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2007年10月28日
■ 卒業
明日からはまたしばらくネットにアクセスできなくなるというときに。
後藤真希、ハロプロ卒業とか。
いろいろ予兆のようなものはあったけれど、一時休養するとかそういうことになるかとは思ったけれど。「活動の方向性の違い」か。単にご家族のことだけではない、いろいろなことがあったのかもしれない。それならそれで後藤さんが納得のいく活動をしていくための決断というのなら、それはそれで前向きに受け止めよう。
ただ本来だったらもっと事前に発表して、冬のハロコンできちんと卒業式も出来たはずだが、それもかなわない。
それでもご家族のことは悪くいうまい。弟さんのことで「他のハロプロメンバーに迷惑がかかる」のが卒業の一つの理由らしいが、後藤さんの側からすれば、ご家族を守るために今回の決断をしたのだというような気が何となくしている。ハロプロに所属したままでは守りがたい事情が何かあったというか。よくは分からないけれど。いずれにしても後藤さんにとってはかけがえのない家族なのだから、悪し様には言うまい。
今年の秋のコンサート、松浦亜弥さん、モーニング娘。を優先して今回はスキップしてしまった。一度はいっておこうと思っていたのに。今日のツアーファイナル、明日からの仕事がなければ駆けつけたい思いもあったのだけれど。世の中、上手くいかないものだ。
■ 水
引き続き購入品記録。
愛ちゃんこと高橋愛、写真集「水」。
表紙といい、写真週刊誌あたりでの先行写真宣伝といい、かなり化粧濃いめ、露出多いめで「大人」を強調しつつ、実は「エロ」で売りたい作品になっているのだろうと思って、正直あまり期待していなかった。
とは言っても私は「愛ごころ」以来、高橋愛の写真集だけは買うことに決めているので、今回も表紙も裏表紙も水着全開で買いにくいなと思いつつ、頑張って買ってきたわけだ。それにしてもこの手の写真集は表紙は露出を抑えて、買いやすくする方がよいと思うのだが、水着が表紙で買うのを躊躇する層と、逆に水着、胸の谷間に惹かれてふらふら買ってしまう層とでは後者の方が多いのだろうか。
そんなこんなでそれほど期待しないで中を見たわけだが、あら、可愛らしい。高橋愛の可愛らしさがきちんと表現されていた。
ハロプロの写真集での水着はモデルの表情に「頑張って露出しています」というのが感じられることが多くて、あまりそういうのは見たくないので、水着が売りの写真集は基本的には買わないのだけれど、高橋さんのはそういう気負いをほとんど感じない。どこかしら鈍感というか、無邪気というか。そういう鈍感さのおかげで、見ているこちらにとっては罪悪感のようなものを感じなくてすむし、逆にそういう無邪気さがある種のエロティシズムを感じさせるという(何だ、結局「エロ」を求めているんじゃないか)。そしてそういう(写真集を見てエロティシズムを感じたという)感想を直接伝えたとして、たとえば亀ちゃんこと亀井絵里だったらすごくいやがりそうな気がするのだが、愛ちゃんだったら「あっらー」とか何とか言って照れ笑いをしながら適当に受け流してくれそうという、そういう妄想もまた悪くない。ちなみに藤本美貴だったら「ふーん」と本気で馬鹿にされそうな気がする、それも悪くはないが、あまりエロい気分にはならない。
前回の写真集「ラブハロ!高橋愛」との比較では、「ラブハロ!」は「要するに高橋愛を写しておけばいいんだろ」という感じだったのに対して、今回の写真集では高橋愛がいる「場所」を感じさせる写真も多くあり、写真集の質としてはこちらの方が上。出版社が違うので、そもそも趣旨自体も違うのだろうけれど。もっともたいした差ではない。要するに高橋愛が写っていればいいのだ。
■ 息を重ねましょう
購入品記録。
なっちこと安倍なつみ、ニューシングル「息を重ねましょう」。
火曜日に購入。結局仕事先にポータブルCDドライブを持って行って「爆リピ」。ああ、これも安倍なつみだよね、と思う。「たからもの」や「Too Far away」の重く語りかけるような歌い方も安倍なつみの歌、今回のシングルのように美しく、可愛く歌うのも安倍なつみの歌。引き出し、広いな、と思う。声の出し方が全然違うようにも聞こえるのに、どちらもきちんと安倍なつみの声。
軽快でさわやかな表題曲に加えて、カップリング「小説の中の二人」はとても切ない曲でこれがまた素晴らしい。「スイートホリック」のカップリング「I'm in Love」と曲調、歌い方など似た感じだが、本曲の方が現在進行形ではない、過去のお話という趣旨の歌詞に合わせたか、少しあっさり目の歌い方。それが逆に悲しさを引き立てている。
ちなみに「I'm in Love」の歌詞は良く読めばかなり身勝手な女のお話。浮気をして一線を越えちゃったから、あなたのことは好きだけれど、もう前のようには戻れないから、浮気相手の新しい彼と生きていくわ、って、どこまで勝手な言い分やねん、と言いたくなる。きれい事を言っているけれど、結局新しい彼とよろしくやるってだけのことだろう、と。というので、切ない曲調とは裏腹に女の怖さを歌った歌なのだ。
「小説の中の二人」は完全に妄想の中に生きる女のお話。別れた相手と妄想の中ではつきあいを続けている、というこれまた別の意味で怖い女の話。そういう怖い女の歌をさらっと可愛く切なく歌ってしまうあたりがなっちの真骨頂なのであった。
いずれにせよ、今回のシングルは二曲とも私はたいそう気に入ったし、少しおまけ(発売記念イベント参加抽選券)にも惹かれたので二枚目も購入しようかとちょっとだけ思った。一応趣旨は建前上は曲がいいので、感謝の気持ちでもう一枚、ということですよ。1000円のくじ券を買おうとかそういうのが主眼ではないですよ。一応ね。
でもCD売り場に行ったら、前週発売のハロプロの年少組グループのCDが積んであって、そこに「発売イベント(握手会)を追加開催」とか書いてあって、要するにメンバー(その中の複数はまだ年端もいかない少女)との握手目当てのリピータ(おっさんが主力)にさらにCDを買わそうという意図が見え見えの販売をやっていて、なんだかそういう光景全体がとても浅ましく感じられて、私はそういう浅ましい中に入りたくはないなと思い、二枚目の購入は断念した。安倍さんは少女ではないし、こちらのイベントが握手会なのかそうでないのかも不明だけれど、CDをくじ券にするというのは大仰に言えばやはり歌に対する冒涜に感じた。
イベントは一枚分だけ応募はするけれど、外れてもいいや。どのみちこの秋はきちんとしたコンサートに4公演分参加(東京厚生年金会館昼夜2回、広島、福岡各1回)するのだから、無料イベントに必死になることもない。
それにしても歌い手として脂がのってきた頃には売り上げががくんと落ちるこの女性アイドル歌謡文化、「アイドル」を冠している以上仕方がないと思いつつ、何とも言えないむなしさを感じる。安倍なつみ、後藤真希、松浦亜弥、今が旬なり。
2007年10月23日
■ おら街中さ帰りてぇだ
しばらくはネットもできない山の中での隔離仕事。なっちこと安倍なつみのニューシングルは現地へ行く途中で買うと思うが、CDを聞ける環境ではないので、実際に聞くのは金曜日の夜。ついでに来週も月曜から水曜まで同じ場所で隔離仕事なので、安倍なつみコンサート「アコースティックなっち」大阪、名古屋公演にも参加できず。もちろんネットにつながらない以上、状況把握もできない。
テレビもねえ、ネットもねえ、CDもDVDもなんにもねえ。
自然に囲まれた健康的な生活。80年90年代初頭の気持ちを思い出せる、とても文化的な生活。地球環境にも優しいエコな生活。
2007年10月21日
■ 褒め育て
松浦亜弥コンサート感想文、追加分。
東京公演でアルバムのジャケット写真を「気に入っている」といったのに対してブーイングされた(確かにちょっと微妙)のがよほど堪えたのか、今回の公演では「ブーイングとかいらないから」、「とにかくほめて」オーラが此処彼処にでていた。「私はほめられて育つタイプなんで」、って自分で言うか。
かなり「ぶりっ子」(死語)系のドレスを着て登場し、「可愛い」と会場から声が出たら、「そういう風に言ってくれるから大阪大好き」とか。「東京の人はもっと冷たい」なんて泣き言も。すっかり恒例となった年齢ネタ(「21歳」「え〜」)を客にやらせる隙を与えないように年齢にふれる部分では極力間が開かないようにしゃべってみたり。ネタとわかっていてもブーイングはいやなもののようだ。
あやや、可愛いよ。ダブルレインボウ(ジャケット写真も含めて)、最高。MCおもしろい。衣装可愛い。歌うまい。声もいい。髪型似合っている。
これだけほめれば、さらに伸びるかな。
■ ダブルレインボウ
仕事がむちゃくちゃにせっぱ詰まっているのにあややこと松浦亜弥コンサート鑑賞。
最初客席の雰囲気を見て間違えてアイドルのコンサートに来てしまったのかと思った。ああ、松浦さんはアイドルだったか。往年のアイドルのコンサート。いかにも「アイドルファンです」みたいな服装できている人が娘。コンサートと違って少数いるところがかえって不思議な雰囲気を醸し出す。
客席のマナーはまずまず良かった。MC中にしゃべる人もおらず(少なくとも私の周りは)、聴くべき曲はしっかり聴く、という当たり前のマナーがしっかりしている。ただファミリー席で座ったままサイリウムを振り上げて踊っていた人が隣で、それがまともに私の視界を遮ってくれたのが、かなり気になった。わざわざファミリー席で踊らなくてもいいじゃないか、といいたくなる。そういうのは娘。コンでも安倍なつみコンサートでもあまり経験がないのでその限りでの印象は良くなかった。
コンサート自体は想像していたよりは少しあっさりした味付けだった。安倍なつみコンサートのこってり味とは少し違う。バンド紹介もあっさり、MCも、話に落ちはあり、おもしろいのだけれど、安倍さんのMCと比べると少しあっさり目。まあ、落ちのないメルヘン話を延々と続ける安倍さんのMCより一般人にはお勧めできる。客の声援も、アンコールの時の「あやや」コールは「なっち」コールと比べるとだいぶ大人しい。まあ、なっちコンがこってりしすぎなのかもしれない。
最新アルバムと初期の曲とが混ざったセットリストということで、どんな流れになるのかと思ったが、思っていたより違和感なく、最新曲と初期曲が上手く調和していた。考えてみれば初期曲のセルフカバーは「Naked Songs」で既にやっていて、そのときにも違和感なく「今の」松浦亜弥の曲になっていた。初期のアイドル曲も今の松浦亜弥が歌えば、結構「ロック」。初期の松浦亜弥と今の松浦亜弥のコラボ、ではなく、普通に今の松浦亜弥のコンサートだった。
そして先日は「物足りない」と書いた最新アルバム「ダブルレインボウ」、前言撤回、素晴らしいアルバムです。傑作。今更言うなという感じだが。CDを聴いた段階で一番好きだといった「引っ越せない気持ち」も良いが、アルバムと同名の曲「ダブルレインボウ」もスケールの大きな曲で、これが実によい。「dearest.」と立て続けに今後の松浦亜弥の代表曲たる資格を持った曲を発表してしまった、という感じ。両曲を今後どう使い分けていくのだろう、などと余計な心配をしてしまったりする。「灯台」も訥々と切なさが伝わってきて泣けるし、「blue bird」もムードのある好曲、「女 Day by Day」は勢いがあってとても楽しい。その他の曲も(今回のコンサートでは歌われなかった曲も含めて)一曲として駄曲がない。
一点、慣れの問題なのかもしれないけれど、松浦さんの声質のせいなのか、微妙に言葉が聞き取りづらかった。MCも所々聞き取れないところがあったし、歌詞も頭に入ってこない部分があった。安倍さんの言葉はすんなり頭に入ってきて、コンサートで初めて歌詞の内容をきちんと理解した、なんてことが結構あるのだが、今回は聞き取りそびれた歌詞をCDで確認し直したりしている。
ともあれ今回のコンサートは「ダブルレインボウ」が名盤である、ということを再認した、ということで十二分の価値があった。後藤真希「How to use SEXY」といい、ハロプロ、エルダー組方面では良作がどんどん生まれているのに、なんで「落ち目」呼ばわりされるのだろう。
2007年10月19日
■ 疎外感
仕事がせっぱ詰まっているので購入品記録と簡単な感想文。
松浦亜弥アルバム「ダブルレインボウ」。前作「Naked Songs」と比べると「日和った」な、という感じ。「Naked Songs」信奉者としては少し物足りない。松浦さんの声はいいのだが、バックの音が貧弱な気がする。このアルバムの中では「引っ越せない気持ち」が気に入った。
中澤裕子シングル「だんな様」。この界隈でほとんど話題にされていない、ように感じる。「長老」様のシングルだ、買え。曲は「いつも」の中澤さんのシングル。淡々とさわやか。懐メロをハロメンが歌う番組「歌ドキッ!」で時折歌うようなもっと激しい系の(レベッカ「フレンズ」とか高橋真梨子「桃色吐息」とか)の方がもっと良いのに、と思う。
「Hello!Project 2007 Summer 10th アニバーサリー大感謝祭~ハロ☆プロ夏祭り~」DVD。何を考えたか、松浦亜弥と前田有紀とモーニング娘。OGの大半を「排除」した「ハロプロコンサート」のDVD、それでもDVD収録回は「ゲスト」として娘。OGが二曲だけ特別出演したために、その二曲のためにDVDを購入。なんだかOGを「人質」に取られたようで少し不愉快。
二枚組で二枚目にその目当ての娘。OG登場曲が収録されている。とりあえずその二枚目だけを見たが、会場が広すぎるためか、全体的に大振りな感じであまりぞっとしなかった。10年記念隊コンサートのチマチマと丁寧なパフォーマンスの方が好きだな。
ついでに特典映像の「バックステージ映像」を見たが、名前と顔が一致しない人、初めて顔を見る人が大量にいた。旧キッズ(Berryz工房、℃-ute)で名前と顔がきちんと一致したのが夏焼雅と嗣永桃子、梅田えりかしかいなかったのだが、これは多いのか少ないのか。自分でも菅谷梨沙子を見分けられないとは思わなかった。
2007年10月14日
■ 美勇伝
モーニング娘。コンサートゲストの美勇伝について。ただのメモ。
昼公演、最後のMC、岡田唯「この私のためにわざわざお集まりいただき・・・」。
夜公演。最後のMC、岡田唯「(光井愛佳と岡田)関西コンビ二人のためにお集まりいただき・・・」。美勇伝リーダーの石川梨華および娘。メンバーにつっこまれ、訂正。「関西コンビとその仲間たちでした」。
石川梨華、美勇伝のMCコーナーで「六甲颪うたいましょう」。観客を煽って実際にうたわせてしまう。阪神タイガーズファンの石川梨華さん、いたく満足。
美勇伝、おもしろい。
■ リーダーとサブリーダー
初めてのモーニング娘。コンサートの続き。
前述の通り、席は昼公演の方が断然良かった。周りの雰囲気も(私の価値観では)断然良かったし、視界も良かった。その意味では昼公演だけの参加で良かったか、とも思った。しかし実際は夜公演まで見て、初めてこのコンサートの良さを再認できた。
昼公演はじっくりメンバー(かなり高橋愛多めで)の表情、踊りを観察できた。視界が開けていて、とても良かったのだが、ただいまいちこのコンサートの「プロトコル」をつかみきれないでいた。いや、このコンサート、というのは少し狭いかもしれない。実は新生モーニング娘。(高橋愛リーダー、新垣里沙サブリーダー体制)を私は理解していなかったのだと思う。
私はリーダー高橋愛を10年記念隊コンサートの安倍なつみに重ねようと見ていた。単にモーニング娘。リーダーと10年記念隊の実質リーダー格との比較にとどまらない。私の思うモーニング娘。「正史」では高橋愛こそが安倍なつみのモーニング娘。における正当な後継者だった。それ以外の娘。「エース」、後藤真希も石川梨華も安倍なつみとは重複している。彼女たちは「追加」であっても、「代替」ではなかった。しかし高橋愛はそうではない。安倍なつみ卒業後の初シングルで彼女は初めて娘。の「エース」として飛び出した。それ以前は「エース候補」といわれながらも、後輩の田中れいなに娘。シングル曲のセンターを先に奪われたりもしたが、安倍なつみ卒業を待っていたかのように、彼女は娘。の「エース」となった。併存しなかった二人の「エース」。安倍なつみの後継としての高橋愛。
抽象的な「エース」という意味では上の解釈は間違っていないと思う。しかし実質に担った役割は二人は全く別のものであった。その考えてみれば当たり前のことに、今日改めて気づかされた。
高橋愛は、これまた考えてみれば当たり前のことだが、後藤真希の後継だった。そして安倍なつみの後継は、これもまた今更書くにも当たらない自明のことではあるが、新垣里沙だった。
高橋愛は後藤真希にあこがれ、新垣里沙は安倍なつみにあこがれている。そして後藤真希は高橋愛をかわいがり、安倍なつみは新垣里沙をかわいがる(ついでにいうと後藤真希は安倍なつみを慕い、高橋愛と新垣里沙は強い仲間意識で結びついている)。この人的なつながりが今の娘。における役割にもそのまま反映しているのだ。
高橋愛は「美」を追求する。歌だけでも勝負できる歌唱力を持ちながら、そこにとどまらず、踊りにも執着を見せる。彼女の踊りは別次元だった。コンサートの中盤から少し大人っぽい振りのついた曲が続くや、完全に彼女の踊りはギアチェンジした。元々他のメンバーと比べ、肢体の伸び、腰の振り、明らかに違って見えたが、それが大人っぽい振り付けになると映える、映える。他のメンバーが「大人っぽい踊りを頑張って踊っているなあ、可愛いなあ」という感じなのに、高橋愛だけがこれが実にエロティックなのだ。MCその他では高橋愛が最年長メンバーだとかは全く意識しない。しかし特定の曲を踊っている高橋愛は、その限りにおいて、別次元に大人っぽく、美しく、「エロい」。その姿は後藤真希にそのまま重なる。歌だけでも十分勝負できるし、個人的にはそうしてほしい来もあるのだが、しかし踊りを含めた表現力は確かに一段抜けている。なるほど、確かに高橋愛は後藤真希にあこがれ、それを目指してきたわけだ。
一方新垣里沙は、自分とメンバー、そして観客全体を一つにすることに意識を注ぐ。抽象的な「美」とか「技術」ではなく、メンバーとの関係、そして何よりも観客との関係を彼女は第一に考えている。踊りも歌もすべて観客に対して向けられている。メンバー全体を意識しつつ、グループをまとめ、観客を楽しませること、そこに己の使命を見いだす。踊り歌う新垣里沙の笑顔の素晴らしいこと。そしてメンバーを見守る真剣なまなざし。10年記念隊の時の安倍なつみを思い出した。
昼公演の段階ではまだそこまで意識は出来なかった。昼公演で見た二人の様子、表情を思い出しながら、いささか視界の悪い夜公演を見ていたときに、ようやくこの構造に気づいた。昼公演での様々な光景が、実際に見ていたとき以上に輝いて思い出された。
■ 初めてのモーニング娘。コンサート
本日東京で初日を迎えた松浦亜弥コンサートのセットリストを見て微妙にへこみ、一方で今日大阪で開催されるモーニング娘。。コンサートの東京公演でのセットリストを見てこれまた微妙にへこむ。
松浦亜弥コンサート、昨年出た名盤「Naked Songs」の曲がほとんどはいっていない。特に今後の松浦亜弥の代表曲となると思っていた「Dearest.」がない。「ハピネス」もない。一方、私には全然思い入れのない「桃色片思い」とかその辺の曲が入っている。
昨年のシングルとアルバム「Naked Songs」を聴いて松浦ファンに「転向」した私にとって、昨年から進めてきた松浦亜弥の路線変更は大歓迎だった。なのに、セットリストを見る限り、だいぶん揺り戻しがあったように見える。残念だ。
一方、モーニング娘。コンサート。モーニング娘。初期の名盤「セカンドモーニング」からの曲が入っていない。当たり前といえば当たり前だけれど。ただ夏に開催されたモーニング娘。10年記念隊コンサートではこの辺の曲がたんまり入っていたので、何となくその落差に軽くショックを受ける。
松浦亜弥は最近の曲がいいのに、昔の曲が多く入り、逆に娘。は初期の曲が好きなのに、全然入ってこない。世の中うまくいかないものだ。いや、単に私が天の邪鬼なだけか。
まあ、松浦亜弥コンサートは初期の曲の他に最新アルバム「ダブルレインボウ」の曲が多く歌われるわけで、実はこのアルバムを今日買ってまだ聴いていないので、それを聴いてからだ。それに松浦さんはMCもおもしろいし、全体の雰囲気も好きだし、席は昼夜ファミリー席を押さえられたし、で基本的にはとても楽しみにしている。
一方、問題の娘。コンサート。実はモーニング娘。「本体」のコンサートに参加するのは初めてなのだ。そもそも「現場」に生きだしたのが安倍さんがソロデビューしてからで、それからずっと安倍なつみコンサートにしか行っていなかった。今年に入っていろいろ行きだしたが、春は何かと忙しくて安倍なつみコンサートの前日だかにあった娘。コンサートにまで手が回らなかった。そんなこんなで自分でも少し意外なことに初めての娘。コンサート。
席は昼は何とかファミリー席を押さえられたが、夜は一般席。三階最後方。まったり座って楽しむコンサートばかりに行っていたので、ファン層が「若い」(実は怪しい?)、踊ったりするのが楽しみで行く人が多い娘。コンサートは大いに不安。アウェイ感を強くもってしまう。ファミリー席で隣で踊られたりはしないだろうが、一般席で周りみんなが踊り出したらどうしよう。
ファミリー席が取れないのなら、昼公演だけにすれば良かった、と思うも、チケットを押さえた時点ではセットリストは不明。時々昼夜のセットリストが変わることがあって、私にとっては肝心の高橋愛ちゃんのソロコーナーが夜だけしかない可能性もある。というので、一般席しかとれなくても、夜公演のチケットを押さえざるを得なかった。
セットリストが判明する。昼夜、同じ曲が並ぶ。愛ちゃんのソロコーナーもしっかりある。そして曲は「踊りたい人」向けのセットリスト。記念隊コンサート良かったなあ、などとあまり意味のないことを思う。おまけの今週は別件で頭がいっぱい、とてもモーニング娘。に思いを馳せられる状態ではなかった。とても低いテンションで会場に行く。
ということで、初めてのモーニング娘。コンサートの感想文。まずは客席側の感想から。
昼のファミリー席はそれほど違和感はなし。基本的に座ってみたい、という人の心性は安倍なつみコンサートの客であろうとモーニング娘。コンサートの客であろうと大差はない、ということか。ただすぐ後ろはもう一般席だったのだが、MCの最中しゃべる、しゃべる。当たり前のようにしゃべる。なちコンでもしゃべる人はいるが、そういう人は完全に安倍さんが好きで来ているわけではなくて、単にハロプロファンとして結構適当な気分出来ている人が多いと思う。話している内容が目の前のコンサートとは無関係な雑談だからだ。もちろんそういう人は少数派だし、単にマナー知らず、コンサートに来るべき人ではなかった、というだけのことだ。一方、娘。コンサートではあちこちで当たり前のように話し声が聞こえる。しかもきちんとMCの内容に合わせてしゃべっている。自宅かどこかで友達と一緒にDVDを見ながら雑談しているノリ。こちらとしては正直勘弁してほしいのだが、娘。コンサートではこういうのは許されているのだろうか。
夜公演ではそれに加えて、こちらは想定の範囲内だが、踊る踊る。狭い客席でそんなに必死にならなくても、と思うぐらいに踊る。当然「私の席」の空間に平気で侵犯してくる。まあ、これに文句を言っても始まらないだろう。
ただ一つ覚えておいてほしいのは、三階一般席のこの界隈の人がよく使う言葉で言えば「糞席」だから、この言葉自体その「糞席」を毎回正価で買っている一般(FC会員ではない)ファンの気持ちを逆なでするものだと思うのだが、暴れてもいい、なんていう人がいて、暴れるためにあえて本当は前の席のチケットをもっているのにわざわざ後ろの席に来る人がいるが、大変に迷惑な話だ。踊りたいのなら、FC会員の多数いる前の席で踊ってください。地元で、純粋にモーニング娘。を見たくて足を運んだ一般ファンの気持ちを踏みにじらないでください。もちろんコンサートに踊りに来る、という人の気持ちを否定はしない。ただ「糞席」だから、暴れて楽しむ、というのは、その「糞席」でしかなかなか入れない地元一般ファンの気持ちを踏みにじる行為だと私は思う。
オークションなどというあまり褒められない方法でチケットを入手するのが当たり前の人にとってはその「糞席」は正価の何分の一の価値しかないのかもしれないが、オークションを利用しない人にとってはその「糞席」も正価通りの価値を持って、それだけのお金を支払って見に来ているのだ。私はオークションは主義として利用しないのだが、それは道徳大好きのハロプロファンからすれば正しい「主義」じゃないのかなあ。
と、まあ、不平不満ばかり並べたが、コンサート自体は、これがなかなかどうして、とても楽しいものであった。ということでいったん更新。楽しい話は別の記事を立てる。
2007年10月10日
■ お知らせ
本ブログのシステム、Movable Typeが限界。まともに更新できなくなってきた。
原因はどうやら手抜きで初期のまま使っていたBerkeleyDBの性能にあるようで、これをMySQLとかに切り替えるしかなさそうなのだが、これがどうにもあまりやりたくない作業なのだ。
しばらくはだましだまし使うが、今の仕事が一段落ついたら何らかの対処を行います。
■ 2ch化するネット言説
「2ch化する社会」なんて論文でも物したい、というのはここ数年来考えていることだが、それはここで書くことではないとして。
「ファンサイトしか見ない」と決めているのに、2ch的言説を目にするのはどうしたことか。ファンサイト掲示板に2chと同じのりで、どう考えても「通りすがり」ではない主張を「通りすがり」というハンドルで書き込む馬鹿どもはさしあたりどうでも良いとしても、かつて加護ちゃんの熱心なファンとして知られたハロプロファン?が2chレベルの記述を嬉々として自身のサイトに掲載しているのを見ると、腹立ちを通り越して何とも寂しくなる。人を毀傷する言葉としゃれとの区別がつかなくなる。どんどん言葉に鈍感になっていく。
2chの功罪という言い方はあろうと思うが、私は2chは有害である、と断言する方がよいと思う。「有害な書き込みがある」のではなく、2chの存在が人々の言葉を腐らせていくのだ。今回の件では2chは一切見ていないので、今回の件で改めてどうこうということはないのだが、前から主張しているごとく、「2chにはものは書き込まない」。
腐った言葉の中に埋もれた「まとも」な言葉、情報が2chを表面的に価値化してしまう。しかし2chはその仕組みにおいて悪貨が良貨を駆逐し、言葉を腐らせる仕掛けになっている。「まとも」な言葉、情報もまた腐った言葉を産出し、流出させる触媒となってしまう。
2chにものを書き込んではならない。
10/11追記
件の記事、こっそり書き直しましたね。どこまで卑怯な人なんだ。
2007年10月09日
■ リスク管理
究極のリスク管理法は車を運転しないことだ。
ま、単に私の生活信条であるだけなので、一般化して主張できる性質のものではないのだけれど。ちなみにどうでも良いが私は生涯喫煙と車の運転はしないことに決めている。飲酒はしますが、何か?
また買った車がいきなりRVって。「らしくない」という感想も見たけれど、私は逆に「らしいな」とは思いました。そういうのにあこがれる人ですよ、何となく。人から天然だ、頼りない、といわれるのに納得できなくて、彼女の理想の自己イメージは逆にしっかりしていて、かっこよくて、自立していて。車は単に便利だから、という以上の思い入れがあったという気がする。自己実現の一環。それ自体はとてもいじらしいことなのだけれど。
でも彼女にとっての一番大事な自己実現とはステージに立つこと。運転なんてものはそれとは比較にもなるまい。それはファンの思い入れの押しつけとかではないと思う。彼女がそのことにこれまでの人生を賭けてきたこと、それは彼女のこれまでの発言を見聞きすれば明らかだ。
それを脅かしかねないリスクを少なからず伴う「車の運転」なんてものはやっぱりやめておいた方がいいんじゃないか。
車で出かけたいときは妹さんに運転してもらえばいいじゃん、ってそれは違う。
■ 金欠
夏のハロープロジェクトコンサートのDVD。二枚組か。
二枚目だけで千円とかで売ってくれないかな。
2007年10月08日
■ 戦線離脱
普段は何にせよこういうことがあるとネットでの言説を観察して、それに対する己の言説的立場を決めるのだけれど。今回は無理です。卑怯だけれど安倍さんファンサイトのみを閲覧します。現実逃避。
ずるいけれど、ま、所詮は一ファンだし。
■ なにやってんだ
安倍なつみ、人身事故。
なにやってんだか。免許取ったばかりというのと、車どんなのを買おうか、悩んでいる、というのは聴いていたけれど、結局車買ってそうそうに事故かよ。
幸いあいては軽傷ということらしいけれども。
今更いうのも反則だが、免許なんて取ったら駄目だって。そんなにあちこち気を回せる性格も生活もしていないのに、何で免許取ろうと思ったのか。そこから根本的に間違っている。
なにやってんだか。
2007年10月01日
■ 空気が読めない
冬のハロプロコンサート、藤本美貴「都合により」欠席。公式サイトには本当にそうとしか説明されていないのだ。でも何が何だか分からないかというとそうではなく、ハロプロファンのおそらくほとんど全員がその「都合」という奴を理解できてしまう。
いや、本当には何も分からないのだ。事務所がファンの恋愛アレルギーに配慮したものか、事務所と藤本美貴の間にファンの意向とは無関係の軋轢があったのか、藤本美貴本人の意向があったのか。
ファンサイトの掲示板あたりではいつものごとく恋愛反対派とやらが「規範」を振りかざす。しかしそれがファンの一般的な傾向では断じてない。藤本美貴の人気は根強い。件の記事が出た後のGAMコンサートでも藤本美貴への声援は少なくなかった。藤本美貴に「裏切られた」などと思っている藤本美貴ファンは実はそう多くはあるまい。ただ恋愛などいかにもしなさそうなメンバーを探してそれを応援対象とする一部のファンが「伝染」などというような妄想を振りまいて非難しているのが目につくぐらいだ。
そんなことは普通にネットやら「現場」やらでファンの雰囲気を読んでいれば容易に理解できることだ。ファンの恋愛アレルギー、そんなものは大して力はない。そして事務所だってそのぐらいのことは分かっているだろう。
なのに藤本美貴を「干す」ということがファンの間でも、それに賛同・共感などしていない者たちの間でもいわば当たり前の決定として了解されてしまう。そして事務所はその当たり前の決定を下す。この空気はいったい何なのか。
事は事務所を非難して済むことではないように思う。そしてまたハロプロファンの恋愛アレルギーに原因を期すことも出来ない。ファンの思いとも事務所の利害ともずれた決定が当たり前のように流通していくこの空気。それ何なのかはよく分からない。
■ 恋をしちゃいました
アイドルに恋をしたっていいと思う。「疑似恋愛」なんて言葉もあったりするが、疑似ではなくて、本当に恋をしてしまってもよいと思う。恋をすれば、独占欲のようなものも持つだろう。相手の異性との関係に嫉妬もするだろう。そして恋愛話が表に出れば、振られたと思うだろう。
振られれば泣けばいい。それが客観的に惨めだろうと、「俺の青春を返せ」とでもわめけばいい。もっと見苦しく「俺が費やしたn万円を返せ」と言ってもいいと思う。どうせ振られた側は惨めなものだ。
そして本当に振られた者はそうして見苦しき姿をさらすか、あるいは格好をつけて、相手の幸せを願う、とか何とか言ってやせ我慢するものだ。そして多くのものは別の恋を探す。あるいはアイドルを「アーティスト」として応援している者に連なる。
あるアイドルの恋愛発覚を大仰に非難している者の多くは、実際にはそのアイドルに恋している者ではない。誰か別のアイドルに恋をしていて、そしてその恋がいつか確実に終わるという当たり前の予感におののいて、そのおそれから目を背けたくて、おそれを予感させた事象をもっともらしく非難しているだけだ。「僕が好きな某ちゃんに悪影響が出る」。
振られるのは誰しもいやなものだ。だから自分が恋をするアイドルの異性関係が無きことを願うのは当然だ。しかしそうした願いを正当化して「規範」を振りかざすのはあまりにも見苦しい。
クラブの女性に恋をして、その女性に恋人がいることが分かって、店に強硬にクレームをつける客がいたら、その客は店から出入り禁止を食らうのではないか。そうはならずともあまりにも無粋な言い分として誰にも相手にされるまい。まして同じ店の別の女性の恋愛が発覚して、「僕の某ちゃんに伝染するから、そいつを辞めさせろ」などといったら正気を疑われるだろう。
疑似恋愛対象となりがちなアイドルに恋が発覚すれば、人気面で打撃を受ける、それはある意味仕方のないことだ。だから事務所としては何とか対策を立てようとするところもあるだろう。それもある意味仕方のないことだ。しかしそれはファンが、正当な権利として要求するようなものなのか。「振られたくない」はいい。しかし「俺を振るな」は「疑似」であれ、恋としてはいかがなものか。
■ 冬ハロプロコンサート
想像してみよう。
中澤裕子、安倍なつみ、保田圭、矢口真里、後藤真希、石川梨華、吉澤ひとみ、藤本美貴、松浦亜弥、メロン記念日、前田有紀がそろったコンサートを(前田有紀は不要だとか言うな)。
なにやら仕事が入ったらしい後藤さんは仕方ないとして、いったい藤本美貴が何をしたというんだ?