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2006年06月30日
■ 卒業ソング
今回は忘れずに買ってきましたよ。「Ambitous!野心的でいいじゃん」、DVD。危うく忘れるところだったけれど。
PVのメイキング、最後のところで紺野あさ美さんと他のメンバーが抱き合っているシーンを見ていると、これまでなんだかんだ抽象的にしかとらえられていなかった(ライブに行った人はまた違うだろうけれど、メディアを通してしか見ていないとなかなか実感がわかない)「卒業」がようやくリアルに感じられてしまって、切なくなった。
この曲のファンサイドの評価の体勢はよくわからないのだけれど、おちゃらけた感じの曲なのに、どこかしら物悲しい響きがあって、卒業ソングとしてなかなかの出来ではないか、と思ったりする。
■ 安倍なつみの進む道
もうそろそろここでの更新は打ち切る予定なのだけれど、とりあえず旬の話題はしておかないと。
ということで、ようやく買ってきました。安倍なつみ「ストレス」。もう「はまぞう」とかはてなの事業に協力する気はないので、文字だけのご紹介。
PVがいろいろ評判のようですが、未見。DVD発売を楽しみに待ちますが、やはりこの曲のラディカルさは映像込みの方が映える気がして、折角の企画ものなのだから、勢いでPV付きで発売したらよかったのに、と思う。PVが後で発売されても、CDの宣伝にはなりはしない。少し惜しい気がする。
基本的にはもう売り上げ云々を気にする感じでもないのだろうとは思っている。一般論として「アイドル」としての旬はとっくにすぎている。後は「表現者」としてどういう方向に進んでいくか、それはどの「アイドル」も一様に選択してきた道だ。結果的に松田聖子や小泉今日子のようにずっと「アイドル」としての道を突き進む人もいるけれど、それも結果としてそうなったというだけのことだろう。そしてさしあたり「アイドル」としてCDを売ってきた限り、「アイドル」としての限界はCD売り上げにも直結するのも詮無きことだ。安倍さんの場合、特にいろいろあって、いろいろな要素が絡んで、「方向性」というのはなかなか見えてこない(矢口さんの場合はわりとすんなり「バラドル」という90年代前半の脱「アイドル」化の道をうまくなぞれている)。
先日適当にブログをぱらぱら見ていたら、「ハロプロ」ファンではないいわゆる「一般人」が偶然娘。DOKYU!の絵流田4丁目の安倍さんの演技を見かけた際の感想を書いていて、その演技力に感心して「コメディエンヌ」になれ、と書いていた。例えばそういうのも含めた、独特の表現の世界を彼女は作りうる、とそう思えるから、ファンとしてはもうしばらく、じっくりお付き合いをするよりあるまい。
■ パチンコ
松浦亜弥さんがパチンコのキャラクターになる、ということで、某大手ファンサイトの掲示板でも紛糾している。そんなにパチンコ嫌いな人が多かったんだ。娯楽の一種としてしっかり根付いているものと思っていたけれど、嫌悪感を丸出しにする人が結構いることに何となく驚く。
私はと言うと、タバコとパチンコには一生関わらないように生きることにしているので、要するに全然好意的ではないのだけれど、それでもパチンコを批判するのにいちいち北朝鮮の名を出さずにいられない人っていうのは何なのかな、と思う。松浦亜弥というハロプロの至宝がパチンコの宣伝をする、というのに対する批判をする、というのは共感できなくないけれど、北朝鮮批判をやりたいのなら松浦亜弥の件とは別にやれよ、と思うし、松浦亜弥のイメージ戦略にもの申したいのであれば、パチンコというものの持つ文化的表象それ自体を論じなくては意味がない。北朝鮮の名を出せばとりあえず対象を貶められる、という思考はあまりにもさもしい。娘。ファンサイトの掲示板でいちいち排外主義を煽らないでほしいよなあ。
2006年06月24日
■ エロティック
とりあえず後藤真希「ガラスのパンプス」DVDは入手。んー、「エロティック」というにはやっぱりまだ表情が幼すぎるな。あとN年待て、という感じでしょうか。といっても4年待っても全然「エロス」を表現できない人もいますので、待っても無駄かもしれませんが。
■ 反省
いやはや、参りました。
某キーワードに関して編集に関わった方をまとめて批判しましたが、その中で最後に議論をしていた方はとてもまともな主張をなさっていた、ということに最後に「分かった」。件のキーワードの存続に関しては私は未だ問題意識を持っていますが、とりあえず、その削除待った!、という主張自体はもっと慎重に傾聴するべきでした。
というわけでtriptych1989さんには数々の失礼な対応をしたことを深くお詫び申し上げます。
キーワード全体に対する私の主張自体はまた改めてまとめたいと思います。論点は「主観」と「客観」、「具体」と「抽象」そして立場の「一貫性」です。概略をいうと、キーワード編集(作成、削除を含む)に「客観」性を要求するのは違うのではないか、それらはそのキーワードの対象に関わるものたちの「主観」的な思いのもとになされてしかるべきものである、ただし、自分と同じレベルの主観を相手も持っている、それゆえ最低限の一貫性は保持しておかないと、自分にとって不快なものは削除するが、他人にとって不快なものの削除は許さない、ということを相互にやり合う、およそむちゃくちゃな「闘争」状態に入ってしまう。
ただキーワード削除基準が現状、人によって違っており、その部分での諍いが生じるのはどうにもやむを得ないところだと思います。つまり「お互い不快なものは極力削除してしまいましょう」という立場と「お互い不快なものであっても情報は極力残しましょう」という立場はいずれも双方とも一貫性を持っており、いずれが妥当とも言い難い訳です。
この両者の対立に対しては私も悩むところです。基本的には私は後者の立場ではあるのですが、しかし後者の立場を取るものには、しかしそれだけに絶対に忘れてはならない重要事項があると思っています。それはたとえ一人であっても、その言葉で深刻に傷を負うものがいるのであれば、それには最大限の配慮が必要である、ということです。もちろんこれもまだ非常に曖昧なものです。「深刻な傷」というもの自体が流動的なものであるからです。しかし大原則としてはこの事項を考慮に入れておかないと、一つ間違えれば、無神経なマジョリティによる集団いじめのような現象を生成する危険性が出てきてしまう。
それでは前者と後者の対立がなくなるではないか、というとそうではありません。上の留意事項は、たとえ一人でも当事者の深刻な告発は尊重せよ、ということを言っているのであるのに対して、前者(不快とおぼしき情報は極力削除)の主張はより抽象的なレベル/段階での判断を要求するものなのです。そしてその抽象的なレベルでの判断とは、しばしば「常識」を根拠とする。それでは逆に「たとえ一人」の深刻さを取り逃がす危険性をもってしまう、私はそのように考えているのです。
未だまとまっていませんが、また後で考えたいと思います。
2006年06月20日
■ ヒトリゴト
なんか梅雨時のためかどうだか知らないが、蠅が集って困っている。ここぞとばかりに「その周辺」の連中が集るんだよな。しかもなぜだか順序よく。
こういう蠅が集まる場所からは早く逃げ出したいのだが、いかんせん時間が取れない。
■ 教訓
後藤真希「ガラスのパンプス」初回版を買いそびれた教訓を生かして、今日はやるべき仕事を放り出して、買いにいきました。
例によって梅田ディスクピア。午前中に行ったので在庫は十分ありましたが、それでもそれほど余裕はなかったかも。とりあえず付録のDVD、ライブ映像はいずれライブDVDとしてキチンと全部収録されるはずなので、そちらを待ってもよいのだけれど、「スペシャルコメント」というのがいい。特にその3部、五期メンバーだけのおしゃべり、これだけでもうお腹いっぱい。屈託なく「卒業」の話をする彼女たちを見ていて、ようやく「腑に落ちた」気がする。
曲自体はまだじっくり聴いていない。そもそも「ガラスのパンプス」およびそのカップリング自体きちんと聞けていない。さっさと仕事のめどを付けろ、と。
とりあえずは儀式ということで「ガラスのパンプス」も含めて、iTunesに入れて、まずは満足、したところでふと思い出す。
そういえば「ガラスのパンプス」PVのDVDって今日発売じゃなかったっけ?あれ、買ってないや。完全に忘れてた。
2006年06月19日
■ チャンス大
どうでもいい話なのですが、日本テレビ一万人調査恋人にしたいタレントランキングなるくだらない番組の、くだらない結果をなぜか確認してしまったのですが、まあ安倍なつみさんとか高橋愛さんは倍率1万を超えているようなのでどうでもよいとして、倍率1000以下の大谷雅恵さんにはなんだかとてつもなくチャンスがあるように思ってしまった私はおかしいのでしょうか。
■ 遅ればせながら
遅ればせながら買ってきました。
後藤真希、二週間前の新曲「ガラスのパンプス」。
もちろん初回版ではありませんでした。それでも私がその店の最後の一枚を買いました。もっと入荷してください。
歌詞カードの後藤さんの全身が写っている写真は安倍さんの写真集の水着のカットを含むどの写真よりもエロティックでした。
ということで数日前になっちこと安倍なつみさんの写真集
も購入済みです。写真集については別途書く予定です。
■ えせファン
あれ一つじゃなかったのか。。。
唐突だけれど、私は競走馬の中ではマヤノトップガンというのは結構好きなのだ。
そのキーワードの編集履歴を見ていて、がっくり来た。トップガンをいじっている最中に、あのくだらないキーワード群を登録したり、それを削除しようとしたファンに罵声を浴びせていた訳だ。。。
まだいっぱい残ってますな。idは削除しているから、言うまいと思ったけれど、あまりにひどすぎる。
■ ハロモニ。
ハロモニ。三チーム対抗でクイズ。
なっちチーム。
亀井絵里、辻希美、安倍なつみ、高橋愛、田中れいな。
なんか神が宿っているようなチームなのですが。
ついでに何となく安倍さんが向かって右ばかり見ているような気がしたのは気のせいでしょうか。
■ 愛あらば
本当はいけないのだけれど、某所でゴニョゴニョした音源から
今回のこの乙女チックバンクツアーは本当にいつもよりも思い入れがちょっと違ってなんかちょっと、言っちゃだめかもしれないんだけど、でも、本当に結構がんばらなくちゃな、って自分でいっぱい自分自身の心の鞭を打って、負けないようにがんばらなくちゃって思ったときがいっぱいあって、でもいつも会場に来ると支えてくれたスタッフさんだったり、いつも自分が考えている以上というか、想像している以上の声援をくれて、そしてライブが終わったら、なっち最高なっち最高って、みんなの笑顔を見ていたら、なっちはいつもああ負けてられないなと思って、これからもっともっと歌でいっぱい表現して愛を伝えなきゃなって、毎回思って、また明日からも新たな気持ちでがんばれる。本当に今回の乙女チックバンクツアーは最高なツアーでした。本当にスタッフさんそして今回のツアーに足を運んでくれたたくさんのファンの皆さん、目に見えないところでいっぱいなっちを支えてくれたたくさんの人、本当にたくさんたくさんの人に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
2006年06月15日
■ コミュニケーションを全力で拒絶するもの
「話せばわかる(はず)」という前提が実は一番暴力的なのだ。
話してもわからないことがある、システムというものはその可能性をどこかに含み込んでおくことによって、逆にその幅の広さを持つことも出来るものだ。
コミュニケーションを全力で拒絶しているものに「話し合いで解決」などというのは偽善にもならない。もしその対象に何かできることがあるとすれば、それはただその全力で拒絶する意志を作り上げたものが何であるのかを想像することだけである。そしてコミュニケーションを全力で拒絶するという態度は、「話し合いで解決」なる欺瞞への抵抗を含んでいるのではあるまいか。
いずれにせよ、コミュニケーションを全力で拒絶しているものへの最後になしうるコミュニケーションとは、拗くれた態度に執着するその主体を消去することだ。酷薄なようだが、しかし「執着」への固着からの解放してやるにはそれよりない。
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トラックバック代わりに
2006年06月12日
■ ごまパワー
はっきり言ってなめてました。ごまパワーを。
後藤真希のシングル「ガラスのパンプス」、どこにも売ってません。
まず間違いないだろうと思っていた梅田17番街ディスクピアにも影も形もなし。初回版の入手はもはや不可能のようだ。
関西のファンが東京で行われるシークレットライブのためにそこまで買い集めるかね?いくら無料で参加できると言っても、東京までの交通費が馬鹿にならないのに。
まあ、どうせその日は仕事があるので東京まで行けるはずもないし、あきらめるとしよう。
■ 移転について
できればこれまでと違うシステムを使いたい、ということで定番のMovable Typeを使おうと思っているのだが、我が貧弱なるサーバ、データベースを使うためか、どうにも動作が重い。また大規模なシステム故、全容がなかなか見えず、カスタマイズするのもちょっと苦労しそうだ。という訳でもう少し研究中。
■ なちピンク
私は赤系の色が好きだ。さらにいえばピンクも好きだ。ピンクと言ってもメタリックな感じのものとか少しくすんだ感じのものが好きなのだが、何にせよピンクも結構好きなのだ。携帯もピンクだし、iPod miniもピンクだ。
しかし女性の好みでいうと好きな色は「白」とか「黒」とか「紫」とかいう女性の方だ。「ピンクぅ」とかいうのは、道重さゆみを知って以降結構好きにはなったのだが、それは道重さゆみにだけ許された特権だ。
と書いて、あわててネットで検索する。
安倍なつみ、好きな色「白」。これは検索しなくても知ってました。
高橋愛、好きな色「ピンク、黒、茶、白、グレー」。何だこのむちゃくちゃな組み合わせは。
大谷雅恵、好きな色「黄色」。ふむ。何も言うまい。
という訳でむちゃくちゃな人を一人のぞいて、まあそれなりにいい感じなのだが、それはさておき。
一昨日のコンサート、安倍なつみは、それこそ「これぞアイドル」と言う「ぶりぶり」(死語)のピンクの「フリフリ」(死語)のドレスを着て歌っていた。もうすぐ25になろうという人がその衣装、でも誰も違和感を感じなかった(嘘、私は結構感じてました)。少なくとも本人は何の違和感も感じさせずに、堂々とピンクの「フリフリ」のドレスを着こなす。「ぶりぶり」のアイドルが好きかどうかなど問題ではないのだ。それを平然と、何のメタメッセージも送らず(例えば同じく平然とそういう衣装を着こなす力を持っている松浦亜弥は、しかし「私アイドルやっています」というメタメッセージを送ってくるものだ)、それが当たり前のものとしてやってしまえる力、それが安倍なつみの力なのである。
2006年06月11日
■ 安穏な激しさ
高野ヒロシさんが安倍なつみのアルバム「2nd ~染みわたる想い~」への感想として
私がこのアルバムから受け取った印象を非常に大まかに幾つかの言葉で表わすならば「女性」「安穏」「諦観」みたいなものでした
と書かれているのを読んで、なるほどと納得した。かつて小倉千加子さんが山口百恵の後期の作品を評して伝統的日本女性へ回帰してしまったというようなことを言っていたことがあるが、それとも通じるものがある。穏やかなメロディーに過去を振り返り、懐かしむ歌詞の世界。
そして考えてみれば「安倍なつみ」においてはある意味、それは一貫してそうであったと言うべきではないのかとも思う。彼女のソロ色が強い初期の作品「ふるさと」、モーニング娘。セカンドアルバム収録曲「せんこう花火」、つんくが彼女に与えた世界は当初からそういうものであった、と私には思われる。そうした意味で私は彼女の娘。時代の(実質)ソロ曲を楽曲として評価してこなかった。
考えが変わったのはいつぐらいだろう。いつしか、私にとって重要なのは表現された世界そのものではなくて、安倍なつみの、何かを表現しようとするその意思、姿勢である、と感じるようになった。楽曲それ自体は「「女性」「安穏」「諦観」みたいなもの」なのだが、そしてそれが確かに安倍なつみによって表現されているのだが、表現されたものではなくて、表現する意思のレベルにおいてはそこに収まらない激しさのようなものが私には感じられたのである。「安穏」な世界を作り上げる激しさ。それをアルバムにおいても、そして今回のコンサートにも感じた。
2年前のコンサートの自由にして「ぐだぐだ」な世界は安倍なつみの持つ独特の世界である。そしてまた今回のコンサートのように作るべきものをきっちり作り上げるその「強さ」もまた安倍なつみの持つ世界である。
■ キーワードはだれのものか
なかなかまとまった時間が取れないので、論点を思いつくままに書き連ねる。
私はある個人が芸能人なり著名人なり、そうではなくても何かしらの表現物の作者およびその表現物に対して、辛辣な批評を行い、それを「誹謗中傷」だと受け取る人が現れても、それはそれで仕方がないと思う。不満があれば、不満に思う人が自ら場を設けて反論するよりないことである。もっとも表象されたものではないゴシップネタのようなものはまた別の評価となるだろう。
重要なのは、その批評を行ったものが誰なのか、その批評文の文責が明確なことである。「誰」と言っても本名が明らかになっているとかそういうことではない。筆名であれ、ハンドルネームであれ、場合によっては書き捨てのための仮名であっても、その内容の責任の所在ははっきりしている。書き捨ての仮名で書かれた内容にはそれにふさわしい評価付けがなされるだけのことである。それもまた文章表現に対する一つの責任の負い方ではあるのだ。
その意味では、匿名掲示板に書き連ねられる内容もまた、文責ははっきりしているのであって、それは確かに掲示板運営者とは別の存在である。もちろん掲示板運営者には運営者としての責任は問われるし、現に負っている。しかしそれは書き込まれた内容に関する文責とは別の責任である。その意味で匿名掲示板運営者が、自分たちはインフラを提供しているにすぎず、内容には関知しない、と仮に言うのであれば、それはそれで筋が通っている(そうであるからにして、例えば「電車男」の著作権を2ch運営者が主張することもなかったはずだ)。
はてなのキーワードはそうではない。このシステムは複数の者が一つのキーワードを共同して編集するものであって、個別の編集者が今あるキーワードの内容に関する責任を負うのは難しい。そしてまた権利を主張することもできない。実際、はてなユーザ以外の者がはてなキーワードを見れば、その編集履歴は隠されており、単に「はてな」のキーワードとしてしか認識されない。またはてなダイアリーガイドにおいても明確にキーワードの知的財産権ははてなに帰属するとうたわれている。こうした意味においてキーワードの内容を語っているのは「はてな」自身でしかあり得ないのだ。キーワードに特定の主張が掲載されたとする。その主張が掲載されている限りにおいて、その主張は「はてな」が語っている。果たしてはてな運営サイドにはその自覚があるのか。語り手としての責任を全うする覚悟があるのか。
そしてはてなに登録された数多くのキーワードはネットの検索エンジンなどの働きによって、多くのネット利用者のアクセスをはてなに引き入れる役割を負っており、それ自体は全く正当なことであるが、運営者である株式会社 はてなはそれを元に収益を上げている。その意味ではてなは確かにキーワードを所有しており、その所有権を行使しているのだ。
権利のみを得て、責任を果たさないとすれば、「搾取」とのそしりは免れがたい。はてなはキーワードの所有者としての権利を主張し、かつ行使しているはずだが、一方でキーワードの語り手としての責任を果たしているのだろうか。その責任をユーザ相互の「意見交換」を尊重するといった美名の元に投げ出しているだけではないのか。
2006年06月10日
■ 移転検討中
はてなからの移転先は現在検討中。自前のサーバを使うということも含めて。ただどのシステムを用いるか、折角だからMovable Typeにしようか、これまで別に運用してきたPHPベースのシステムにするか、など悩みの種は尽きない。
移転しようと思ったのは、単に一つのキーワードの問題ではない。それは契機とはなったが、理由はもっと別にある。私ははてな運営側の考える民主的言論とでもいうべきもののあり方に対してある疑念を持っているのだが、そしてその疑念は突き詰めれば、はてなキーワードシステムを運営するのに必要な責任を放棄することによって、結果的にユーザによるキーワード編集の成果を搾取しているのではないかというところにつながるのだが、その議論をまとめるのにはもう少し時間が必要。4月5月働き詰めの分の休みももう終わり、またしばらくは仕事をしなければならず、この作業をする時間がなかなかとれそうもない。
まずは契機となったそのキーワードの行方は見守る。はてな運営側が口にするユートピアは果たしてネット言論に到来するのか、一つのケースとして観察しよう。
■ 染みわたる
まだ場所が確定していないのでもうしばらくこの場を使って書く。
昼、夜と安倍なつみコンサートに参加。よいコンサートであった。
少し前に客の服装に少し不満を言ったが、今回は全然そんな風には感じなかった。一つには前回の大阪の会場であったグランキューブと今回の会場である厚生年金会館の差があるのかもしれない。グランキューブはずいぶんかしこまった感じの会場で、明らかにネクタイ背広がよく合う会場であった。別に「アイドル」のコンサートにそのような服装が必要だとはもちろん思わない、ただ会場の醸す雰囲気がそうであったというだけのことだ。それに比して厚生年金会館は、前に公園があることもあって、大勢のファンの存在がそれほど違和感を醸し出してはいなかった。そしてそう思ってみて見れば、「街中を歩きづらい」と思えるような格好をしている人はごく少数で、大方の客は街中どこにでもいるような出立ちであった。
昼は一般席であったということもあって、他の人が手拍子をしているところでは極力追随するようにした。リズム感が悪いので間違えないように気を使う。夜はファミリー席ということで、じっと座って歌を聴くことに専念。
やはりライブというのは盛り上がった方がよいと思う。そういう意味ではがんばって応援する人に私は感謝している。私は、特に夜は、ひたすら自分の世界に浸っていた。すると歌詞が頭に入ってくる。今進行しているライブとは別に、歌独自の世界が出来上がってくる。そういう歌が今回は多かったし、また安倍なつみの表現もそういう表現であった。昼よりも夜にそれを感じた私は、得をした、と感じた。同時に、がんばって応援している人に対して、一方でそれでは歌をじっくり聴けるまい、勿体ないな、と思い、また一方で、私がサボタージュしているのに比してがんばってライブを盛り上げていただいて、ありがたい、とも思った。
毎年安倍なつみのコンサートは変化していっている。プロとして作るべき世界を作る技術は年々目を見張るほどに向上しているように感じる。コンサートのテーマがはっきり見え、コンサートを通じて歌い手として何を表現したいのかがきっちり伝わってくる。安倍なつみは確かに「歌」をこそ届けたいと願い、それが実現されているのだ。
一方で、安倍なつみが安倍なつみとしてそこにいる、という、歌などとは少しずれた独特の世界の表出に関しては減少しているように思われた。ゲストの違いも大きいのかもしれない。中澤裕子、保田圭は「なっちの世界」を理解し、それにつきあい、支えることを是としていた。カントリー娘。はそれよりも「プロ」としてありうべきライブを作り上げる方向に向かっていたように思った。そして飯田圭織。この人はやはり「主役」を張るべき人なのだと思った。中澤裕子、保田圭が主役として不足だ、などといっているのではない。そうではなくて、彼女たちはただ「なっち」をささえてやるだけの鷹揚さを持っているのだが、飯田圭織はそれよりももう少し「野心」的なのだ。モーニング娘。在籍の最後の方はそうした「野心」が消えてしまったかのように感じることも多かったが、かつてのライバルと一緒にステージに上がるとまた違ってくるのか、彼女の意欲のようなものがよく伝わってきて、嬉しかった(特に夜の部で歌った「パピオン」、好曲であった)。そしてそうした意識は、安倍なつみにも作用して、「ぐだぐだ」ではいられなくなったようにも思うのだ。主役二人が歌の表現でぶつかり合う世界、そういうコンサートであった。
不満が無かったかというといろいろある。生演奏をもっと拡大してもよかったのではないか、折角奏者を呼んできたのだから、基本そっちをベースにコンサートを作ることもできたはずだ。今回のコンサートは生演奏は安倍なつみというよりはどちらかというと飯田圭織のためのもの、という作りになっている。安倍なつみの歌の表現として、もっと生演奏は重視してもよいと思う。
また安倍なつみと飯田圭織が二人で歌う曲、「夢の中」は非常に良い選曲だと思ったが、もう一曲がなぜ「恋愛戦隊シツレンジャー」なのだ?カントリー娘。とのときはカントリー娘。の若さがよく引き立ってよい選曲だと思ったが、飯田圭織とのデュオにこの曲は意味が無い。折角飯田圭織がゲストで来ているのだ、たった二曲しかない二人で歌う貴重な曲である、ファンにとっても、歌い手にとっても、安倍なつみ、飯田圭織、二人への思い出がこもった曲をこそ歌ってほしかった。「恋愛戦隊」では飯田圭織への思い出を想起しようもない、勿体ない限りであった。
■ またもや不戦敗
同じハロプロなのだから、会場に売っているだろうと思っていた後藤真希新曲のCD、売っていなかった。ということで、当然のことながら、買えなかった。帰りはCD屋に寄る暇がなかった。
どうせ30日は仕事だから当たっても行けそうもないのだけれど。
2006年06月08日
■ 不戦敗
一仕事終わってそれなりに時間があるはずなのだが、そうなればそうなったでヒッキーに逆戻り。
火曜日、水曜日は引きこもっていたので、今日仕事帰りに買いに行った。
売ってなかったよ。まあ、覚悟はしていたけれど。明日もっと大きなCDショップに買いにいくか、あるいは土曜日、なちコン会場で買うか。売っているよね、同じハロプロだし。
■ 店じまい?
さる理由ではてなを退会、ないしここの更新は停止する可能性あり。
さるキーワードではてなに問い合わせをしているが、その回答次第では上記行動をとるより無い。