重層的非決定?

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2004年10月31日

■ イラクのこと

語らないこと自体がひとつの意味を持つ気もするが、いまは語るべき言葉を持たない。「テロリストの思惑に乗らないように、冷静に受け止めよ」という主張があるが、それには同調はしない。むしろ今回の事態は普通に衝撃を受けたし、それはそのものとして受け入れるものだと思う。こうした事態が衝撃すらもたらさない状況のほうがはるかに恐ろしいと私には思えるからだ。

今はそこまで。

■ 前田有紀イベント

仕事で東京に来ている。明日からの仕事で前日の東京入り。前回の東京入りの前には奈良でなちコンに参加したが、今回はなちコンDVDを購入などのために秋葉原に行く。

石丸電気の前を通ると人だかり。なにやら演歌のイベントをやっている。ポスターをよく見ると出場歌手の中に前田有紀の名が。Salt5でなっちが世話になった(笑)関係で、なんとなく親しみがわいて、イベントに参加することにする。

演歌歌手といってもハロプロとはさすがなもので、きちんとヲタ然としたファンが集まりだす。やはりやや年齢層は高めだが、演歌一般に比べるとやや若い。そしてハロプロとはさすがなもので、演歌など聴かない私でも知っている曲が2曲もあって、それなりに楽しめる。さらにさらにハロプロとはさすがなもので、そういったハロプロになじみの曲は良くも悪くもしっかり盛り上がる。味噌も糞も一緒にした戦略、それなりに成功しているじゃん、と妙に納得する。

私も勢いに負けて?、直筆サイン、握手会付のCDを購入。予定数を上回ったようで、最後のほうの人はサイン色紙がなくなり、CDジャケットに直接サインをもらっていた。前田さんも関係者の人たちもヲタたちもみな嬉しそうだった。

その次の「アイドル演歌歌手」という肩書きの人、ハロプロではないと客層がらりと変わり、一気にお年寄り(失礼)ばかりになった。やはりハロプロとはさすがなものだ。

■ 理論の反復

美しい。というのは皮肉に過ぎるのだろうか。社会学理論がこうも見事に現実を言い当てていると、なんだか悲しさを通り越して笑いさえこみ上げてくる。

差別理論にあるセジウィックの「クローゼットの認識論」。ある権力磁場の元では従属的な立場にいるものが可視化され、見世物化され、ますます従属的な立場に追いやられる。今は出先なので詳細は確認できないがそんな筋書き。

島田紳助の一件を聞いて、すぐにそうなるだろうな、と予測がついた。そして実際にネットでいろいろ見て回ると見事にそういう言説空間が成立していた。散々やっただろう、横山ノック事件で。ネットでものを物す一人として、わずかでも抵抗しておこうと思った。

私は告発を100%字義通りに信用せよ、などといっているのではない。被害者は被害者なりに、加害者は加害者なりに、少しでも己に有利になるようにものを申す。それは当然のことだ。ただ告発というのは、「直訴は死刑」という心性をいまだに引き継ぐ日本においてはとりわけ、非常な困難を伴うものだ。現にこのマネージャーだって、批判している人がそう期待しているように、どう考えても会社内での立場は悪くする。意地で簡単にやめるまい、とは思うが、針の筵だろう。それをさらに周りの言説が包囲する。告発を疑問視し、告発者を可視化しようとする言説は逆に、例えば紳助がもし本当に暴力を振るっていたのなら、どのみち裁きを受ける、だからそれに関してはもういいではないか、などとして「加害者」を守ろうとする。しかしそれを可能にするためには、最初の「告発」が必要だったのだ。

繰り返すが告発はリスクを背負って行われているのだ。その内容が正当であるか否かは当然慎重な調査を要する。ただせめて土俵に上がることだけは認めなければフェアではないではないか。

何が真実かなどというのはメディアを通してではわかろうはずもない。具体的な調査を経て明らかになるやも知れないし、ならないかもしれない、そういうものだ。告発者が、あるいは加害者と名指された側が、嘘を言っているのだとすれば、それは具体的な調査の中で明らかにされるよりない。それを外野があれこれ想像でものを言うのは、よほどの覚悟がなくては言うべきではない。

だから少なくとも私はディテールに関しては憶測でものは語らない。単に告発がなされ、そして加害者と名指された人物がそれをディテールはどうあれ、大筋で認めた。それで外野の批評の素材としては十分なのだ。告発者をそれ以上に可視化しようとする言説は抑圧的でしかない。

■ 本日購入品

シングルV 「恋愛戦隊シツレンジャー」

シングルV 「恋愛戦隊シツレンジャー」

メロン記念日は今日は見送り。目の前にいる人のCDを優先させた、という感じで。今はずっとその前田さんの「西新宿で逢ったひと」をリピート中。とてもいい。

2004年10月30日

■ 短慮な権威主義

島田紳助の件で他のサイトの言及をぱらぱら読んでいるが、その多くはまったく論理的にトートロジーに陥ってしまっている。「島田紳助ほどの人が殴ったのだから、女性マネージャに落ち度があったはず」。なんじゃそれ。繰り返すがこういうのをトートロジーというのであって、ロジカルに無効である。この手の発言が反復される場面を想像してみれば、この発言がいかにばかばかしい主張であるかがわかる。「うちの子がそんなことをするはずがない」。親子関係ならばこうした盲目的な属人的信頼も*ありうべきもの*であるが、多くのものにとって直接知りもしない芸能人に対するこの盲目的信頼。この手の属人的権威主義こそが今のネットに跋扈する「プチウヨ」を支える心性なのだろう。それは理念や制度への目配りを欠き、ただ目に見えているものだけ、その場その場の感情だけで物事を判断し、過去と将来、そして「他者」を見据えた上での正しいか間違いかではなく、今の己の快不快で物事を判断する態度である。右翼ではないウヨは、ただ己に耳障りのよい現状肯定、威勢のいい自己愛のみで成り立つ態度に他ならない。

ちなみに私のように「民主主義」とか「人権」とかを盲目的に信頼する態度のことを権威主義は権威主義でも制度的権威主義と呼んでおこうか。もちろん近代社会を本質的に支えているのはこの制度的権威主義なのであって、それが今相対的に弱まってきていることが、2chあたりでの「世論」、石原人気にも通じるシニカルなナショナリズムの台頭を招く結果につながっている。

■ 化石人間

島田紳助が吉本興業の女性マネージャーに暴行。

刑事告訴されてしまっているんだから、謹慎十日ではすまなくなるだろう。それはそれとして。

そもそも吉本とか芸能界とか、その土壌がおかしいのだ。横山やすしが付き人の不手際に怒り、殴って前歯を折ったとかそんな話があたかも美談のごとく語られる、ただの犯罪を会社ぐるみ、「界」ぐるみで隠蔽どころか奨励してきたその土壌がそもそも決定的に間違っているのだ。昔の武勇伝など時代変わればただの犯罪。かつては教育の場でも、会社組織の場でも横行していたその手の野蛮が許容されなくなり、それが芸能界にまで及んでいる、ということ。もちろんそれはどう評価しようと事実としてひとつの時代の流れであるし、それをまったく読めていない吉本興業そして島田紳助がただの馬鹿だというだけのことだ。

■ ネットの大通りで左翼を名乗る

正直ちょっと失敗したかもしれない。

ここでは元サイトの下書きとかその程度の位置づけで使おうと思っていた。単に更新が楽だ、という理由で。それならそれで選ぶシステムを間違えていたような気がするのだ。

ここのはてな?システムはキーワードにどんどんリンクを張っていくことによって、書かれた情報がどんどん「公開」されていく。ひっそりと未整理の思考をぶちまけるのにはまったく適していないように思えてきた。

なんといっても元サイトよりもアクセスが多いのだ。全然ひっそりとしていない。しかも訪問者の層が、リンク元のキーワードより察するに、向こうとはまったく異なっているように思われる。あっちも確かにただの芸能ネタ目当てのアクセスは結構あるが、元の趣旨を踏まえた訪問者も十分多かった。そうなればこそ、政治ネタ、例えば天皇制について、なども一定の文脈での読者がいるものとして、書くことが出来る。ここでそれと同じ文脈でものを書くことが果たしてふさわしいのか。

たとえて言えば、看護学校の授業で哲学話を引っ張る、とかあるいは娘。ファンサイトで政治ネタをぶつ、とか、そういう行儀の悪い振る舞いを行っているような、そんな居心地の悪さを感じる。

■ 紅白出場歌手

紅白歌合戦の世論調査の結果を見て、天童よしみが一位とか、そんなものかとも思わないでもないが、全体として15x2の30組見てもいまいちピンとこない。宇多田ヒカル、柴咲コウ、浜崎あゆみあたりはまあ、なるほどとも思うし、大塚愛も今年は当然だろう、とか、一つ一つはそれなりに理解できなくもないが、全体として、まったくもってピンとこない。

安倍なつみとか安倍なつみとか安倍なつみとかが出ていない紅白なんて。

■ ミュージックステーション

昨日のミュージックステーションにモーニング娘。が登場すると知らず、録画もせず、帰ってきて知ったときには既に終わっていた。

ネットで見る限り、かなりひどい扱いだったらしい。トークなし、松浦亜弥と抱き合わせ。おまけに新曲披露もかなりみすぼらしい出来だったとの感想も。

曲はまだ聴いていないのでさしあたりスルー。メインで歌っているメンバーも、藤本美貴さんはともかく、他に紺野あさ美さん、道重さゆみさん、石川梨華さんと聞けば、正直歌唱は期待すべくもない。が、それよりなによりちょっと前にHEY!HEY!HEY!で今のモーニング娘。が歌った「LOVEマシーン」のあまりの出来に驚いた衝撃がいまだに残っているから、ネットの評価がすんなり納得できてしまう。

ま、所詮卒メンヲタは黙ってろってことなんだけどね。

2004年10月28日

■ 被害妄想

大学非常勤、またまた失敗。

情報処理実習IIAと情報処理IIBという授業が半期単位であって、あわせて一年、一貫した内容でやるので、当然受講者は同じだと思い込んでいた。見知った顔の学生もいた。それが落とし穴。

なんと前期と後期、受講者は受講クラスを選択する権利があったらしくて、五分の一程度入れ替わっていた。勘弁してくださいよ。こっちは「実質」通年だと信じてカリキュラム組んでいたのに。授業開始して4回目の終わりになって気づく私が悪いんだけどさ。別のクラス担当の人と面識がないから、打ち合わせも調整もできず。

前期私のクラスにいて後期から別のクラスに行った学生も困っているだろうな。全然やってること違うし。おまけに私の授業のほうが「楽」といううわさが流れたようで、力のない学生が増えている様子だし。

なんか私だけが貧乏くじを引かされた気分だ。

■ 黒革の手帖

松本清張原作。ちょっとすべり気味だった前クールの「人間の証明」の恨みを晴らすか。

出ている男優陣が無駄に贅沢。清張の力か。その割に女優陣はちょい貧弱。私の好みがロリコン系だからか。

■ 2次元以下

いまだここのリンクシステムあるいはその文化については図りかねている。たとえば「困ったことになっちゃった」という文を書けば「なっち」がキーワードかされ、リンクが張られる。それを解除することはできるがちょっと面倒だ。ハロプロに何の関心もない人からすれば、単に手間でしかない、それでも「なっち」をキーワードとして置き続けることが許容されている。ハロプロというのはネットでは無視することができない文化だ、と言い張れるものなのかどうなのか。

ネットにおけるハロプロ文化といえば、メンバーごとにアスキーアート(AA)が作られていて、例えばなっちこと安倍なつみは

(●´ー`)

となっている。

ハロプロネット文化に浸っていると、他人事として改めて考えてみれば奇妙なことだが、このAA、 (●´ー`)に十分に萌えられる。このAAがタレント安倍なつみを想起させる、だけではなく、このAA自体に愛着を感じ、あたかも独立した感情を持った存在であるかのごとく、独立した人格を持った存在として、そのAAに対して「萌えられる」のだ。

よく「ヲタク」は2次元のアニメの主人公に恋愛をする、などと揶揄されるが、AAに萌えられてしまうこの文化をどう評したらいいのだろう。

(●´ー`)そんなに萌えられたら、なっち照れるべさ

■ デザイン変更

なんとなくこっちのサイトはもう少し柔らかな雰囲気にしたくなって、いまさらながらデザインを変更してみました。また気が向いたら、全然別のデザインになっている可能性もありえます。割とあきやすい性格なもので。

■ メロン記念日

キーワードにメロン記念日とか大谷雅恵とか書いておいて、全然その話題に触れないのは反則だった。いまいちここのシステムというか文化がわかっていなくて、失礼しました。

しかもメロン記念日、シングル発売日だったのにものの見事にスルーしていた。だって、なっちソロコンDVDに後浦なつみPVの発売日が重なっているところにメロン記念日新曲なんて集中しすぎ。正直お金も続かない。

というわけで買うかどうかさえ不明だけど、一応宣伝に協力。

シャンパンの恋

あれ?画像が出ない。

■ ホットマン

シリーズものの二回目だが、前シリーズあるいは題名から想像されるのと違い、なんだか妙にさびしい話の展開。「熱さ」が消えうせ、おまけに小西真奈美が伊東美咲にかわって、「暖かさ」も半減。寒い冬にはぴったり。

あっちこと安倍麻美が出演中。今日は出演シーンがなかったが、「芸能人で言うとなっちに似ている」「じゃあ、可愛いんだ」とか言うようなうわさ話のネタとして登場。

■ 抵抗

非常勤、今期で終了する英書購読。マルクス主義の歴史概念について喋り散らす。そんなつもりでもなく、何の下準備もしていなかったのに、口から言葉が流れ出る。学生さんは興味がなさそうだったけれど、止まらなかった。まだまだマルクス主義に関しては現役だな、と自画自賛する。

帰り道、元同業者と一緒になる。向こうはまだ現役なので、そっちモードで話をする。学会人事ネタにはあまりうまく対応できず、ややオロつく。社会学全体の動向などの話になるとまずまずまともに遣り合える。まだまだ捨てたものでもない、と自賛する。

まだ私にやれることはあるのだろうか。

2004年10月27日

■ 一番大切な人は誰ですか?

宮沢りえ、牧瀬里穂というなつかし女優の共演で初回は視聴率もそこそこだったが2回目に急落したというドラマの3回目。視聴率が落ちたというのはなんとなく理解できる。このドラマ、少しも「今風」ではないのだ。それなりにシリアスなテーマで、シリアスなシーンも出てくるのだが、どこか悪く言えば人をおちょくったところがある。よく言えば小粋。

全然ドタバタ調ではないのに、リアリティがなく、全然夢のない生活を描いているのにファンタジー。

私は好きだけど。

■ 売ってない

安倍なつみファーストコンサートDVD、ついでに発売日を失念していた後浦なつみPV、仕事帰りに寄り道して買いに行きました。近所のツタヤ。

後浦なつみDVDは一枚だけありましたが、肝心要のなっちコンDVDが置いていない。売り切れたのか、入荷しなかったのかはともかく、一枚も店頭にない。あわせて買うつもりだったので、後浦なつみ*1DVDも買わず。せっかくこのためにタンス貯金を下ろしてきたのに。

結局週末買いになりそう。

*1:省略したいが「後浦」では肝心要の「なつみ」が消える。ま、NUNでよいのだが

■ 授業終了

結局自己紹介で全15回の授業のうち4回を消費。別に故意にだらだらやったわけではないのだが、何とか形式主義に陥らずに、全員の自己紹介にコメントをしていると時間を食ってしまった。

予定ではブレーンストーミングの練習をゲーム感覚でやろうと思っていたのだが、それは次回回し。

メタな話はしないようにしつつ、何とか思考トレーニングみたいなものができるようになればいいな、と考えている。なんだかんだ言って割り切らずに、何かを伝えようとしている自分が結構滑稽。今日の仕事はこれで終了。なんだかんだ言って世間的に見れば楽な仕事をやっている。

■ いまだなれず 0:30

新しい日の日記を書くのにどうすればよいのかわからない。日が変わり、「日記を書く」をクリックすれば新しい日のためのフォームが出てくるのかと思ったら、前日の編集画面が出てくる。

その画面をいちいち書き直して新しい日の記述を始めなければならないのか。なんとなくシステムとして不自然な気がする。

まだまだ奥が深い。

■ はい、まさしく私です

ヘキサゴンにモーニング娘。の藤本美貴、吉澤ひとみ、紺野あさ美が登場。

司会の紳助がひたすら藤本美貴をいじる。いわく「オヤジ殺し」「怖い女」。藤本もそういわれながら、臆せずやり返す。そのやり取りの間中、紳助とてもうれしそう。他の二人に対するときとは全然テンションが違う。他の共演者のおっさん連中もまんざらではない様子で、ニヤニヤ。

オヤジは結局ああいうのが好きなんだろうな。

■ 言葉=概念の創出

はてなアンテナには「おとなりページ」というものがあって、あるサイトとキーワードか何かが近いと判断されたサイトがそこにリストアップされる仕組みになっているようだ。Search Directory Pageというサイトのおとなりとしてこのページがなぜか上がっている。そこはフェミニズム周辺の感じだと思うのだが、うちの元サイトWould-be Marxist’s Pageにならそういう話も書いているが、ここはモーヲタネタしか書いていないので、どこが「おとなり」なのかが判然としない。

とそれはさておき、そのサイトをつらつら眺める。「おひとりさま」という女性のあり方を提示し、啓蒙しようとするサイト。趣旨としては面白いと思う。しかし

「おひとりさま」という表記は故岩下久美子さんが考案し提唱したもので、現在商標登録を申請中です。雑誌・テレビなどの媒体で「おひとりさま」の表記をお使いになるときは、必ず「おひとりさま向上委員会」までお知らせください。無断使用はお断りします。

おひとりさま向上委員会

というのを見て、なんとなくがっかり来る。「おひとりさま」はまさに「向上委員会」として理念化し、広めていこうとする鍵概念ではないか。それこそ無断使用大歓迎で、社会に流通させるべきものではないのか。もちろん本意ならざる使われ方をすることもあるだろう、それに対しても使用権などではなく、概念定義の論争を重ねていくことによって概念としての質を高める契機とするべきではないのか。

大体そんな狭量なことを言うのなら、「おひとりさま」という言葉自体には別にオリジナリティはない。日常的に言われている言葉を引用したに過ぎない。そんなものを商標登録してどうするつもりか。日常語を概念化して、闘争していく、その契機を自ら摘んでしまっているように思えてならない。

■ 看護学校 1:00

明日は看護学校。全然準備できていない。自己紹介もさすがに明日の20分ぐらいで終わるはず、その後何か新しい時間つぶしを考えないと。

「はてな」なんていじっている場合じゃないはずなんだよな。

■ 笑っていいとも

明日の「笑っていいとも」に後浦なつみ出演との情報が。忘れないように録画しなくては。

2004年10月26日

■ なっちDVD

安倍なつみファーストコンサートツアー 2004~あなた色~

今日発売であること、すっかり忘れてた。

明日買おう。午後5時を回ると外出しない主義なので。

■ 挨拶代わり

まだ機能のテスト中ということで、キーワードのリンクをいろいろ試す。

モーニング娘。/安倍なつみ/ なっち/ メロン記念日/ 大谷雅恵/ 松本典子

アルチュセール/ マルクス/ ジジェク/ ラカン/ ジェイムソン/ デリダ

Thinkpad/ PHP/ VAIO/ モバイル/ ノートPC

■ 「めだか」

ドラマ批評も一気にやろうとするから手間がかかる。というわけで見るごとにちょっとづつ感想文を。

「めだか」。舞台は夜間高校。普通の教育ものとは少しずつ趣が変わり、それをどう料理するか。

生徒の年齢のばらつきでドラマに幅を持たせてはいるが、早い段階から予定調和的に教師と生徒に信頼関係が築かれてしまい、教育の「困難さ」を描くという側面からすれば大成功ともいえない。

でもそんなことは、多分、どうでもよいのだ。見るべきはただ一点、ミムラ。なんとも言えずいじらしくて可愛い。夜間高校だろうが、司法修習生だろうが、それには揺るぎがない。

■ 初はてな

初めてのはてな?Diary.

ただいまマイクのテスト中。

内容はないけど一応公開。ついでにアンテナも作ってみた。もっとページをリンクしたいが今は私自身のアンテナがさび付いている。

■ ウェブ日記

この場所は『「日記」のようなもの』のようなもの、というわけで、それが結局いわゆる「日記」になっているという仕掛けだが、自分で一からHTMLを書くのと違って、やはりどうにも記述形式が決定付けられている、という感はぬぐえない。ある種のテクノロジーが形式を決定し、形式が内容を規定する、というのは一般論としては当然のことだが、自分がそれをあまりに忠実に反復するというのはどういうものだろう、と今まで抵抗してきた、というのは、多分、ある。

ただ今は、それがまさしくウェブ上での独り言になろうとも、何かをしゃべることのほうがまだしも、というその程度の気持ちで「はてな」に転ぶことにした。しかしそれに付けても、こうした独り言がウェブに満ち溢れ、しかもその独り言同士で一定のコミュニティのようなものができている、という事態をどう評価したらよいのだろう。2ちゃんねる掲示板へようこそも独り言ならぬ「便所の落書き」だがそれもそれでそれなりに情報交換、コミュニケーションのようなものができている。それはヒッキーにとって勇気付けられる状況とも言えるし、ヒッキー化を加速させる状況であるといえる。

少なくともネットがなければ、私にとって今の生活は成り立たないのは確かで、それならそれで私はいかなる方向で生きていたのか、ほんの十数年前の己の生活と今の生活との差異は何か、なんてことをつらつら考える。

十数年前、か。まだネットなんてものがなかったころ、私は一日何をしていたっけ。

妄想、だ。

■ 一応の趣旨説明

まだここのサイトの使い方がよくわかっていないけれど、テストを兼ねて更新。

とりあえずここの名前は「重層的非決定?」ということで、まとまらない・ただの思いつきの・日常の戯言を書き流すことにする。

多分こちらの更新だけをすることになるだろうと思いつつ、それはそれ、HTMLをほとんど書かず、FTPすることもなければ、更新頻度も上がるだろうと期待。

このサイトのソースはあまり見たくもない汚さだが、そういうことを気にする場所でもあるまい。

■ 「マザー&ラヴァー」

「マザコン」を肯定的に描こうという趣旨らしい。とはいえ、やはり少しいたたまれない場面が多いのだが、これもまた篠原涼子、これで救われている。とても現実離れしたあっけらかんぶりで、恋人がどんなマザコン振りを発揮しようとすべてを「許す」。

結局ドラマの描く世界観なんてどうでもよいのであって、重要なのは出演女優だ。

2004年10月25日

■ About

このサイトについて
書き手はたの
一行紹介半ヒッキーによるなっち観察日記
プロフィール アルチュセールと安倍なつみをこよなく愛する半ヒッキー
ついでに愛ちゃんこと高橋愛にもぞっこん(死語)
仕事は一応教育関係(情報系中心)
本当は言説系の授業も持ちたいが、当ても伝手も無い。
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2004年10月19日

■ なちコン

気合を入れて書きたくなったネタが表題。といっても時間がたちすぎてかなり印象も薄れ気味。

10月4日から東京で仕事があり、前日夜には東京入りしていなければならなかった。これまでは同じ東京へ行くなら早い目に行って東京見物していたが、そろそろ東京も飽きた、ということで、丁度?前日3日に奈良で安倍なつみソロコンサートがあったもので、「ついで」に行きました。

ネットでいろいろ見ていると空席だらけだとか書いてあったりして、じゃあせめて枯れ木の賑わいとでも行くかとか、当日券も間違いなく買えるだろうとか、一度くらいはヲタとして見ておくものだろうとか、そんな感じの低いテンションで。

会場は割りとこじんまりとした小奇麗なホール。会場前にはぱらぱらと待ち人が。ただし想像していたより疎らで、かつ想像していたよりおとなしい雰囲気。「いかにも」というはっぴを着ていた人を一人見かけたが、そのはっぴには「石川梨華」という字。そして想像していたとおり、おっさんが多い。 50−60台と思しき男性の姿もちらほら。女性もちらほら、それも結構おばさんが目に付く。ある意味アイドルのコンサートらしい、のだろうか。ヲタの集団と思えば「らしい」が、それにしては年齢がやや高め。少なくとも華やいだ雰囲気ではない。現役のアイドル、というよりは伝説のアイドル10周年記念コンサート、という感じだろうか。モーニング娘。のころのコンサート報告を読んでいた限りでの印象とはかなりずれる。

会場ではグッズの販売。コンサートパンフレット代わりのDVDを購入。ついでにちょっと変わったデザイン(「な」と「A」を組み合わせた)のストラップも買ってしまった。DVDはともかくプラスチック製の安っぽいストラップに1600円。金銭感覚をあえて狂わす。

チケット代6500円をざっくり払って当日券を入手。当然会場最後列。左隣は割と普通のファン2人連れ。右隣はかなりのおっさん。ちなみに私は翌日以降の仕事着をそのまま来ていたので、背広にネクタイ姿。日曜日昼間のコンサートにそんな姿で来るやつは他に誰も見かけなかった。

コンサート自体も割りと淡々と進む。ネットなどで聞いていたよりもみな大人しく、暴れる人など見かけない。声援もうるさいほどではない。安倍さんもハロモニのようなテンションではなく、わりと「マッタリ」した雰囲気。ゲスト出演している中澤さんが頑張ってテンションを上げようとしているが、ちょっと空回り気味。ハロプロコンサートではDVDを見る限り、安倍さんもかなり煽り役なのに、自分のソロコンサートではゆったり、マッタリ。テレビではほとんど見られなくなった「年上メン」の中澤さん、保田さんとの共演で、すっかり妹キャラに逆戻り、「リーダーは裕ちゃんなの」ってな感じで、自分は割りと気楽に楽しんでいる感じ。

そういうわけで盛り上がったんだか、盛り上がらなかったんだかよくわからなかったのだが、後でネットで参加者の感想を聞いてみると、いつになく盛り上がったコンサートだったらしい。え?あれで盛り上がったほうなの?というのが正直な感想。大体においてなちコンはまったりしたものらしい。

で、結局お前は楽しんだのか?と聞かれれば、それはもう、想像していたよりずっと楽しかった。顔・表情ほとんど見えず、静かな曲の最中に隣のやつが私語しやがってムカつき、私自身も声援ひとつ送らず突っ立って見ていただけ、なのにとても楽しかった。

会場販売のDVDは全然期待していなかったが、これまたとても面白かった。中澤さんと水族館に行き、はしゃぐ安倍さん。何回見返しても飽きません。ついでに会場で購入したストラップ。普段持ち歩いているUSBメモリに付けた。人の目にも触れるけれど、よもや気づく人はいるまい。