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2008年05月31日
■ 魔女っ子あやや
仕事諸々の関係で微妙に睡眠時間が足りない中、あややこと松浦亜弥コンサート大阪公演鑑賞。
体調が悪く、いまいちコンサートに集中できなかったのが心残り。それでも昼夜2公演を見たら、まずまず「松浦亜弥コン」を堪能した気にはなった。歌、踊り、しゃべり、どれもバランス良く楽しめる。
客層。ああ、さすがに「一般人気」のあやや。若い女性の二人連れとか、子ども連れの家族だとか、いわゆるハロプロファンとはひと味違う客が目につく。ただ子ども連れの半数以上は子どもがあややファンというよりも、父親があやや好きで子どもと奥さんを巻き込んで見に来た、という感じだったけれど。客のマナーもおおむね上々。
開演待ちの間、若い女性二人連れの会話を耳にする。「オタクじゃないひともオタクに見えるわ」。どうやらハロプロ系コンサートには初参加らしい。そんなド一般人が何故にあややコンに?今日は特にそういう「異質」な観客が目についた。何かそういう「新規客」を開拓するきっかけでもあったのか知らん。
そのせいかどうか、特に昼公演のノリは明らかに悪い。私はまったり鑑賞したい派なのでいっこうにかまわないのだが、肝心の松浦さんが微妙にやりにくそうなのは気の毒だった。夜公演はしっかり盛り上がっていて、松浦さんも楽しそうだった。
あややコンの楽しみの一つといえばMC。今日は特に昼公演のMCは面白かった。
「私、写真週刊誌に撮られちゃったんですよ」。
「ちょっと年上の男性と二人で手を握りあって街を歩きまして、喫茶店に入ってお話ししているところをいきなりぱしゃり、と」。
父親か親戚かそのあたりで落とすのかな、と思って聞いていると
「お相手は吉田栄作さんだったんですけど」
は?
「という夢を見ました」
会場、ブーイング。
「私のコンサートのMCで私が何をはなそうと自由でしょ」。
「皆さんだっていろいろ私で妄想とかしているでしょ?いいんですよ。妄想の中で私を殴ろうと何しようと。私に実害がなければ何を妄想してもかまいませんから」。
いや、ここにいる人は皆一応松浦さんのファンですから、「殴」ったりはしないと思いますけれど。「殴る」じゃないほうはあからさまに下ネタ系。そういえばグッズ売り場においてある松浦亜弥の全身が印刷されているタオルのサインに「どのように使うかはご自由に(ハート)」とか書かれていたな。そのあたり「いやらしい事なんて一切知りません」みたいな顔をいまだに続けるなっちこと安倍なつみとは好対照だ。
「また吉田栄作さんとの仲が私の妄想の中で進展がありましたら、お知らせしたいと思います」
またこの話の妄想部分を話している最中、子どもの叫び声が聞こえると「お姉さん、今すごく大事な話をしているから、もう少し大人しくしてくれる?後でチョコ上げるから〜」。そして夢落ちでのブーイングに対しても「皆さんにも後でチョコを上げるから〜」。
肝心の歌、昼公演、アンコールの二曲目で歌う歌を事前打ち合わせとは違う曲を発表してしまう。かなりいい感じで前振りをしていただけに松浦さん、悔しそうに「今のはなかったことに。皆さん、大人なんだから、分かっていますよね」。結局間違えて発表した曲を強行することにしたのはいいが、動揺していたためか、今度は盛大に歌詞を飛ばす。生演奏なのだからやり直しても良かったのだが、時間の関係上か、こちらもそのまま強行。
全曲生演奏ということでバックがカラオケのモーニング娘。コンサートよりは音はもちろん良かったのだけれど、ファンの間では評価が高いバンド編成が私にはあわなかった。ドラムとパーカッション、ベースとギター、キーボードが二人の6人、とても標準的でかつ手厚いバンド編成、アレンジはオリジナルをかなり忠実に再現。ある意味昨年秋の安倍なつみコンサート、アコなちコンとは好対照。私はアレンジはオリジナルとは違っている方が楽しいと思うし、さらに今回のはなまじ重厚なバンド編成のため、バンドの音がかちすぎて、肝心の松浦亜弥の声が微妙に聞き取りづらい箇所があった。たとえ音が薄めでも、主役の声を引き立たせつつ、「この曲のここをこの楽器でこう表現するのか」というところに感動があったアコなっちコンサートのアレンジのほうが私には数段楽しめた。リズム、ノリで楽しみたい層にはいいバンド編成なのだとは思うのだが。
ついでに松浦さん、バンドメンバーとの絡みは昨年に引き続き、微妙に薄い。バンド紹介もずっと一人ずつ紹介していたのに、何故かバンマスのギタリストとキーボードの一人の紹介はひとまとめ。バンドメンバーの名前とか人となりとか覚える余地なし。もちろん松浦亜弥名義のコンサートなのだから、松浦亜弥以外は裏方、というのは絶対的に正しい。バンドメンバーも全員「出演者」にしてしまう安倍コンとは対照的だが、これは好きずきだろう。
さらにこれも前から感じていることなのだが、松浦さんの歌い方は良くも悪くも上手く崩しているため、歌詞が微妙に聴き取りづらい。もちろん歌なんて歌詞を聴くものではないので、何の問題もないのだが、安倍さんの歌い方は常に歌詞が鮮明なため(それがトゥーランドットでも良く出ていた)、安倍なつみをホームとする身にはやや違和感を感じてしまった。
全体的には、終始まったりした雰囲気のなちコンと違って、あややコンは緩急が激しく、一般的には飽きが来にくい構成。踊って叫んで汗を流したい人も、座ってじっくり聞きたい人もそれなりに楽しめる。安倍さんのコンサートはもはやコンサートに踊りに来ているひとには退屈なだけだろう。一方ずっと座ってまったり聞いているだけであっても、あややコンの緩急の変化は中々に楽しい。
生歌に期待、と書いた「きずな」。正直CDで聞いたときとあまり印象は変わらなかった。ただ歌詞をあらためて聴いていて、ずっとこの歌詞の「道徳的正しさ」が疎ましかったのだけれど、ああ、この歌詞って安倍さんがMCでよく言っていることだ、と気づいた。人は長い歴史のなかで(安倍さんによると恐竜時代から)結んできたきずなに支えられている、というお話。ただそれを安倍さんが「私は世の中の汚れなんて一切知りません」みたいな顔をしてメルヘンチックにしゃべるから面白いのであって、大まじめに歌にして聞かせるものじゃないよなあ、という思いはいまだに残る。この曲を歌うには松浦亜弥は若すぎる、という話もあるようだが、いやいや、年取って歌われても駄目だと思う。中澤裕子にこの曲を歌って欲しいか、とか、和田アキ子がこの曲を歌えば説得力が出るか、とか考えればどちらも(中澤裕子が歌えば、中澤さんの良さが出てこないし、和田アキ子に歌われてもこの曲の糞っぷりが際だつだけだし)全然駄目だ。
と、ここまで書いてきて、松浦亜弥コンサートの感想文のはずなのに、安倍なつみの話題がしつこく絡んできてしまうあたり、己の安倍ヲタっぷりには我が事ながら少しあきれてしまった。
2008年05月25日
■ 出来る娘。
忘れちゃいけない。なっちこと安倍なつみ出演の「トゥーランドット」、無事閉幕したようで。
安倍さんも終始好調、高評価をキープしたよし。「確変」したかのごとき言説も多々見られるが、前にも書いたとおり、私にとっては十分想定の範囲内、なっちは出来る娘。
ひと月後に始まる夏ツアー、新アルバムも新シングルも一切ない中、どういうライブにしてくるのか、トゥーランドットで得た財産がどのような形で生かされるのか、そして秋以降の安倍なつみの活動展開はいかに、まだまだ目が離せない。
■ 例えば
ブログの更新もする気がしないほど仕事に追われているばかりでなく、たちの悪い風邪にやられて苦しんでいた。今の風邪は喉に来る。しゃべるのが仕事の一つなのでかなり辛い。おまけに受講者の前で咳き込んでいては、聞いている方も風邪を移されはしまいかと気になるだろう。困ったことだ。2週間ぐらい苦しんでようやく快方に向かう。
そうした鬱憤を晴らすネタとしてハロプロを使う。
大学。例によって教材用データにモーニング娘。(元)メンバーの名字を使う。男子学生が小さな声で叫ぶ。「おっ、これモー娘。やん」。「これはわからへんわ」。いや、数年前は皆すぐ気づいてくれてたのよ。こんなところで「モー娘。」の凋落を思い知る。
某社の新人研修。同じく教材ネタに仕込む。Javaのポリモーフィズムネタで犬が「ワン」、猫が「にゃー」と鳴くかわりにCDプレイヤーは「東京で一人暮らしたら」、mp3プレイヤーは「AH-去年と この夏は 違うわ あなたがいる」と奏で、カセットテーププレイヤーは「古いカセットテープ 巻き戻して聞いた」と奏でるというもの。これまた一人の受講者が気づいたらしい。「モー娘。ファン」らしい。ただこのうち一曲は何の曲かは分からなかった、とか。
うーん、まだ甘いなあ。最後の曲はだね、モーニング娘。がレコード大賞新人賞を取った「抱いてHOLD ON ME!」のカップリングの「例えば」、古き良き80年代アイドルポップを思い起こさせるどこかしら懐かしい曲調で多くのファンを魅了した楽曲で、って、そんな講釈興味ないですか、そうですか。
■ ありがとう、松浦亜弥です
かつて私は自宅ヒッキー系メディア経由脳内妄想派のファンだった。今はすっかり転向、現場派になった。
ある意味、やむにやまれぬ転向だ。なんと言ってもメディア露出が減った。メディアでもメンバーの絡みを見るだけで妄想の種が広がり、十二分に楽しめたあの頃のようには行かない。単に露出量の問題だけでなく、「絡み」を見るチャンスが皆無になった。かつてのメンバーはことごとくモーニング娘。を「卒業」し、各々の道を歩み始めた。今のメンバーは見るからに皆仲が良くて、様々な確執がかいま見えたかつてのモーニング娘。と比べると「ネタ」にはやや乏しい。
という前振りで、前の更新がトゥーランドット鑑賞時で、下手をすると次のコンサート(五月末松浦亜弥大阪公演)まで放置という状況を打開するきっかけとしてみた。
一応購入品はある。あややこと松浦亜弥の最新シングル「きづな」。
発売日の水曜日にいつもCDを買っている大阪梅田のJ&Pに行ったら、休業日だった。そのまま自宅に帰ってネットで売れ行きがあまりよろしくないとかいう話題を読む。「ああ、私が買えなかったからな〜」と無意味な反省をする。
翌日同じ梅田J&Pにて無事購入。ハロプロには好意的な店舗だが、「きづな」は新譜コーナーには平積みされておらず、ハロプロコーナーの旧譜に混じってひっそりおかれていた。「握手乞食」に買ってもらえないハロプロCDなんてこんなものか、と無意味に毒づいてみる。
歌自体はハロプロ公式動画サイトdohhhupで既に視聴済み、CDを聞いて改めてどうこう言うことはない。悪い曲ではないのだろうし、「笑顔」のように無理な高音もなく、聞いていてマイナスに感じるところはない。でも「好き」の逆は「嫌い」ではなくて「無関心だ」ということをまざまざと感じさせられる。何の引っかかりもない。面白みがない。どこを「聞けば」良いのか、分からない。
まあ、同じように感じていた安倍なつみの「Far away」も生で聞けばかなり良かったので、この曲もコンサートでの歌唱に期待することにしよう。
それでも松浦亜弥の「かなりさばけたちょっとおきゃんな女の子」の魅力が全く出ないこの手の「道徳的に正しい楽曲」路線はそろそろ辞めてほしいのだけれど。
2008年05月07日
■ トゥーランドット再び
なぜか突然もう一回「トゥーランドット」を見なければならぬ、と使命感に駆られて、仕事が終わってから必死に会場に向かう。仕事場を出るのに微妙に手間取り、ぎりぎり間に合わない感じ。それでも今日見逃せば、もう見るチャンスはないだろうと思い、遅れて入るのを覚悟で会場に向かう。
チケット売り場に着く。当日券はふつうに売っているようだ。息せき切ってA席を注文。あまりいい席がありませんとか何とかゆったりと座席選びの相談をされる。いや、もう始まっているのだから、どこでもいいからチケットよこせ、といいたいのを堪えて、「あ、どこでもいいです」と極力やんわりという。
案内された座席は、なぜか高校生の集団の隣だった。他に空席は結構あったのに、なんで、いちいち隣に人がいる席を売るかな。しかも隣が女子高生だし。あ、相談に応じなかった私が悪いのか。うーむ。こっちは走ってきたので、汗くさかろう、そんなので隣に座られては彼女が可哀想だ。というので本当はそういうのは嫌いだが、一席あけて座る。「ドリーム」(指定されていない席に勝手に座る行為を指す隠語らしい)って奴ですか?許してください。ていうか、私の行動って、お・と・なとして間違っていないよね。
席に座ったときにはすでに劇は始まっていて、トゥーランドットに求愛したさる国の王子が処刑されるシーン。まあ、1回見ているから、ここから見ても大して困りはすまい。なっちこと安倍なつみもすでに登場しているとはいえ、それほど見せ場もまだなかったはずだし。
いやいや、今日は安倍なつみを見に来たのではないのだ。芝居全体を見ようと思ってきたのだ。A席にしたのもお金をけちっての話ではない。舞台全体をゆったり見渡すのだ。
そういう気持ちで見ていると、また舞台の見え方が違う。前回は正直言って、なっちの演技だとか歌だとか、表情だとか、そっちに必死で、あまり舞台の作り出す世界に入っていなかった。今日、それをあらためて実感した。今日の私は純粋に舞台を楽しむ高尚な趣味人なのだ。なっち大好き。
台詞回しはともかく、歌に関してはやっぱりアーメイ、上手いわ。声に力がある。歌も台詞の一部ととらえると、歌詞が微妙に聞き取りづらいところはあるのだが、歌としての完成度はさすがに高い。
なっち、ちょっと声が不安定。まあ、泣きながら歌っているシーンなので、それが正しい演技なのかもしれないけれど。でも歌詞は明瞭、きちんと台詞として聞ける、し、アーメイには及ばないかもしれないけれど、やっぱり上手い。なっちに「がっついて」いた前回よりも劇の世界に入っていた今回のほうがさらにぐっとこみ上げるものがあった。
生オーケストラの音はあらためていい。先日のモーニング娘。コンサートの貧弱な音響を思い出す。トゥーランドットA席7000円、モーニング娘。コンサート6800円、うーむ。クラシックコンサートとモー娘。コンサートなら、一瞬のためらいもなくモー娘。コンを選ぶ、文化資本ありまくりな私でも、ちょっと考えさせられるものがある。
幕間、ロビーに貼ってあったポスターを見ながら、話に弾む若い女性二人組の話を盗み聞きする。
「あー、やっぱりあれ安倍なつみやん」「アイドルやからもっと声が甘いかとおもってた」「顔可愛かったな〜」「なんか声だけ別人かと思た」「モーニング娘。の時は歌うまいという印象はなかったけど」
ネットあたりでさんざん読み飽きた定型的な感想をありがとう。それでもなぜか無茶苦茶うれしいのはなぜ?
劇後半が少しだれ気味だという印象は今日も変わらない。高校生たちもすこし飽きが着始めているようなそぶりを見せ始める。なっち演じるリューの死後、もとい悪役ワン将軍が自殺した後、少し話に緊張感がなくなり、いつ終わるか、いつ終わるか、という雰囲気になる。たしかに「悪者」をやっつけた後、直ちに世の仲良くなって万歳とはせずに、荒廃した国の姿に苦悩するというのは、話の展開としては正しい。たとえばガミラス星を崩壊させた後に苦悩する宇宙戦艦ヤマトの乗組員の心境、ですか。やっぱりこの部分は苦悩するトゥーランドット演じるアーメイの日本語がたどたどしいのが説得力を損なっているように思う。
それでも高校生たち、3階席故に舞台の前方が見切れる場面では身を乗り出してみようとしたり、結構劇を楽しんでいたようだ。もっとも席から身を乗り出すのはマナー違反なんだけれどもね。まあ、おじさんは大人だからそんなことには目くじらは立てないよ。どっちみち、見切れる部分を見損ねたって、劇の内容理解には差し障りないことがわかっているしね。そもそもそこにはなっちはいないし。あ、それはどうでもいいのか。カーテンコールではとてもうれしそうに拍手して、手を振ったりしていた。
いずれにせよ、若い君たちが舞台を熱心に見てくれていたことが伝わってきて、おじさんはうれしかったのだよ。最後の高校生たちが感想を言っている。女の子「早乙女太一、よかった」。ま、女の子ならそんなものだろうね。で、野郎ども、もといお坊ちゃんたちの感想は?「アーメイ、かっこよかった」。この糞がきゃー、素直に「なっち可愛かった」と言わんかい。
2008年05月06日
■ 愛あらば
ゴールデンウィーク最終日はモーニング娘。コンサート大阪公演最終。
まずは良くなかった点から。バックの音が汚い。アコなっちコンとかトゥーランドットとか、生バンド、生オーケストラになれてしまったためであろうか、あまりの音の汚さに驚愕する。これでは肝心の娘。の歌を鑑賞する以前の問題だ。
思い起こしてみれば、初めていったハロプロコンサート、なっちこと安倍なつみソロコンサート2004あなた色プレミアム、これも音の悪さには正直驚いたものだった。耳が痛くなった。MCも聞き取れない部分が多くあった。それ以前にいったことがあった、安倍なつみよりもはるかにファンが少なく、チケット代もやすく、お金もかけられなかったであろう、さるアイドルのコンサートとの「差」にとても残念に思った。それも今は昔、2007年度の安倍なつみのコンサートは良いものになった。しかし肝心の「本体」のコンサートがこれでは。これでは「高かろう、悪かろう」だ。
しかしそうした悪条件の中でも、娘。たちのパフォーマンスは良かった。歌はとにかく音響が悪くて、ちょっと評価が難しいところがあるが、踊りは見事なものだ。狭いステージ、段差があちこちにあって、とても不自由な空間での集団のパフォーマンスにもかかわらず、実に器用に見事に踊りを披露できていた。可愛く、美しく、きらびやかに。
また往年のシングル曲を全て披露するということで、その当時のメンバーのパフォーマンスとの比較などをいちいちしたくなったりするのではないか、「やっぱりここのパートは誰それでなくては」などと思ってしまうのではないか、と懸念する想いもあったが、心配は無用だった。ほとんど全ての曲が、今のモーニング娘。の曲になっていた。かつてテレビで「LOVEマシーン」をそのときの現メンバーで披露したときには、オリジナルメンバーとの「差」を感じて、ちょっとつらく思ったことがあったが、今日見た「LOVEマシーン」にはそうしたよけいな思いをすることもなかった。そして「抱いてHOLD ON ME」とか「サマーナイトタウン」に至ってはあたかも現メンバーのために作った曲であるかのように実に上手くはまっていた。
ソロコーナーで披露された新垣里沙の「真夏の光線」、これも良かった。明るい中にもどこかにはかなげな雰囲気を漂わすこの曲は、当時の安倍なつみに実に上手くはまっていた曲だった。そしてそれを今新垣里沙が歌う。何の違和感もなかった。もう今の安倍なつみがこの曲を歌っても、あのはかなげな雰囲気は出てこないだろう。すっかり新垣里沙の曲になっていた。
道重さゆみの「ふるさと」は苦笑と感動が相半ばする。歌っている本人が上手く歌えていないことを自覚しているのが伝わってくる、しかし必死に歌っている。彼女には荷が重い歌だが、それでも彼女にはあえてこの曲を歌うだけの思い入れがあるのだろう。それが伝わってきたから、良い歌唱だったと思う。
亀井絵里の「涙が止まらない放課後」、これはオリジナルがひどすぎたので、亀ちゃんの歌唱力があれば、良くなるに決まっている。実際、オリジナルは「歌」を超越した何物かだったが、亀ちゃんバージョンはふつうに聞くに堪えるふつうの歌になっていた。亀ちゃんのかわいらしい雰囲気が良く伝わってくる。曲自体は良曲とは思わないけれど、亀ちゃんバージョンなら好きになれるかもしれない、と思う。
田中れいなの「Memory 青春の光」。これは比較の対象がオリジナルではなくて、昨年秋アコなっちコンサートで披露された安倍なつみ・保田圭バージョンになってしまう。二人でハモって、バックは生演奏、これが相手では歌唱力以前に勝負にならない。おまけに保田圭・安倍なつみ、この曲は相当歌い込んでいて、絶品中の絶品。れいなはれいなでよく声ものびていて、頑張っていたとは思ったが。
全体の構成として、モーニング娘。が出したシングル全てを披露するという売りの本コンサート、アンコールの二曲を含めて、全シングルを網羅することになる、というのは仕方がないけれど「アンコール」としてはちょっといまいち。本編で全ての曲を披露して、アンコールでは再度最新曲「リゾナントブルー」とそして隠れたデビュー曲「愛の種」を歌う、とかすれば私は感涙ものだったのだが、まあ無理か。
いずれにせよ、「今の」モーニング娘。は最高だ、と力説したくなったのだが、しかし私、実は公演時間の9割近くずっと高橋愛ばかり見ていたんだよな。説得力のない話だ。だってやっぱ他のメンバー「子ども」なんだもん。頑張っている子どもの姿よりも大人の洗練された芸を見たいタイプなもので。他のメンバーは皆「可愛い」のだけれど、高橋愛だけは「美しい」。この「差」は私にはいかんともしがたい。
2008年05月04日
■ トゥーランドット感想文
舞台全体の感想。
ミュージカルってある程度抽象度を上げれば、ストーリー展開って似たものが多いのかしら。私には私が見た三本のミュージカル、「リボンの騎士」も「白蛇伝」も今回の「トゥーランドット」もすべて同じストーリーに思えてしまった。支配者がいて、支配者であることの苦悩に加えて、愛にも苦悩する。それにつけ込む悪者がいて、しかし愛の力でその困難を打ち破り、人間としての自信と喜びを回復する、とかそんな感じ。ま、三本しかミュージカルを見ていない人間が何を言うか、という感じだが、見た三本がすべて同じパターンだと、ちょっとね。
音楽は前二回と比較して、今回は特にとても迫力があって良かった。生のオーケストラにコーラス、それをバックにすれば、中村獅童のへなへなの歌でもまあ、それなりに聴ける。安倍なつみの歌に関しては、まあこれぐらいは彼女なら出来るでしょ、と思っていた。アーメイと安倍なつみの差は私には感じられなかった。岸谷五郎も結構歌えている。
演技は、アーメイの日本語は、まあしょうがない。女帝陛下は高貴なお方なのだから、庶民とは言語が違うのだ、とか何とか思えば、イントネーションの違いとかは無視してもよいと思う。ただやはり演じている本人が日本語に自信がないのがみえみえで、毅然と言い放つべき台詞が腰砕けになっているのはいただけない。だから前半の苦悩する女帝陛下の場面ではそれほど違和感はなかったが、最終場面、国の立て直しを決断したあたりの説得力がまるでなかったのが私には辛かった。それもあって、後半部分がやたら間延びして感じられた。
中村獅童の悪役っぷり、岸谷五郎の勇者、狂言回しの北村有起哉 、そしてどっしり、しかし何か腹に抱えた従者の小林勝也、いずれもきちんとはまっていたと思う。早乙女太一は、まあそういう役所なのだろう、ひたすら「若」かった。そしてやたらと威勢のいい「召使い」の安倍なつみ。必要以上に可愛い。
話の展開は、上に書いたように後半が間延び、女帝陛下が退位して民主化を決断、とかそういう妙な「おもねり」は不要だし。ここはもっとベタに勇者カラフがトゥーランドットと協力をして、民のためになる善政を敷いた、とかそんなぐらいで良かったんじゃないか。悪役ワン将軍を倒した後、カラフが去って、トゥーランドットが国を立て直し、民主化を宣言したときにカラフが戻ってきて、めでたしめでたし、ってのが勇者カラフの役割をぼやけさせて、話のぐだぐだ感を醸してしまったように感じた。
総評。私が見た三本のミュージカル、すべて私にとってはミュージカルとしては同価値、どれも行ってよかった。でも今回のが、他二本と比べて、段違いにレベルの高いものであった、とは感じなかった。一点、2500円のパンフレット、これは段違いで良いものであった。
■ 遠慮がちに誇り高く安倍ファンを謳う
会場に入って最初の感想。なるほど「客層が違う」。
女性が圧倒的に多い。カップルもちらほら。もっとも一人の男性も結構いる。そしてそれが見るからに・・・。それ以上は言うまい。
しかし「見るからに」などといっている内はいい。最前列にずらっと並ぶ安倍なつみファン、そろいのTシャツを着たりして、「なっちファン」をことさらにアピールする。普段のコンサート会場のノリで「仲間」と群れ、集団を形成する。べつに他の観客から「モーヲタが」とか馬鹿にされるだけならかまわないと思う。でも他の観客に対してある種威圧感を与えてしまっているように感じられて、もう少し遠慮してもらいたかった。例えば電車内でさる集団が我が物顔で大声で話をするのがはた迷惑なのと同じ。安倍なつみファンであることを卑下する必要はないが、他人に迷惑をかけてまで自分が誰のファンであるかをアピールする必要もあるまい。例えば阪神電車に乗っている阪神ファンなら許されても、阪急電車で同じ振る舞いはしない、そういう事ってあると思う。
共演の早乙女太一のファンも目についた。「太一」と書かれた団扇をもっている二人組がいた。公演中に掲げられたら困るな、と思っていたら、後ろから女性の声、「始まってから変なことをしたら、どついてやりたいわ」。それが安倍なつみファンに向けられたものか、早乙女太一ファンに向けられたものかは分からなかった。
もっとも幕が開いてからは、いずれのファンも特に問題となる行動はなかった。最後の挨拶の時に「なっち〜」と声援が飛んだが、そのぐらいは許容範囲だと思う。
舞台の感想。ゴーマンかましてよかですか。
うちの「なっち」はどこに出しても恥ずかしくないなっちだ。
安倍なつみファンからも、今回の舞台のなっちはすごい、今までと全然違う、という声が聞かれたので、どうなってしまったのか、と思っていたが、私の感想はいつものなっちだった。ただミュージカル向けの歌唱をしていた、それだけ。もちろんそのためにずいぶんとトレーニングもしたのだろうし、そのほかにも努力もしただろうけれど、それでも私が知っていた安倍なつみと比べて、不可逆な前進というものは特に感じなかった。いつものようにチャレンジングで、そして勘良くまとめ上げる、いつもの安倍なつみだった。
そしてその安倍なつみが、その他の面々と比べて、いささかも見劣りしなかった。歌ではもしかすると主役のアーメイと比べると少しは見劣りしたかも知れず、演技では岸谷五郎や中村獅童と比べると少しは見劣りしたのかも知れないが、総合力ではいささかも負けてはいなかった。
もともといいものを見せてくれてたんじゃん、などと今更ながらに再確認するあたり、ハロプロファンとしての己の卑屈さにむしろ反省させられた。
■ それは私です
梅田芸術劇場ホール内。後ろにいるおばさまの声が聞こえる。
「何かいつもと客層が違うよね〜」
「安倍なつみのファンが来ているからじゃない?」
あ〜う〜。
2008年05月03日
■ 9枚のチケット
ココナッツ娘。のアヤカさんがハロプロから卒業して事務所移籍とか、結果的に前向きで喜ばしいニュースが入ってきたりしている今日この頃、日々の仕事に追われて、あれこれ放置状態。そうこうしているうちにゴールデンウィーク、といってもあまり暇じゃない。
明日はトゥーランドット大阪公演鑑賞。なっちこと安倍なつみは東京公演の最後までずっと高評価を持続、島谷ひとみさんもラジオで絶賛していたらしい。そして一般人ブログなどでは相も変わらず、「元モー娘。」への偏見とその予想を裏返した好演との評価と。
それも含めて、今手元には9枚のチケットがある。トゥーランドット1枚、モーニング娘。コンサート2枚、松浦亜弥コンサート2枚、安倍なつみコンサート4枚。なっち関連が9枚中5枚と過半数を占める。残りはあややとモーニング娘。で分ける。いい感じの比率だ。
ちなみにこちらはどうでもいい話だが、チケット購入プレイガイド、ローソンチケットが5枚、CNプレイガイド3枚、ぴあが1枚、イープラス0枚。
ローソンが多いのは、サイトが比較的アクセスしやすく、どうしても押さえたかったアコなっちコンサートのチケットをすべてローソンで押さえたため。本当は手数料も高いし、チケット発券も面倒だしで、あまり使いたくないプレイガイドではあるのだが。
ぴあの一枚はトゥーランドット、先行申し込み料500円以上の手数料を払ってしまった。この手の舞台は一般販売されてから好きなプレイガイドでいくらでも申し込めたのに、何となく勢いで申し込んでしまった。今は反省している。
CNプレイガイドは手数料が安いので出来ればここから買いたい。余計な料金を取らず、純粋なサービスとして行われている先行申し込みで当選したモーニング娘。コンサート1枚と、それほど焦らずともチケットは入手できる松浦亜弥大阪公演チケット2枚はここで購入。
イープラスは、申し込んだ抽選には外れ、一般販売日にはサイトに繋がらずで、今回はご縁なし。調べてみたら昨年11月アコなっち広島公演以来ここではチケットを買っていない。手数料はローソン、ぴあよりは安くCNプレイガイドよりは高いので、可も不可もなし、といったところ。