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2007年10月14日
■ リーダーとサブリーダー
初めてのモーニング娘。コンサートの続き。
前述の通り、席は昼公演の方が断然良かった。周りの雰囲気も(私の価値観では)断然良かったし、視界も良かった。その意味では昼公演だけの参加で良かったか、とも思った。しかし実際は夜公演まで見て、初めてこのコンサートの良さを再認できた。
昼公演はじっくりメンバー(かなり高橋愛多めで)の表情、踊りを観察できた。視界が開けていて、とても良かったのだが、ただいまいちこのコンサートの「プロトコル」をつかみきれないでいた。いや、このコンサート、というのは少し狭いかもしれない。実は新生モーニング娘。(高橋愛リーダー、新垣里沙サブリーダー体制)を私は理解していなかったのだと思う。
私はリーダー高橋愛を10年記念隊コンサートの安倍なつみに重ねようと見ていた。単にモーニング娘。リーダーと10年記念隊の実質リーダー格との比較にとどまらない。私の思うモーニング娘。「正史」では高橋愛こそが安倍なつみのモーニング娘。における正当な後継者だった。それ以外の娘。「エース」、後藤真希も石川梨華も安倍なつみとは重複している。彼女たちは「追加」であっても、「代替」ではなかった。しかし高橋愛はそうではない。安倍なつみ卒業後の初シングルで彼女は初めて娘。の「エース」として飛び出した。それ以前は「エース候補」といわれながらも、後輩の田中れいなに娘。シングル曲のセンターを先に奪われたりもしたが、安倍なつみ卒業を待っていたかのように、彼女は娘。の「エース」となった。併存しなかった二人の「エース」。安倍なつみの後継としての高橋愛。
抽象的な「エース」という意味では上の解釈は間違っていないと思う。しかし実質に担った役割は二人は全く別のものであった。その考えてみれば当たり前のことに、今日改めて気づかされた。
高橋愛は、これまた考えてみれば当たり前のことだが、後藤真希の後継だった。そして安倍なつみの後継は、これもまた今更書くにも当たらない自明のことではあるが、新垣里沙だった。
高橋愛は後藤真希にあこがれ、新垣里沙は安倍なつみにあこがれている。そして後藤真希は高橋愛をかわいがり、安倍なつみは新垣里沙をかわいがる(ついでにいうと後藤真希は安倍なつみを慕い、高橋愛と新垣里沙は強い仲間意識で結びついている)。この人的なつながりが今の娘。における役割にもそのまま反映しているのだ。
高橋愛は「美」を追求する。歌だけでも勝負できる歌唱力を持ちながら、そこにとどまらず、踊りにも執着を見せる。彼女の踊りは別次元だった。コンサートの中盤から少し大人っぽい振りのついた曲が続くや、完全に彼女の踊りはギアチェンジした。元々他のメンバーと比べ、肢体の伸び、腰の振り、明らかに違って見えたが、それが大人っぽい振り付けになると映える、映える。他のメンバーが「大人っぽい踊りを頑張って踊っているなあ、可愛いなあ」という感じなのに、高橋愛だけがこれが実にエロティックなのだ。MCその他では高橋愛が最年長メンバーだとかは全く意識しない。しかし特定の曲を踊っている高橋愛は、その限りにおいて、別次元に大人っぽく、美しく、「エロい」。その姿は後藤真希にそのまま重なる。歌だけでも十分勝負できるし、個人的にはそうしてほしい来もあるのだが、しかし踊りを含めた表現力は確かに一段抜けている。なるほど、確かに高橋愛は後藤真希にあこがれ、それを目指してきたわけだ。
一方新垣里沙は、自分とメンバー、そして観客全体を一つにすることに意識を注ぐ。抽象的な「美」とか「技術」ではなく、メンバーとの関係、そして何よりも観客との関係を彼女は第一に考えている。踊りも歌もすべて観客に対して向けられている。メンバー全体を意識しつつ、グループをまとめ、観客を楽しませること、そこに己の使命を見いだす。踊り歌う新垣里沙の笑顔の素晴らしいこと。そしてメンバーを見守る真剣なまなざし。10年記念隊の時の安倍なつみを思い出した。
昼公演の段階ではまだそこまで意識は出来なかった。昼公演で見た二人の様子、表情を思い出しながら、いささか視界の悪い夜公演を見ていたときに、ようやくこの構造に気づいた。昼公演での様々な光景が、実際に見ていたとき以上に輝いて思い出された。
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