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2008年05月31日
■ 魔女っ子あやや
仕事諸々の関係で微妙に睡眠時間が足りない中、あややこと松浦亜弥コンサート大阪公演鑑賞。
体調が悪く、いまいちコンサートに集中できなかったのが心残り。それでも昼夜2公演を見たら、まずまず「松浦亜弥コン」を堪能した気にはなった。歌、踊り、しゃべり、どれもバランス良く楽しめる。
客層。ああ、さすがに「一般人気」のあやや。若い女性の二人連れとか、子ども連れの家族だとか、いわゆるハロプロファンとはひと味違う客が目につく。ただ子ども連れの半数以上は子どもがあややファンというよりも、父親があやや好きで子どもと奥さんを巻き込んで見に来た、という感じだったけれど。客のマナーもおおむね上々。
開演待ちの間、若い女性二人連れの会話を耳にする。「オタクじゃないひともオタクに見えるわ」。どうやらハロプロ系コンサートには初参加らしい。そんなド一般人が何故にあややコンに?今日は特にそういう「異質」な観客が目についた。何かそういう「新規客」を開拓するきっかけでもあったのか知らん。
そのせいかどうか、特に昼公演のノリは明らかに悪い。私はまったり鑑賞したい派なのでいっこうにかまわないのだが、肝心の松浦さんが微妙にやりにくそうなのは気の毒だった。夜公演はしっかり盛り上がっていて、松浦さんも楽しそうだった。
あややコンの楽しみの一つといえばMC。今日は特に昼公演のMCは面白かった。
「私、写真週刊誌に撮られちゃったんですよ」。
「ちょっと年上の男性と二人で手を握りあって街を歩きまして、喫茶店に入ってお話ししているところをいきなりぱしゃり、と」。
父親か親戚かそのあたりで落とすのかな、と思って聞いていると
「お相手は吉田栄作さんだったんですけど」
は?
「という夢を見ました」
会場、ブーイング。
「私のコンサートのMCで私が何をはなそうと自由でしょ」。
「皆さんだっていろいろ私で妄想とかしているでしょ?いいんですよ。妄想の中で私を殴ろうと何しようと。私に実害がなければ何を妄想してもかまいませんから」。
いや、ここにいる人は皆一応松浦さんのファンですから、「殴」ったりはしないと思いますけれど。「殴る」じゃないほうはあからさまに下ネタ系。そういえばグッズ売り場においてある松浦亜弥の全身が印刷されているタオルのサインに「どのように使うかはご自由に(ハート)」とか書かれていたな。そのあたり「いやらしい事なんて一切知りません」みたいな顔をいまだに続けるなっちこと安倍なつみとは好対照だ。
「また吉田栄作さんとの仲が私の妄想の中で進展がありましたら、お知らせしたいと思います」
またこの話の妄想部分を話している最中、子どもの叫び声が聞こえると「お姉さん、今すごく大事な話をしているから、もう少し大人しくしてくれる?後でチョコ上げるから〜」。そして夢落ちでのブーイングに対しても「皆さんにも後でチョコを上げるから〜」。
肝心の歌、昼公演、アンコールの二曲目で歌う歌を事前打ち合わせとは違う曲を発表してしまう。かなりいい感じで前振りをしていただけに松浦さん、悔しそうに「今のはなかったことに。皆さん、大人なんだから、分かっていますよね」。結局間違えて発表した曲を強行することにしたのはいいが、動揺していたためか、今度は盛大に歌詞を飛ばす。生演奏なのだからやり直しても良かったのだが、時間の関係上か、こちらもそのまま強行。
全曲生演奏ということでバックがカラオケのモーニング娘。コンサートよりは音はもちろん良かったのだけれど、ファンの間では評価が高いバンド編成が私にはあわなかった。ドラムとパーカッション、ベースとギター、キーボードが二人の6人、とても標準的でかつ手厚いバンド編成、アレンジはオリジナルをかなり忠実に再現。ある意味昨年秋の安倍なつみコンサート、アコなちコンとは好対照。私はアレンジはオリジナルとは違っている方が楽しいと思うし、さらに今回のはなまじ重厚なバンド編成のため、バンドの音がかちすぎて、肝心の松浦亜弥の声が微妙に聞き取りづらい箇所があった。たとえ音が薄めでも、主役の声を引き立たせつつ、「この曲のここをこの楽器でこう表現するのか」というところに感動があったアコなっちコンサートのアレンジのほうが私には数段楽しめた。リズム、ノリで楽しみたい層にはいいバンド編成なのだとは思うのだが。
ついでに松浦さん、バンドメンバーとの絡みは昨年に引き続き、微妙に薄い。バンド紹介もずっと一人ずつ紹介していたのに、何故かバンマスのギタリストとキーボードの一人の紹介はひとまとめ。バンドメンバーの名前とか人となりとか覚える余地なし。もちろん松浦亜弥名義のコンサートなのだから、松浦亜弥以外は裏方、というのは絶対的に正しい。バンドメンバーも全員「出演者」にしてしまう安倍コンとは対照的だが、これは好きずきだろう。
さらにこれも前から感じていることなのだが、松浦さんの歌い方は良くも悪くも上手く崩しているため、歌詞が微妙に聴き取りづらい。もちろん歌なんて歌詞を聴くものではないので、何の問題もないのだが、安倍さんの歌い方は常に歌詞が鮮明なため(それがトゥーランドットでも良く出ていた)、安倍なつみをホームとする身にはやや違和感を感じてしまった。
全体的には、終始まったりした雰囲気のなちコンと違って、あややコンは緩急が激しく、一般的には飽きが来にくい構成。踊って叫んで汗を流したい人も、座ってじっくり聞きたい人もそれなりに楽しめる。安倍さんのコンサートはもはやコンサートに踊りに来ているひとには退屈なだけだろう。一方ずっと座ってまったり聞いているだけであっても、あややコンの緩急の変化は中々に楽しい。
生歌に期待、と書いた「きずな」。正直CDで聞いたときとあまり印象は変わらなかった。ただ歌詞をあらためて聴いていて、ずっとこの歌詞の「道徳的正しさ」が疎ましかったのだけれど、ああ、この歌詞って安倍さんがMCでよく言っていることだ、と気づいた。人は長い歴史のなかで(安倍さんによると恐竜時代から)結んできたきずなに支えられている、というお話。ただそれを安倍さんが「私は世の中の汚れなんて一切知りません」みたいな顔をしてメルヘンチックにしゃべるから面白いのであって、大まじめに歌にして聞かせるものじゃないよなあ、という思いはいまだに残る。この曲を歌うには松浦亜弥は若すぎる、という話もあるようだが、いやいや、年取って歌われても駄目だと思う。中澤裕子にこの曲を歌って欲しいか、とか、和田アキ子がこの曲を歌えば説得力が出るか、とか考えればどちらも(中澤裕子が歌えば、中澤さんの良さが出てこないし、和田アキ子に歌われてもこの曲の糞っぷりが際だつだけだし)全然駄目だ。
と、ここまで書いてきて、松浦亜弥コンサートの感想文のはずなのに、安倍なつみの話題がしつこく絡んできてしまうあたり、己の安倍ヲタっぷりには我が事ながら少しあきれてしまった。
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