重層的非決定?

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2004年10月30日

■ 短慮な権威主義

島田紳助の件で他のサイトの言及をぱらぱら読んでいるが、その多くはまったく論理的にトートロジーに陥ってしまっている。「島田紳助ほどの人が殴ったのだから、女性マネージャに落ち度があったはず」。なんじゃそれ。繰り返すがこういうのをトートロジーというのであって、ロジカルに無効である。この手の発言が反復される場面を想像してみれば、この発言がいかにばかばかしい主張であるかがわかる。「うちの子がそんなことをするはずがない」。親子関係ならばこうした盲目的な属人的信頼も*ありうべきもの*であるが、多くのものにとって直接知りもしない芸能人に対するこの盲目的信頼。この手の属人的権威主義こそが今のネットに跋扈する「プチウヨ」を支える心性なのだろう。それは理念や制度への目配りを欠き、ただ目に見えているものだけ、その場その場の感情だけで物事を判断し、過去と将来、そして「他者」を見据えた上での正しいか間違いかではなく、今の己の快不快で物事を判断する態度である。右翼ではないウヨは、ただ己に耳障りのよい現状肯定、威勢のいい自己愛のみで成り立つ態度に他ならない。

ちなみに私のように「民主主義」とか「人権」とかを盲目的に信頼する態度のことを権威主義は権威主義でも制度的権威主義と呼んでおこうか。もちろん近代社会を本質的に支えているのはこの制度的権威主義なのであって、それが今相対的に弱まってきていることが、2chあたりでの「世論」、石原人気にも通じるシニカルなナショナリズムの台頭を招く結果につながっている。

投稿者 althusser : 2004年10月30日 00:00

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