重層的非決定?

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2006年06月10日

■ 染みわたる

まだ場所が確定していないのでもうしばらくこの場を使って書く。

昼、夜と安倍なつみコンサートに参加。よいコンサートであった。

少し前に客の服装に少し不満を言ったが、今回は全然そんな風には感じなかった。一つには前回の大阪の会場であったグランキューブと今回の会場である厚生年金会館の差があるのかもしれない。グランキューブはずいぶんかしこまった感じの会場で、明らかにネクタイ背広がよく合う会場であった。別に「アイドル」のコンサートにそのような服装が必要だとはもちろん思わない、ただ会場の醸す雰囲気がそうであったというだけのことだ。それに比して厚生年金会館は、前に公園があることもあって、大勢のファンの存在がそれほど違和感を醸し出してはいなかった。そしてそう思ってみて見れば、「街中を歩きづらい」と思えるような格好をしている人はごく少数で、大方の客は街中どこにでもいるような出立ちであった。

昼は一般席であったということもあって、他の人が手拍子をしているところでは極力追随するようにした。リズム感が悪いので間違えないように気を使う。夜はファミリー席ということで、じっと座って歌を聴くことに専念。

やはりライブというのは盛り上がった方がよいと思う。そういう意味ではがんばって応援する人に私は感謝している。私は、特に夜は、ひたすら自分の世界に浸っていた。すると歌詞が頭に入ってくる。今進行しているライブとは別に、歌独自の世界が出来上がってくる。そういう歌が今回は多かったし、また安倍なつみの表現もそういう表現であった。昼よりも夜にそれを感じた私は、得をした、と感じた。同時に、がんばって応援している人に対して、一方でそれでは歌をじっくり聴けるまい、勿体ないな、と思い、また一方で、私がサボタージュしているのに比してがんばってライブを盛り上げていただいて、ありがたい、とも思った。

毎年安倍なつみのコンサートは変化していっている。プロとして作るべき世界を作る技術は年々目を見張るほどに向上しているように感じる。コンサートのテーマがはっきり見え、コンサートを通じて歌い手として何を表現したいのかがきっちり伝わってくる。安倍なつみは確かに「歌」をこそ届けたいと願い、それが実現されているのだ。

一方で、安倍なつみが安倍なつみとしてそこにいる、という、歌などとは少しずれた独特の世界の表出に関しては減少しているように思われた。ゲストの違いも大きいのかもしれない。中澤裕子、保田圭は「なっちの世界」を理解し、それにつきあい、支えることを是としていた。カントリー娘。はそれよりも「プロ」としてありうべきライブを作り上げる方向に向かっていたように思った。そして飯田圭織。この人はやはり「主役」を張るべき人なのだと思った。中澤裕子、保田圭が主役として不足だ、などといっているのではない。そうではなくて、彼女たちはただ「なっち」をささえてやるだけの鷹揚さを持っているのだが、飯田圭織はそれよりももう少し「野心」的なのだ。モーニング娘。在籍の最後の方はそうした「野心」が消えてしまったかのように感じることも多かったが、かつてのライバルと一緒にステージに上がるとまた違ってくるのか、彼女の意欲のようなものがよく伝わってきて、嬉しかった(特に夜の部で歌った「パピオン」、好曲であった)。そしてそうした意識は、安倍なつみにも作用して、「ぐだぐだ」ではいられなくなったようにも思うのだ。主役二人が歌の表現でぶつかり合う世界、そういうコンサートであった。

不満が無かったかというといろいろある。生演奏をもっと拡大してもよかったのではないか、折角奏者を呼んできたのだから、基本そっちをベースにコンサートを作ることもできたはずだ。今回のコンサートは生演奏は安倍なつみというよりはどちらかというと飯田圭織のためのもの、という作りになっている。安倍なつみの歌の表現として、もっと生演奏は重視してもよいと思う。

また安倍なつみと飯田圭織が二人で歌う曲、「夢の中」は非常に良い選曲だと思ったが、もう一曲がなぜ「恋愛戦隊シツレンジャー」なのだ?カントリー娘。とのときはカントリー娘。の若さがよく引き立ってよい選曲だと思ったが、飯田圭織とのデュオにこの曲は意味が無い。折角飯田圭織がゲストで来ているのだ、たった二曲しかない二人で歌う貴重な曲である、ファンにとっても、歌い手にとっても、安倍なつみ、飯田圭織、二人への思い出がこもった曲をこそ歌ってほしかった。「恋愛戦隊」では飯田圭織への思い出を想起しようもない、勿体ない限りであった。

投稿者 althusser : 2006年06月10日 00:00

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