいんですか?」

■ 追悼コンサート

つんブロ♂芸能ニュース「モーニング娘。秋ライブ!」より。

で、ツアー内容ですが、
まあ、全部を伝えるわけには行きませんが、
今回は新曲ペッパー警部を筆頭に阿久悠先生のトリビュートカバー曲を数曲。

それと、なんとなんと、このツアー用のオリジナル未発表曲を
数曲持ち込み、みなさんを感動の渦に巻き込むつもりです!

ね、楽しみでしょ〜!

なんかあまり楽しみな感じでもなくなってきそうな。。。

いったいモーニング娘。とそのファンをどこに連れて行ってくださるのでしょうか。

「阿久悠先生のトリビュートカバー」は一般層に対する訴求という企画ものとしてはやりようによっては一定の価値があるとは思ったけれど、現モーニング娘。ファンが喜ぶようなものではないし、一般人がモーニング娘。コンサートに来たとしても、ライブで聞きたいのは(あるいは聞かせるべきなのは)娘。の曲でしょう。トリビュートアルバム収録曲なんてのはNHKあたりの歌謡曲番組に娘。をねじ込む道具たるべきであって、それ以上のものではない。

「ペッパー警部」のカバーが発表されたとき、否定的なことを言うファンが多かった。事務所が変に勘違いしないようにカバーじゃ駄目だということを事務所にわからせるためにも「ペッパー警部」は売れない方がいい、とまでいう人もいたりする。いや、それは違うでしょ、事務所だってそこはわかった上で戦略的にやっているのだろうし、ここはファンとしても何とか支えてやらなければ駄目でしょ、と思ってきたけれど、やっぱり事務所はわかってなかったのかもね。

何でわざわざモーニング娘。のコンサートに行って、シングルカットされた「ペッパー警部」はいいとしても、それ以外の懐メロを聴かされなきゃいけないのだ。安倍なつみとか藤本美貴がそういうのをやるのはある程度はかまわないけれど、モーニング娘。にファンが期待しているのはそういうものじゃないでしょう。

著名な曲をじっくり聞かせたいのなら生演奏で歌唱技術を堪能する、まったりしたライブにすべきだし、モーニング娘。のコンサートはそういうのではなくて、もっと華やかに娘。の世界を堪能するライブのはずだ。ちぐはぐ。どういうコンサートを作りたいのかが全然見えてこない。

あと「未発表曲を数曲」というのも微妙、というより問題外。未発表だけれど次にシングルとして発売します、という曲を披露するのならば、娘。の未来を先取りできた感じで、それはファンとして「共に歩める」。しかし、特に当てはないけれど、出来ちゃった曲があるからとりあえず披露します、なんてのは単に知らない曲を何の期待もときめきもなくただ聴かされるだけ。勘弁してください。

アイドルパフォーマンスグループモーニング娘。のコンサートなんだから、もっと華やかな未来を、そこへ行き着く前向きな物語を見させてください。過去の回顧曲とか、宙づりになった曲とか、そういう後ろ向けで不安定な世界を見に行きたいわけじゃない。

始まる前から、そして曲を聴く前からこういうことを書くのは「アンチ」言説だな、とは思うけれど、事務所が本気で娘。を追い込んでいっているように感じられて、このまま座してそれを見守る気にはなれない。といって、ここでこんなことを書いて何になるか、それ以外に私に何が出来るか、が全然わからないわけだが。

■ 鬼が笑う話

絶対に誰かが他で書いていると思うけれども「元気で明るく健康だけが取り柄の女子高生」って、これハロプロメンバーでキャスティングしろといわれたらまずはやじまんこと℃-uteの矢島舞美をあてるよなあ、と。矢島さんなら演技力となそんなものは無関係にキャラの整合性だけで説得力が出ただろう。そしてそうなれば、彼女のアクのないさっぱりとしたかわいさ・美人ぷりでハロプロなんてださいと思っているか、全く関心のない男子中高生の心を鷲づかみに出来ただろうに。もったいないことをしているような気もする。

高橋愛はもともとそういうキャラじゃないから、きちんと演技が出来ないと結構見ていていたたまれないものになるだろう。高橋愛がキャラの整合性だけで出来る役所といえば、それこそシンデレラ、「いじめられていてそれに気づいて自分を不幸な子だと思っているのにどこか切実さがない妄想力だけが取り柄の女の子」とかだろう。

となれば、演技力が問題なのだが、舞台・ミュージカルの演技はともかく、ドラマの演技って愛ちゃん、出来たっけ?舞台とドラマでは求められるものがまたずいぶんと違うはずなので。

思い出すのはテレビ東京の24時間時代物のドラマ、あれって「演技」と言っていいレベルではなかったように記憶している。最近ではピンクレディーの役として出たが、あれも最初から演技なんぞ期待されていなかったはずだし、実際演技なんてしていなかった。大丈夫かいな。演出家にはがんがんだめ出ししてもらって、アイドルの顔出しドラマです、みたいなレベルのものにはならないようにすることを願う。愛ちゃん自身はそれほどドラマ系の仕事への願望とか思い入れとかなさそうではあるけれど、出るからには半端なものにはしてほしくない。

しかしハロプロはドラマが弱いといわれていたけれど、この機会にあらためてこれまでハロプロメンバーが出たドラマを振り返ってみると、なんだかんだ結構出ていたりするものだ。安倍なつみは連続ドラマ主演1本、ヒロイン(脇)役3本?、単発多数、後藤真希も連続ドラマは大河ドラマを含め3本ほどかな、他単発主演が2本?、矢口真里が昼ドラ主演と脇1本、保田圭も単発数本、中澤裕子ゴクセンを含む連続ドラマ2本?、単発も数本、加護亜依はシリーズものの連続ドラマにレギュラーで出ていたし、吉澤ひとみもNHKの連続もの、石川梨華も出演経験あり、松浦亜弥連続主演1本他単発数本、いまはちょろちょろAKB48がドラマに出ていて、それに比べてハロプロはなんて言説も目にするけれど、振り返れば結構なものだ。ただAKB48は所属グループの色が薄いので(少なくとも関西にいると全く存在感がない)、それなりに「女優」としてみることが出来るのだけれど、ハロプロは元の集団の色が濃すぎて、どうにも普通の「女優」としてはみられにくい、とは言えるような気がする。所詮ハロプロというアイドル集団の顔見せ、という。

高橋愛には是非普通の「若手女優」の一人としてみられるぐらいの演技をしてほしいのだ。

■ コスプレとか

仕事が進まなくて鬱々とした日々を送っています。

ペッパー警部はAmazonに発注しただけで、当然まだ送ってきません。初回A版(DVD付き)と初回B版(ミニ写真集付き)。CDをくじ件にするのは好みじゃないので、イベント当選目的での大量買いはしません。ただこのシングルがこけるとモーニング娘。の活動全般にさらに支障を来しそうなので、少しでも多く売れてほしい、という気持ちはある。仕事が一段落したら、通常版を一枚でも購入したりするだろうか。

せっかくの発売イベントはなっちこと安倍なつみソロコンサートと完全に日程がかぶっている。イベント初回なら終了後、なちコン昼公演に頑張れば間に合うのかな。ちょっと調べてみて、間に合いそうなら応募するだけはしてみよう。無理そうなら当然なちコン優先。

そうそうそうそう、そういうことでなんとかなちコン横浜関内公演昼夜、大阪公演昼夜無事チケット入手。といってもまだコンビニにおいたままなので、引き取りに行かなければ。これで名古屋公演を合わせて3会場6公演を押さえる。最終中野にも行けば全公演制覇となるけれどもさすがに二回も東京へ行くのはつらい。横浜関内よりは最終中野の方に行きたかったけれど、松浦亜弥STBライブと合わせ技での東京行きだから仕方がない。

そうそうそうそう、なんと愛ちゃんこと高橋愛ドラマ主演決定とか。ちなみに前のリンクは愛ちゃんがあまりに可愛く映っているのでつい張ってしまった。

で、肝心のドラマなんだけれど、「元気で明るく健康だけが取り柄の女子高生・可奈(高橋愛)」だと。えーと、私の記憶が確かならば、愛ちゃんは22歳なんですけれど。「女子高生」って、それってなんかのプレイですか。

2008年09月14日

■ 映像批評、よ

言葉で「モーニング娘。」を表現することに積極的な意味・意義を感じてきたので、これまでは画像も使わなかったのだが、公式動画サイトdohhhupがモーニング娘。新曲「ペッパー警部」のPVをブログに貼って販促せよとせっついているようなので(拡大解釈)、協力してみた。もちろん文化を享受したものは一定その対価を支払うべきなので、このPVを見た人は全員もれなくモーニング娘。「ペッパー警部」CDを100枚以上購入するように。

もっとも最近は社会学でも映像を用いた学会報告なども増えているので、あまり「言葉」に拘泥するのもアナクロなのかもしれない。

それにしても映像というのは強力なもので、これを貼ってしまってはそれ以上言葉で何を語ればよいのかという感じになってしまう。己の批評力、言語力の弱さを思い知らされる。残酷なものだ。だからこれまでそれを避けてきたのかもしれない。それでも最低限の批評的言辞を弄することとしよう。

とりあえず映像を見れば一目瞭然、私が期待したアレンジの斬新さというものはない。

でもこれはこれで成立しているように感じる。ふつうにモーニング娘。の曲になっている。元曲を知らなければ、モーニング娘。のここ最近の曲を立て続けに聴いた後、これを聴いてもそれほど違和感もなかろうと思う。妙に衒うこともなく、ふつうにモーニング娘。として歌い、踊っているだけなので、後はそのパフォーマンスを堪能すればよい。それ以上に特に付け加える必要もなかろう。

一点注目点をあげるなら、終盤の間奏でのダンスシーン、高橋愛ちゃんがミニスカートで蹴り上げる振りをするので、、、。

我ながら格調高い批評となった。

■ 実験

モーニング娘。ニューシングル「ペッパー警部」よ。

2008年09月08日

■ 多面展開

第一報を聞いたときには情報を読み飛ばしていたのだけれど、同時に阿久悠関連のカバーアルバムも出るのね。そのアルバムの中で高橋愛が五木ひろしとデュエットを歌う、と。最初に聞いたときには、それは単にいろいろな往年の歌い手が登場する阿久悠記念アルバムに高橋愛が一曲関わるだけの話かと思っていた。しかしそうではなくてカバーアルバムを出すのはモーニング娘。でその一曲に五木ひろしが絡んでくる、と。ふーん。

単にピンクレディーのカバーをしましたというだけでなく、アルバムも含めて阿久悠関連で一気に話題を展開していこう、というのはそれはそれで攻めの姿勢だとは感じる。結構面白い話じゃん。

あとは「ペッパー警部」のアレンジだなあ。モーニング娘。の前回のカバー曲「ひょっこりひょうたん島」はもう少し笑っちゃえるようなものを期待していて、案外平凡だったので少し残念だった。今回こそは「え?これがピンクレディーの曲?」と言うぐらいアグレッシブに、そして今のモーニング娘。のかっこよさを見せつけるようなものにしてもらいたい。こぢんまりとまとめてしまって「劣化コピー」などと思われるのだけは勘弁。

■ ペッパー警部、よ

「ペッパー警部」ね。

一般人への訴求って話をしていたら、そう来ましたか、という感じ。まあそれほどずれてはいないな。「ファン」の方がごちゃごちゃ文句を言うかもしれないけれど、一般向けにはそれなりにインパクトはあるでしょう。

とりあえずファン界隈の反応に注目。

私はそれなりに発売を楽しみにしているし、新曲タイトル発表が遅れた理由も前向きなものだったと一応納得できたので、とりあえず良いニュースだったと思っている。

2008年09月07日

■ 情熱行き未来船

長丁場のミュージカルが終わっていよいよ新曲発売!というこの大事なときに500人足らずのファン限定のハワイツアーなんぞにかまけていること自体が「内向き」なんだよな。もっとモーニング娘。ファン全体に対して娘。の進む方向というか「物語」というか、そういうものを見せていってくれないと、それこそ単にメンバーからレスがもらえるとか、握手できるとか、そういうレベルの話だけになっていってしまう。

おまけにそういう方向のファンにばかりしっぽを振っておいて、そういう場である握手会でのファンの扱いがおよそ客相手ではないとか、いったい何をやっているのかと思う。もっとも普通のコンサートでもハロプロ主導のライブ会場のスタッフはちょっとひどいのが多い。トゥーランドットとかコマ劇場とかホテルディナーショーとかできちんと普通に客として扱ってもらえるときの感動よ。

そんなこんなも含めて、いま事務所から受け取れるメッセージは「どうせ若い女の子が好きなだけなんでしょ」「さっさとベリキューエッグに移行しなさい」というようなものしかないから、そっちに行く気のない私はもはや「ハロプロファン」としては境界線上におかれてしまっているという感じだ。

そういう意味ではもしかしたら個人的に店じまいモードに入っているかも知れないなかで、大盤振る舞い、なっちこと安倍なつみコンサートツアー2008秋〜Angelic〜名古屋公演のチケット入手。

モーニング娘。と安倍なつみ、いずれもとりあえず地元でも何でもない名古屋公演を押さえるという妙な感じになった。おまけになっちコンの翌々日が娘。コン、名古屋で二泊もしたくないし、一日空けての名古屋通い。ちょっとかったるい。

両者とも地元大阪公演も出来れば押さえたいが、娘。、なっちコンいずれも会場が微妙に小さくて、すんなりチケットを入手できるか不明。

後は松浦亜弥六本木STB139ライブに合わせてなっちコン横浜公演にも行きたいが、こちらもチケットの入手性は不明。同じ関東圏なら東京中野公演のほうが会場も大きく、ほぼ確実にチケットが入手できるはずなのだが、こちらは近接の松浦亜弥ライブがなっちコンと同じ日に重なってしまう。分身の術でも使わない限り、1回の東京行きで両者に行くことが出来ないので断念、横浜公演のほうに的を絞ったわけだ。

ついでに私がモーニング娘。名古屋公演に行く日に加護亜依が東京でイベント開催との情報が。昼公演5500円、夜公演3万円。3万円って松浦亜弥のホテルディナーショーなみの価格じゃないか。何でも1万2千円分のグッズがおみやげにつくとか。いや、グッズなんていらないし、せめて2万円にしてください、という感じだ。

こうしたイベントも含めて加護ちゃんの売り出し方にも否定的な声が出ているようだけれども、イベントでのファンの扱いはまともらしいとか、とにもかくにも加護ちゃんを売り出したいという思いがはっきり見えるだけでもハロプロ事務所アップフロントよりはよほどましじゃないか、という気が最近している。これまでそれなりにアップフロントには好意的に見ようとしてきたけれど、ここ一年ばかりの「モーニング娘。」の扱いに「糞事務所」という罵倒を投げかけたい衝動に駆られている。

2008年09月06日

■ 懲りない私

ハロモニ。が終了するのみならず、モーニング娘。新曲のタイトルも中々発表されず、フラストレーションのたまる状況の中、モー娘。ファンの皆様、いかがお過ごしですか。

最終的に「あー、そういうことだったのか、事務所Good Job!」となるような、カタルシスを感じさせられるような落としどころがあればよいのだけれど、まあきっと何もなくて、どの曲をシングル曲にするかぎりぎりまでもめている、とかそんなところだろう。

と、そういう状況の中、先日はいらいらしてつい当初予定になかったモーニング娘。名古屋公演のチケットを入手してしまった。メディアでの露出があまりに少ないと、とりあえずそうしてつないでいくしかない。それで結果的に事務所は儲かり、結構なことか。ただそうして無理気味な支出をしていくと、ある日突然ぷつんと来るということもあるものだ。イベントで釣って、CDを複数枚買わしてメンバーに「会う」機会を作らせるやり方だって同じことで、どんどんファンの思いをすり減らしているように感じたりもする。

とりあえずこちらとしても「暴走」はしないで、ある程度の縛りを着けて慎重に支出計画を立てることにしよう。 

極力東京へは行かない。関西圏、せいぜい名古屋・岡山あたりで押さえる。ディナーショーのような高額な場所に行くのは一年に一回まで。ミュージカル・舞台はよほどこれと思うもののみ。

とりあえず安倍なつみ秋ツアーについては大阪と名古屋、二会場に行ければそれで納得。モーニング娘。は予定外に名古屋を押さえたが、後は大阪のみ。藤本美貴ミュージカルは今回見送り。松浦亜弥ミュージカルも同様に見送り、東京六本木のライブレストラン?スイートベイジルで行われるライブも東京までは行けないので見送り。あややは結局今年は5月末春コンサート大阪公演だけか。

あ〜、でもスイートベイジルという場所はちょっとこじゃれた感じで、ホテルのディナーショーよりも安いのに、ゆったり出来そうで、一度はいってみたかったんだよな。ただ「安い」といっても東京まで往復する金があれば関西圏ホテルディナーショーに行けるから、やっぱり駄目だよな。

なになに?9月1日に松浦亜弥スイートベイジルライブ一般販売?定員も少ないし、どうせチケットなんて取れるわけもないから、どうでもいいよな。店で直接受付って、めんどくさそうだし。どうせ電話しまくらなければならないんでしょ?電話するのはかったるいし〜。でももしかしてサイトでも受付していたりして。それなら一応みてみるだけでもみてみるか。

あ、サイト上でも受付やるみたい。あ、受付開始時間だ。あ、取れた。

10月20日の公演の予約が取れてしまった。このためだけに東京行くのは辛いな〜、ということで、その前日には安倍なつみ秋ツアーの横浜公演があるから、何とかこのチケットは押さえなければならないな。横浜で一泊して、翌日六本木、と。で、終了後そのまま京都に帰れるの?あ〜結構ぎりぎり、というかやばそう。もう一泊?夜行バス?どうしよう。。。。

■ セカンドモーニング

モーニング娘。ハワイFCツアー。

ライブのソロコーナーで道重さゆみが歌ったのは「せんこう花火」だったらしい。

春ツアーでは「ふるさと」。

道重さんってここまで初期モー娘。ファンなっち派な人だったのか?


この二曲ともモーニング娘。のセカンドアルバム「セカンドモーニング」収録曲(「ふるさと」はその直前のシングル曲)で、しかもどちらも安倍なつみがメインパートをすべて歌っている。

2008年09月04日

■ Nacchural

久々の購入品。

安倍なつみ写真集End of Summer。
きゃわ。ハァーーーーン。なっち最高!
安倍なつみイメージDVD Nacchural。

ゆるい。コンサート会場販売グッズのDVDマガジン(コンサート会場で公開していた埴輪「はにわっち」を作成)よりもゆるい。

テーマは魚釣り。ハワイで船に乗って安倍なつみが魚釣りに挑戦。でも全然釣れない。安倍さんが少し嫌気がさしている様子もうかがえる。その途中でぐだぐだいいわけがましくしゃべる。「fishとなっちのコミュニケーションが、とれてないっつぅうか、それが残念っすね」。ジーンズ姿でキャップをかぶり、股を開いて舌打ち混じりにしゃべる様はまるでおっさん。

中澤裕子がしばしば語る「楽屋のなっち」を想像する。

■ わが道II

注釈として後から追記したのであまり読まれていないだろう部分に私としてはもっとじっくり考えたい論点が出てきた。

アイドル言説空間について。

この空間においては「処女性」がしばしば「問題」として投下され、それを巡って言説が構築される。アイドルは処女性を維持していなければならない、という「ファン」と、そのようなことを求められるアイドルなんてださいと拒否する「一般層」との対立。重要なのはアイドル言説とは「アイドルの処女性」をプラスの価値として語る言説と同じではない、ということだ。そうではなくて、そうした主張をめぐる対抗言説を含めた言説総体がアイドル言説を構築する。

ここで出す「例」はあくまでこの問題を考える事例として提示するものであって、登場人物を今更ながらに批判し、糾弾することを目的とするものではないことを付言しておく。

矢口真里である。彼女が「恋愛」を理由にモーニング娘。を「脱退」して3年たった今でも彼女はその経緯を語る。

モーニング娘。は恋愛をしてはならないグループである。しかし自分は恋愛をしたかった、だから辞めるしかなかった。

彼女の論理では、ここにはモーニング娘。を貶める意味合いは一切ないのだろう。自ら責任を取って辞めた、その公式発表を崩さずに語っているからだ。

しかしこれは言説においてはモーニング娘。を著しく毀傷してしまっているのだ。

矢口はこうした発言で二つのことを同時に語っている。

  1. モーニング娘。は恋愛が許されないグループとして維持されている。
  2. 女性として恋愛をするのは自然である。

この二つの語りは一つの論理的帰結を導く。

  • モーニング娘。は人間の自然な感情を抑圧する存在である。

まして矢口はこれを涙混じりに語るのだ。

もし矢口がこうした発言を行うに際して、公然とモーニング娘。の非人間性を告発し、モーニング娘。は現代の女工哀史だなどと主張するのであれば、私はある次元で評価し、場合によってはその告発に連なってもよかろうとも思う。しかし矢口にはその意識はあるまい。単に環境と自分の(場合によっては「わがままな」と付け加えてもよいとさえ思っているだろう)思いとのズレが招いた自身の悲劇を語っているだけだ。だから彼女は元モーニング娘。として24時間テレビで現メンバーと一緒に登場して歌を歌うことも、現メンバーに「ライバル心が足りない」などと純然たる先輩の立場において苦言を呈することも出来たのだ。

私はそれをとても好意的には受け止められないし、「ずるい」とも思うが、今語りたいのはそういうことではない。

ここで問題なのは、モーニング娘。と(リアルな)恋愛とを同時に語る語りは、モーニング娘。を、処女性をめぐるアイドル言説空間に投入し、モーニング娘。をべたべたなアイドルに堕してしまう効果をもたらしてしまうということだ。そしてそれはモーニング娘。の「一般」的な価値を毀傷してしまう。

この言説からモーニング娘。を救うには二つの道がある。一つは矢口がやらなかった「告発」を行い、モーニング娘。を恋愛可能なグループに修正すること。もうひとつはモーニング娘。とリアルな恋愛との言説上の接合を拒絶すること。

第一の道はモーニング娘。をいったん地の底に突き落とさなければならない。

モーニング娘。各メンバーはずっと「非人間的」な扱いをさせられ続けてきた。しかしその縛りは不当であった。今日から君たちは晴れて自由である、万歳。

矢口が、あるいはその他メンバーが、自らの存在をかけてこの闘争を行う、というのであれば、私はそれを支持しよう。しかしそうでない限り私はこの道を選ぶ気にはとうていならない。

私は一ファンとして、第二の道を選ぶ。モーニング娘。脱退の経緯を他人事のようにかわす藤本美貴や恋愛関連のつっこみをカマトトぶってスルーする高橋愛が(おそらく反射的に)選んだこの道を私も進む。

■ わが道

モーニング娘。は一つの文化(サブカルチャーではなく)である。少なくともかつてはそうであったし、今でもそうであれかしと思っている。

文化は、理想的には、「他者」を排除せず、むしろ糾合することで一般性を指向していく。その価値観が流通する場・空間を拡大していこうとする。

別の力学も存在する。専門化・尖鋭化を進め、場を閉ざし、その場でのみ通用する言語を駆使し、「他者」を排除していく。

モーニング娘。、ハロプロを巡る言説状況はいつからか、徐々に、しかし着実に、後者に進みつつある。実際に読まれる読まれない以前に、「他者」に読まれることを意識してかかれているハロプロファンテキストがどのぐらいの割合があるか。ハロプロファンにしかわからないタームを多用し、「きゃわ」「ハァーン」などといった同等の価値を共有するもの同士のみを対象とした「レポート」が溢れる。そしてライブは常に「最高!」。内輪の価値の再認のみがここでは求められているのだ。

ライブレポートには出演者が客の「出席確認」をしているかのごとき記述が散見される。いつも最前に陣取る「おまいつ」(お前いつもいるな)の客を出演メンバーが認識して、特別の反応をする、というのだ。実態は知らない。しかしそのような記述の存在自体が、ハロプロライブの閉鎖性を構築してしまう。一方で一般客(FC会員でない客)がふつうに購入できる座席は「糞席」と呼ばれ、いかに安くオークションで入手できたかの自慢話?が語られる。

CDには握手会イベントが求められる。そこではさらにメンバーから認識されていることを確認しようと画策される。そのためには何よりもまず、イベントに行けなくてはならない。イベントは抽選だ。30枚40枚CDを購入する様も「レポート」される。

ここに立ち上がっている言説が先日の「べたべたなアイドル」を構築する言説である。そしてこうした活動もモーニング娘。を支える一つのやり方であることは否定しない。ただ私はそれとは違う道を模索する。モーニング娘。をべたべたなアイドル言説から切り離す。その道を模索している。

2008年09月02日

■ 夢物語

Avexの「ハロコン」、a-nationなるライブに後藤真希登場。

Avexファンは自分が応援している「アーティスト」以外には冷たい、などという不安もささやかれたが、思いの外好意的に受け止められているようだ。

「ゴマキってこんなに歌うまかったんだあ、意外」。

なんかこういう評価って今年何度か聞いたような。安倍なつみトゥーランドット、藤本美貴舞台・イベント、モーニング娘。シンデレラ。「外部」の一般人から漏れる「意外」との感想。

ついでにファンも「意外」とちゃんとしている、という評価もへばりついてきたりする。そう、なんだかんだ「一般人」を無視して傍若無人に振る舞う連中って割合的にはそれほど多い訳ではない。場に応じて臨機応変な応援ができる、という評価も数多くみられる。

ベリキューにだってこういうチャンスはあった*1が、ファンの振るまいがそれをつぶした。

それにしても「モー娘。」「ハロプロ」って何だって思われているのだ?

見直していただけるのはありがたいことなのだが、いかんせん見直していただけるのは「現場」にいたごく一部の人のみ。こういうときにアップフロントの戦略の下手さが感じられてしまう。特に昨年ハロプロ10周年記念イベント関連、新聞一面広告なんて出す金があったら他にやれることがあっただろう、と。10年なんて無関係な「ワンダ」組だけで「ハロコン」をやる時間と金があるなら、他にやるべきコンサートがあっただろう。ファンクラブ会員向けにハロ10なんて内輪イベントやる人員があれば、もっと「一般人」に訴求できるイベントができただろう。

先日夢を見た。

安倍なつみがタイのイベント、ジャパンフェスタに呼ばれてミニライブを行った。政情不安定な中、万を超える人々が集まり、大変盛況だったという。

安倍なつみがソロで「ラブマシーン」を歌う。会場大盛り上がり、必死で写真を撮りながら(このあたりタイはルーズなものらしい)、一緒に歌い、踊る。

安倍なつみ最新シングル「息を重ねましょう」を歌う。会場も一緒になって合唱。日本でも知っている人なんてほとんどいない歌なのに。ハロプロすげー。

目が覚める。

また夢を見る。

もし10年記念で日本でも一般人を巻き込んだ、このようなイベントを開催できていたら。モーニング娘。現メンバーともとメンバーを集められるだけ集めて、可能な限り広い会場で無料イベント。最前付近は子連れなどを中心とした「ファミリー席」でも設定しておく。

歌うは「一般人」が期待する曲「ラブマシーン」「恋愛レボリューション21」「ピース」。そして現娘。卒メンおのおのの最新曲。懐かしの曲で盛り上げて、現在の曲で高いスキル・パフォーマンスを見せつける。「無料」ならばタイと同等、あるいはそれ以上の盛り上がりも期待できるのではあるまいか。モー娘。結集となればメディアも大々的に取り上げるだろう。

10周年はもう去った。後藤真希ももうハロプロを去った。それでも今からでもそんなイベントができたら。

夢のまた夢、だな。


*1蒲公英さんのブックマークより、「過去形で語られるのは辛いなあ」とのご指摘。確かにこれは表現がまずかったかもしれない。

ここで言いたかったことは具体的に神宮の花火大会の日のことであって、もしその日、ファンがもっとうまく応援できており、ベリキューのパフォーマンスをその場にいた多くの客に見せることができていたら、もしかするとそれは上記モーニング娘。関連事例と並ぶ結果となっていたかもしれない。しかし私の知る限りそれはかなわなかった。過去形なのは、つまり具体的に発生した一つの事例についてのことだから。

もちろん安倍なつみも藤本美貴も後藤真希もそして現モーニング娘。も今後も引き続き同様の「再評価」を受けるチャンスはあるだろうし、それをものにしていかなければならないと私は思っているわけで、それと同様にベリキューにだって今後チャンスはあるだろうし、それはものにしていくべきだろう。

2008年09月01日

■ アナクロソツメンヲタはかく語りき

モーニング娘。は死んだ。モーニング娘。は死んだままだ。そして我々がモーニング娘。を殺したのだ。

長年続いた日曜昼の「ハロモニ」が終了、平日夜帯番組枠にモーニング娘。、ベリキュー、真野なんちゃらちゃんのハロプロ若手アイドル班の「ワンダ」組が集結。「よろしくセンセイ」こと「よろセン!」がスタートとか。誰が「センセイ」役なの?とか真野なんちゃらちゃんって誰?というのはさておき、肝心のモーニング娘。の行き先が見えない。

モーニング娘。卒業メンバーおよび前田有紀、松浦亜弥、里田まいら「エルダー」組は各々知名度やらスキルやらキャラやらを生かして適材適所の多面展開、これはまあ、分かる。

ベリキューら「若手」は若さやら新鮮さやら可愛らしさやらを生かして、「ふれあい」を中心としたB級アイドル展開、これも(私は好きではないが)、まあ、分かる。

しかし知名度・スキルともエルダーにさして引けを取るとも思えない(こともないか)モーニング娘。は、ベリキューらと同じ「ワンダ」に組み込まれ、B級アイドル化を自ら進める一方で、B級アイドルとしてはベリキューに見劣りするような状況に追い込まれていって、どんどんその価値を目減りさせていっているかのように感じられてならない。

いったい何故こうなってしまったのか、その決定的契機は何か、などと考えていたりするわけだ。

さかのぼればいくらでもさかのぼれる。辻加護の卒業、安倍なつみの卒業、後藤真希の卒業、中澤裕子の卒業、いや4期メンバーの加入、いや後藤真希の加入。それでも現在のモーニング娘。のB級アイドル路線を決定づけたと私に思えてならないのは、これまたずいぶんと古い話だが、やはり矢口真里の「脱退」だったろう。

モーニング娘。が恋愛禁止だというのは実は発足当初からである。「うたばん」で石黒彩が「アイドルは純粋でしょう」とにやりと微笑んでいったごとく、モーニング娘。は恋愛禁止であった。

ただしそれは、たとえは悪いが、水商売の女性に「彼氏は今いない」のとほぼ同程度の意味合いであったと思っている。

24歳の水商売経験者の元OL、19歳で鼻ピアスをしてバンド活動を行っていた女子短大生がいるグループで、平然と「アイドルは純粋」と言い切るその厚顔さこそが、モーニング娘。をして小泉今日子の「何てったってアイドル」を凌ぐメタアイドルたらしめるものであった。歌詞という言葉の上にとどまらず、そのキャラクター全体をそこに投下して見せたのだ。

ただしそれは事務所の明示的な戦略というわけではない。あくまで「受け手」の解釈の次元においてである。そして事務所の方針自体は、実は終始一貫したものであったと思う。モーニング娘。発足から、今に至るまで。ベリキューを含めて。

私の見る限り事務所の恋愛に対する対応は「アイドルグループにいる限り、恋愛は認めない」、「恋愛が発覚したら、別れろ」の一点張りである。「処分」が状況によってバラバラだといわれることがあるが、おそらく明示的な「処分」を事務所から行ってはいないように思う。とにかく是が非でも「別れろ」。それをメンバーが受け入れれば、明示的な処分はなし(歌のパートを一時的に減らすとかその程度のことはやっているかも知れない)、受け入れない以上は自分からグループを脱退するしかなくなる。この方針でこれまでの各メンバーの恋愛スキャンダルの結果はすべて説明できる。

私はこの事務所の方針を支持してはいないので、そこから生み出された結果において、当該メンバーを否定的に見ることはしない。その上で続ける。

メンバーが「別れる」に応じているうちは、「スキャンダル」は内々で処理される。明示的な処分が出ることはなく、しかも恋愛はしていない、という建前は維持され、モーニング娘。の言説上のメタアイドル性は守られる。もちろん「本当」は実質強制的に「別れ」させている時点で実はメタでも何でもないベタアイドルにすぎなかったわけだが。

この危ういバランスが打ち破られ、モーニング娘。が言説上においても単なるベタアイドルにすぎないと見なされるようになった契機を、「恋愛」を貫いたが故に「脱退」することになった矢口真里にみる。事務所の対応は変わっていなくても、みる側からの印象は全く別のものとなる。「恋愛すると辞めさせられるんだ」、「ネタだと思っていたのに、本気で処女性なんて守ろうとしているんだ」。そしてベタアイドルファンたちの「歓喜」の声。「モーニング娘。はアイドルだ!」。アイドルでありながら恋愛を貫くという矢口真里の「叛乱」が、モーニング娘。のアイドル化を推し進めたのはなんとも皮肉なことであった。

矢口真里「脱退」後のハロプロ合同コンサートでは、モーニング娘。は「純粋培養」グループベリキューとともに「ワンダ」組として、「エルダー」組に組み入れられた主要モーニング娘。卒業組とは切り離される。

かくしてモーニング娘。は名実ともにべたべたなアイドルとなった。藤本美貴の脱退はその反復にすぎない。ただしその反復こそがだめ押しになったわけだが。

改めてこのだめ押しはいかにも痛かった。おまけにその直前には藤本美貴と並んで「べたべたアイドル」路線にそぐっていなかった吉澤ひとみが「卒業」していった。もはやモーニング娘。をしてメタアイドルたらしめる要素は何も残ってはいなかった。

メタアイドルモーニング娘。はかくして死んだ。


世の中、***な人って本当にいるんだなあ、ということを再認した(苦笑)。別に読者がこのエントリをどう解釈してもいいけれど、その勝手な解釈で他の読者をミスリードするのは何だな。まあ、この人自体はどうでもいいけれど。

それでもこの文章を読んで、現在のモーニング娘。のパフォーマンスを否定しているものだ!と解釈する人がいるとは想定の範囲外だよ。

一応まっとうな理解力を持った読者であっても、あほな誤読に引きづられないとも限らず(多分その危険性は薄いと思うけれど)、それは迷惑なので、そういう(まっとうな理解力を持った)読者のために補足しておくと、上の文章は、「処女性」なる妖怪に振り回される類の(限定用法)「アイドル」の秩序において、モーニング娘。がその超越的地位を失墜した、といっているのであって、モーニング娘。のパフォーマンスについての否定的評価など一切していない(よね)。むしろ(そう直接言っているわけではないが)そのパフォーマンスが正当な価値を持って評価されがたい言説空間の中にモーニング娘。がおかれてしまっていることを問題にしているのだ。

「アイドル」と言えば「処女性」が掛け金として投入されてしまうこのアイドル言説空間(アイドルは処女性を維持していなければならない、という「ファン」と、そのようなことを求められるアイドルなんてださいと拒否する「一般層」との対立が発生する空間)において、かつてのモーニング娘。はなお特権的な位置(松田聖子において処女性が問題にならないのと同等の)をもてていたのが、今はそうではなくなってしまったその現状を指摘しているわけだ。この言説空間ではこの対立はパフォーマンス評価の前に生成されてしまうために、パフォーマンスの善し悪しがそもそも問題とされない。「モー娘。ださい」、「所詮モー娘。」といった支配言説はまさにこのアイドル言説空間の中で立ち上がってしまっている。

かつてのモーニング娘。はこのアイドル言説空間の中においてなお、「国民的」と冠せられるだけの地位を保持できていた(それを持って「メタアイドル」と呼んでいるのだ)が、今はその立場を失ってしまった、それを持ってメタアイドル(としての)モーニング娘。の死と言っているわけ。

となれば次なる戦略はアイドル言説空間自体の組み替え以外にないと私は考えているわけで、しかしその戦略については本エントリは何も述べていない。ただ今の事務所は(ある意味状況的には「仕方がない」かもしれないけれど)、このアイドル言説空間にどっぷりつかっており、その空間にモーニング娘。を押し込めようとしている。そして「我々」ファンもまたその網に絡め取られてしまっているのは確かだろう。「我々が」殺したのだ、というのはつまりそういうことだ。

件の解釈者を相手にしたくないのは、そもそもこのエントリがこのブログ全体でどういう位置づけで、どういうコンテキストでここにおかれているのかを一切読み取ろうとせず、言葉の上っ面だけをなめて文意をねじ曲げてくるから。よほどレトリカルな文章を読解する力がないのか、相手の趣旨を読み取る気が最初からないのか、どちらかなのだろう。このエントリだって冒頭の文章はあえて扇情的なレトリックを借用して、かかれていることぐらいはふつう読み取れるだろう。そうであれば、このサイトのこれまでのスタンスと併せて、このレトリックをここで用いて何を言わんとしているかを読み取ろうとするのが「解釈」というものだ。それができないなら、「このエントリはわからん」ですませればそれでよいのに、あほなつっこみをするからあほだ、というしかないのだ。

ということでそのサイトから訪問された方、一つよろしく(苦笑)。

もっともベリキューファンの方から、ベリキューを「処女性」に振り回される類のアイドルにおとしめるな、といわれると、その批判は甘んじて受け止めなければならないけれど。モーニング娘。はベリキューと一体とされることで、このアイドル言説空間からどんどん抜け出せなくなる、つまりベリキューは(モーニング娘。とは違い)最初からこのアイドル空間を補完する存在でしかない、と現状私が思っていることは確かなので。