重層的非決定?

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2009年09月23日

■ モーニング娘。コンサートツアー2009年秋スマイル神戸(前半)

モーニング娘。コンサートツアー2009年秋9スマイル神戸昼夜公演(ネタバレあり)。

これまた感想を書くのが難しい。すごく良かったんだけど。。。という感じ。でもやっぱり私のホームは安倍なつみコンだな、とか娘。コンでも春のほうが私好みだったかな、とか。

コンサートの出来自体はとてもいい。衣装、照明はきっちり作られているし、娘。のパフォーマンスもいい。ついでにセットリストも私好み。前々から聴きたかった曲が入っている。さらに言うと今日の会場、神戸国際ホールもいい。大阪厚生年金じゃなくて、ずっとこっちでやって欲しいぐらい。新しくて綺麗。いろいろ作りも行き届いている。交通の便もいいし、駅からのアクセスもいい。新幹線利用の遠方客も大阪よりもこっちのほうが便利だろう。

私はいつものファミリー席。そのファミリー席の設定が少ない。松浦亜弥コンサートの半分ぐらいか。座ってみるコンサートではない、ということだろう。

お子様方はちらほら。はたして久住小春のうちわを持っていたりする。この子たちは来年からもう来なくなってしまうのだろうか。そう思うと少しやるせない。

関西二日連続というのは少しつらいものなのか、客入りは少し厳しい。どこも不況の影響もあって、ライブの客入りは厳しいとも聞く。おまけに娘。はチケット代がやたら高い。値下げというのはステータスを下げると言うことになるだろうから難しかろう。せめて高校生以下は3000円、大学生は4500円とかに出来ないものか。

内容。

ショーとしての質はとても高いと思う。歌、踊りとも底上げが著しい。特に久住小春。正直かつては生歌はとても厳しかった。小春が歌うところではちょっとのけぞるぐらい。でも今日聞いた限り、少しも下手ではなかった。問題なく歌えている。声はもともと個性があるし、今後のセンター、エース候補として面白いじゃないか。んー、卒業か、勿体ないぞ。

一方道重さゆみの歌。うーん、相変わらず厳しい。苦笑いするぐらい。がんばってるなあ、とは思うけれど。

今回のコンサートがどことなく高まりきらないのは、なんというか、私にとっての起伏が少ないところ。といってもやはり徹頭徹尾高橋愛視点なのだが。春だったら「夢から醒めないで」と「情熱のキスをひとつ」。この2曲でがらりと変わる高橋愛を見るのが楽しかった。そしてこの2曲の高橋愛を私にとってのライブの頂点として、普通に盛り上がる曲をまったり見る。そういう楽しみ方。あるいは安倍なつみコンサートなら「微風」とか「空Life goes on」を頂点として、そこに向けて緊張感を高め、集中して聞き、それ以外はまったりとしてみる。そういう起伏。

今回は私にとってそういう頂点のような場所がなかった。固唾をのんで見守るような時間の不在。

セットリストには期待の曲が数曲。ひとつは新曲「気まぐれプリンセス」。これは楽しい。踊りも激しいし、曲は乗りがいい。ただラジオ(CD)音源と比べると、奇抜さは減り、割と真っ当なモーニング娘。の曲という感じ。私は好きだが、ライブの頂点というような緊張感を強いる曲ではない。

一番の期待は「元気+」。荘厳な雰囲気のオケで始まり、ささやくような「優しい声が聞こえる」というフレーズで幕を開ける。そのときのメンバーの振りは耳に手を当て、音を聞き取ろうとするもの。静寂の中、かすかだが確かな声が聞こえてきて、その声が少しずつ大きくなってくる。その声は凛とした響きの中に優しさに満ちている。まるで神の声のような。そんな世界観を私は感じるのだが、問題は観客の声援。「優しい声が聞こえる」の次の間に「ふわふわ」という掛け声を入れるのだ。

私がライブに行き始める前からの慣例だろう、私以外に文句は誰も言っていないはずなので、完全に私のわがままを承知で言う。えー、君たちはアホですか?

荘厳な声を聞き取ろうとするその間に「ふわふわ」なんてアホ声を入れるって、もう曲が台無し。リズム的にそこに「ふわふわ」が入るというのはアイドル曲の定番っぽいのは分からなくもないが、そういう曲ではないだろう。私は安倍なつみコンのヴァイオリンが間奏を奏でる最中の馬鹿声を耳から排除してヴァイオリンの音色に耳を傾けることは出来る。しかし静寂を想起する場面で馬鹿声を消去する技術は持っていない。無たる場面に投げ込まれたゴミはどうやっても無には帰らない。最悪。

「さくら満開」。ゆったりしたリズムに和の風景を感じさせる曲。日本の風景の中、満開の桜が舞い散る景色が心に浮かぶ、はずのこの曲に「エルオーヴィイーラブリー某!」。えー、君たちはアホですか?全然リズムにも合ってないやん。「エルオーヴィイー」という掛け声にはそれはそれなりのリズムがあると思うのだけれども、この曲はそれに比べてゆったりしているから、掛け声そのものが何とも締まらない。その締まらない掛け声をそれでもする。曲の世界をぶちこわして、失笑ものの掛け声だけが残る。最悪。

とまあ期待の2曲をアイドル応援の流儀らしい「ふわふわ」と「エルオーヴィイー」とかいう掛け声でつぶされる。モーニング娘。、アイドルなり!いや、分かってますよ、分かってますとも。私が間違っているんです、たぶん。

最後の期待曲、高橋愛と田中れいなのデュオで歌う「記憶の迷路」。歌唱力実力派で娘。センターをつとめる二人の歌。曲はベリキューエッグの選抜メンバーをこの二人に加えたHigh Kingなるユニットのシングルカップリング曲。正直歌唱力に難のあるメンバーがいなくなったこの二人での歌唱はとても楽しみだった。

良かったです、普通に。うん、綺麗なメロディーだし、それを実に上手く歌っている。文句なし。

でも、このライブの頂点に持ってこられない。曲が簡単すぎる、たぶん。この二人なら余裕綽々で楽々歌えてしまっている。

2005年の娘。コンサートではこの二人に亀井絵里を加えてタンポポの「ラストキッス」を披露した。ハモリもあって、とても難しい曲。この難曲に3人は食らいついていた。それから比べるとこの曲は簡単すぎる。少しもチャレンジングなところがない。

それで分かった。なんで今日のライブがいまいちに感じられるのか。

夏に高橋愛と新垣里沙のディナーショーを見てしまったからだ。高橋愛の「Stuck」、新垣里沙の「声」、そして二人のハモリを聞いてしまった。リミッターをはずした二人のパフォーマンスを満喫してしまった今となっては通常の娘。曲だけでは不満なのだ。いや、ほとんどの曲は娘。曲でいい。でもライブのどこかにああいう「凄さ」を感じさせるパフォーマンスを入れて欲しい。ソロでもハモリでもいい、高橋愛が、田中れいなが、新垣里沙が、あるいは亀井絵里、リンリンが必死になってようやくものに出来るようなレベルのパフォーマンスを取りいれてほしかった。

今回のライブで言えばやはり高橋愛と田中れいなの所だろう。「記憶の迷路」は好曲だがやはりハモリがある曲の方が良かった。まあ、もしかすると保田圭と組んだ安倍なつみよろしく、田中れいなも「れいな、ハモれんちゃ」と頼りないことを言うかも知れないが、そこは気合いを入れて、あるいはハモリは高橋愛任せでもいいから、チャレンジして欲しかった。

アンコールラスト曲は「ラブマシーン」。セットリストだけを見たときは、「ゲッ」と思ったけれど、あらためてパフォーマンスを見ると普通に良かった。かつてはオリジナルの歌い手が頭に浮かんで、なかなか目の前のパフォーマンスがすんなり頭に入ってこなかったが、さすがにこっちも慣れたか。そしてそうしてみてみると、今の娘。メンバーのパフォーマンスはやはり素晴らしい。まあオリジナルの頃よりもキャリアは皆あるのだから当然といえば当然だが。

いろいろ不満も書いたが、今年の新曲4曲とカップリング曲2曲、アルバム曲「Songs」、そして2008年のリゾナントブルーと、今の娘。のオリジナル曲はどれも質が高い。素晴らしいパフォーマンスを見せてもらったという気持ちには疑いがない。

ツアー後半は同じく神戸を昼夜2公演、あと鳴門かどこか地方公演を1,2公演見る予定。今の娘。はやっぱり好きだ。でも安倍なつみコンの良さもあらためて思い出してしまった。次はいつやるんだろう?

2009年09月20日

■ 久住小春卒業

久住小春、モーニング娘。卒業

とりあえず「残念!」といった類の、ある種ネガティブな反応があるのはむしろ当然。全員が「やった!」では娘。サイドからしても小春サイドからしても寂しい限りだ。

私も、娘。サイドから、せっかく界隈から全体的にいい雰囲気になってきたこの時期に何でまた、と正直かなり落胆もした。できれば今の9人で続けて欲しいという思いは変わらない。

それでもこれはこれで妥当なことだったのだ、とも思う。

モーニング娘。はメンバーを交代させることで鮮度を保ってきた、云々という方向性は私は今は支持しないし、実際事務所サイドでも今はそういう方向性は志向していないというインタビュー記事もあった。だからそういう意味では今回の卒業もする必要があったとはいささかも思わない。

ただそれとは別に「去る者は追わず」的な鷹揚さ、娘。を出たほうがさらによい活動が出来ると考えられる場合には娘。には縛り付けない、というのもあって、それ自体は今でもあり得べき志向だと思う。そしてそういう意味では久住小春の今後を考え、娘。に縛り付けるのに限界を感じた、というのであれば、私は今回の卒業を支持しよう。

実際久住小春のタレントとしての指向性は今の(ここ数年来の)娘。の方向性とは確かにズレを感じるところはある。そういうズレを包含するところが娘。の良さであるのは確かだ。しかしそれが娘。にとってではなく、久住小春にとって負担となるズレなのであれば、そのずれを放置し続けるのが良策とは言えないだろう。

こういうズレといえば道重さゆみの名前を挙げる人も多そうだけれども、私は道重さゆみはその指向性において、今の娘。の方向性とのズレはないと考えている。道重さゆみにとって、今のモーニング娘。は自分の最高の居場所だと感じているだろうと私には思えるのだ。

2009年09月16日

■ 気まぐれプリンセス 初聴

一回聞いた感想。

久々の明るい曲。こういうのを求めていた人が多いのだろうなあ。良かったね。

二回聞いた感想。

「恋は発想 Do The Hustle!」みたいな曲か。まあこんなものかな。

3回聞いた感想。

いや、これは怪作だ!

まあつんく♂+モーニング娘。だな。どう聞いても。良くも悪くもというか。とりあえず「演歌」っぽくはないので(よく聴くと演歌だが、それをいうとつんく♂曲は全部演歌だ)、演歌じゃ駄目だといっていた人はあらためて責任を持ってこの曲を批評するように。


さらに聞き込んだ感想。

アレンジがおふざけ・お馬鹿系っぽく作ってあるけれど、また歌詞もおふざけっぽいけど、実はつんく♂得意の哀愁漂う世界なんだな。このミスマッチ感がこの曲を「怪作」たらしめているのだと思う。

2009年09月13日

■ 想いあふれて さようなら

松浦亜弥コンサートツアー2009秋 想いあふれて 大阪昼公演。

感想を書くのが難しい。一つにはブログでの「ツアー休止」宣言があって、その絡みでいろいろ思うことが多すぎて、考えがまとまっていないというのが大きい。それに加えて、その宣言云々以前に、私の中で松浦コンサートへ行くのはそろそろおしまいかなというのがあって、実際、今回昼公演一回しかチケットをとっていなくて、結構冷めた状態になってしまっている。それでも「休止」宣言も含めて、とにかく公演を見てから、と思っていたのだけれども、実際に公演を見て、さらに感想なりなんなりを書くのが難しいと感じている。

熱意の弱さというのはとんでもないことをもたらすもので、会場に向かう電車の中でチケットを持ってきていないことに気づく。直前まで全然別のことを考えていたためだ。取りに戻ろうかと時間を見るがそれほど余裕なく出て来てしまったので、ちょっと難しい。一瞬もう行くこと自体辞めようかとも思ったけれど、もしかすると最後のあややコンになるかも知れず、やはりこれは見なくてはと思い、当日券ではいることにする。無駄な6500円の出費。

それでも最初に言っておくと、2倍のお金を掛けてみることになった本公演、見られて良かった、と思った。自分の迂闊さには腹が立つけれども、13000円払ってでも見る価値はあった。ただたぶん今日で最後。

会場。NHK大阪ホール。こぎれいな会場。設備も整っていそうで、音響も期待したのだけれども、あれで良かったのだろうか。なんだか全体的に音がキンキンしていて、あまり心地よくなかった。松浦さんの声も聴きづらいところがあったし、楽器の音も渾然一体となってあまり鮮明には聞き取れなかった。例によって2階席での感想なのだけれど。

客席。ファミリー席がしっかり機能していた。子連れが多い。親がファンで子どもを巻き込んでいるのか、子どもがファンで親が連れてきてあげたのか、よく分からない。とりあえず親子でサイリウムを振っている様子は微笑ましいのだが、アコースティックコーナーなど聞き入るべきところで子どもがぐずり出すのが何とも。ファミリー席というネーミングからして、子ども用の席なのだから、そのぐらいは許容すべきなのだろうけれども、実質ファミリー席は踊ったりしないでじっくり聞き入る用の席としても機能しているのだから、そのあたりのミスマッチが何ともつらい。

内容。往年のアイドルのコンサート。2004−5年頃の安倍なつみコンサートのときに同様の表現をしたことがある。松浦亜弥はアイドルを棄てた、と非難する人がいたりするけれど、いやいやしっかりアイドルやっていました。衣装から、選曲から、踊りから、成熟したアイドル。ついでに客席のノリも、アイドル時代の曲に盛り上がり、最近の曲は聴きいるというよりも何となくだれた雰囲気。特にお子様方は。

バンド構成がドラム・パーカッション・ベースとリズム系に厚い。あとはキーボードとギター。サックスとかヴァイオリンとかがないから、その方面での小技が効かない。それもあってか、アレンジもよく言えば王道、悪く言えば平凡。

私の趣味志向からすれば期待のアコースティックコーナー。客席の要望に応えてその都度曲を決めるというチャレンジングな趣向。生演奏の強みをフルに生かした企画、なのだけれども、私は駄目でした。うだうだと客と曲を決めるための相談をするのがかったるいし、なにより、即興で曲を決めて歌いこなすだけの域に松浦さんが達していない。「ハピネス」を歌詞カードを見ながら歌ったのには心底萎えた。この手のバラードって、歌詞自体にもストーリー性があって、歌詞の世界とともに歌い方も変えていって、そうして一体となって歌の世界を作り上げていくものだと思うのだけれども、歌詞カードを見ながら歌われてはそれは期待できない。確かに上手いのは上手いのだけれどもそれだけ。松浦亜弥がこの曲でどんな世界を表現したいのかが一向に見えてこない。正直今のレベルだったら、普通にしっかりセットリストを決めて、その曲を今回のライブではどう表現するかをじっくり研究して、それを披露すべきだと思う。今回のアコースティックコーナーは歌の上手い人のカラオケを聴いているのとさして代わりがなかった。

もうそれですっかり冷めてしまった。このライブはアイドル全開の定番曲で盛り上がっておけ、というぐらいのノリで見るのが正しいのだろう。そういうノリで見る限り、お子様方とともに、実に陽気に楽しい気分で見られたし、逆にラストのキラーチューンたるべき「想いあふれて」が凡曲に聞こえてしまった。

まあMCでしきりに「汗をかいて欲しい」とか「筋肉痛になって」云々という話をしているのだから、私には全くあわないライブだった、ということなのだろう。

ツアー休止の理由としては、とにかく楽曲をたくさん世に出して多くの人に聴いて欲しい、今後は曲を出すペースも速めるし、テレビにも出る、その代わりツアーはお休み、という話。楽曲発表か、ツアーか、というのが二者択一になる、というのは分かるような分からないような話だが、もしこれが二者択一として成立するのなら、松浦亜弥の決断は私は悪くないと思う。ただその選択を迫られること自体があまりいい話には思えない。安倍なつみの今後の方向性とも絡めていろいろ考えることは多いのだが、今回はペンディングで。さらに2−3年後に戻ってきたときには、また来てくれますか、という問いかけがあったが、私は現段階では完全白紙。今後発表されるという楽曲のCDを買うかどうかも白紙。

とりあえず昨日で松浦亜弥とはお別れ。安倍なつみの秋冬も何もなさそう(いったい今何をやっているのだ?)なので、当面は高橋愛、モーニング娘。に専念ということになりそうだ。

2009年09月07日

■ 「なんちゃって恋愛」発売イベント

前々曲「泣いちゃうかも」以来の新曲発売イベント当選。あったたりはずれたり、というぐらいがこの手のイベントとしてはいい。

とはいっても今回は名古屋。無料イベントに名古屋まで行くのはぞっとしないのだが、私が当選したためにいけなかった人がいたわけで、行く「義務」みたいなのがあるように思う。すでに横浜で同イベントが開催済みのため、イベントの内容は分かっている。期待のカップリング曲の披露はなく、その代わり40th記念ということで10th,20th,30thのシングル曲を披露するらしい。合計4曲披露、普段より多い。懐かしの曲を現メンバーで披露というのも悪くはないかと思って名古屋へ赴く。

名古屋へは普通列車の旅。とはいえ、青春18切符を1枚だけ事前に抑える、なんて器用なことをする性分でもなく、普通に運賃を払う。事前準備ゼロ。それでも米原乗り換えで、次は名古屋まで一本で行ける時間帯を選ぶ。大垣乗り換えがないだけでもだいぶ楽。

というので、きわめてスムーズに名古屋着。Zepp名古屋は初めてでちょっと迷ったが、まずまず名古屋駅からも近い。まずは会場に向かい、イベントグッズを購入。DVDと写真2種。写真なんて買ってもどうせ見返したりはしないのだけれども、何となく買っておいた。

その後は会場そばのそば屋で昼食。もっと名古屋らしいものをとも思ったが、何となく腹がもたれそうな気がしたので、あっさりとざるそばを。

また会場前に戻り、他にやることもないので、入場列に並ぶ。何とも幅広い年齢層。結構若いひともめにつく。特に女性ファンは若い。安倍なつみコンサートがホームの身には新鮮というか、やや居心地が悪いというか。ファン層の若さを競う風潮はよく分からないが、若いファンは若いファンで大事にしたいとは思う。もっとも娘。は成立期から、年長者がはまるアイドルというのが売りで、要するにそれに耐えるだけのクオリティを持たせようとしてきたはず。単にミーハーなだけの大学生が大挙押しかける現場には私はあまり行きたくはない。

入場時にスタッフからチケットを渡され、初めて座席位置が分かる。普段のコンサートでもこういう方式にすれば、オークションの高騰とかなくてよいだろうにと思ったりもする。私がもらった座席は2階最前列。人によってはがっかりするところだろうが、普段からファミリー席ばかり取っている私にとってはラッキー。イベントにはファミリー席の設定などないが、実質ファミリー席みたいなものだ。

会場は1階はほぼフラット、後方に段差が少しあるぐらい。2階は綺麗に階段状になっている。最前列でなくても2階の方が視界は開けるはず。

披露された曲は10thシングル「I wish」、20thシングル「Go Girl〜恋のヴィクトリー〜」、30thシングル「Ambitious!野心的でいいじゃん」、そして40thとなる今作「なんちゃって恋愛」。

ファン界隈では近年のつんく♂の楽曲制作力に対する批判が満ちているけれども、こうして「全盛期」を含む昔からの曲を立て続けに聴くと、少なくとも今作「なんちゃって恋愛」は悪くない。というよりも私は4作品の中ではこの作品が一番よいように思った。

例によって高橋愛を中心に見ていたわけだが、「なんちゃって恋愛」の振り、結構あちこちで小技が効いていて、いじらしいキュートさがよく出ていて、くらっとする。コンサートでも是非この衣装でこの曲の披露を。

最後は握手会。速い。滋賀での握手を経験すると、9人並んでベルトコンベアーのように握手していく今回の握手会は訳が分からない。もうこんなのは止めて、曲の披露時間を延ばせばよいのに、と思う。

短い時間で9人と立て続けに握手をしたので、記憶も混濁。とりあえず一番目の新垣さんがウェルカムな雰囲気で迎えてくれるので、何となくホッとする。しばらく記憶が飛んで、高橋愛に続いて、記憶に残っているのはラストの亀井絵里。ホワッとした雰囲気で何となくこっちもホッとする。新垣里沙に始まり、亀井絵里に終わるこのならびはなかなかよく考えられているかも知れない。

高橋愛。最多の4回目か。ちなみに2番目が光井愛佳と田中れいなの3回。高橋愛の握手は一言で言うと「無難」。たぶん高橋愛ファンでない人からすると、丁寧に握手してくれるけど、反応は少し薄い、と思うのではないか。実際たぶんその通りだ。ただその「無難さ」はこなれているがゆえの「無難」なのではなくて、高橋さんが彼女なりに必死に全員に粗相のないようにがんばって作り出しているもの、という感じがする。それ故彼女の反応も、積極的に何かを返そうとするというよりも、相手を受け止めようとする類の反応。そのあたりに高橋愛の人柄が現れている、と私は思ったりする。

帰りは何となく近鉄で。新幹線を使うのは勿体ないし、別に面白くもないし、さりとてJR在来線で帰るのも面白くないし、というので数年ぶりの近鉄特急に乗ってみることに。とはいえ、近鉄は大阪南に帰るのには便利だが、京都方面は不便。それでもそれを承知で座席指定券と乗車券を購入。

出てきた切符を見てぎょっとする。名古屋発15:30、京都着18:20。東京−京都よりも時間かかるのかよ。JR在来線の方がよっぽど速いのか。まあ考えてみれば当たり前だけど。それでもあまりに時間がかかるな、と思ってさらによく見ると乗り換えの大和八木から京都行きの列車が17:26発。ここの乗り換えがスムーズに行かないのか!、いったいここでどれだけ待たされるのだろう!

実際には接続は非常に上手くいってました。そりゃそういうダイヤを組むわな。要するに乗り換えのロスなどほとんどなくて2時間50分の長旅。近鉄で名古屋ー京都を旅するのはよほどの暇人ということです。

列車は二つとも同じ、ビスタカー。どちらも2階席。座席は結構ゆったりしていて快適。車窓もまったり流れて、旅情もあり、時間もお金もかかったけれど(JR在来線よりも1時間オーバーの1850円オーバー。時も金もオーバー)、まあそれなりに楽しめました。

2009年09月02日

■ ロンドンハーツの道重さゆみ

道重さゆみ(not 道重さゆり)は生まれてくる世界を間違えたのかも知れない。あるいはもう少し控えめに言うと相手のレベルを高く設定しすぎた、と言うべきか。

mixiあたりの感想文を読んでいると、オイ、ニッポンだいじょうぶか!と本気で心配になる。まあmixiなどという、ネットの三流クズニュースを垂れ流すクズSNSなどに夢中になる人間の知的水準などというものを期待する方が間違っているのだろう。

バラエティ番組だぞ、しかもかなり下品さを狙った。そんなところで話された表面的な内容で人間性を判断するってドラマの悪役を演じる役者本人をドラマでしでかした行為でもって悪し様に言うのとほとんど変わらない。

いや、伝わらなかったのは仕方がないし、伝わらないのは発信者側の責任だろうから、もしmixiあたりの評が「世間」だというのなら道重さんはちょっと失敗しているのかも知れない。でも「あれは滑っている」とかいう評ならまだ理解できるけれど、「親の顔が見たい」とか言ってる奴の親の顔が見たいわ。コリン星から来たと名乗る小倉優子の精神を本気で心配する人とか、いたのかねえ。

ただ確かに道重さゆみは少し高度すぎるのは認める。コリン星は「そんなわけない」と万人が安心して共有できる。だから安全なのだ。しかし道重さゆみの「私は極度に可愛い」は容易には突っ込ませない。何となれば道重さゆみは実際どう控えめに見ても「世間一般」水準からすれば十分に可愛いからだ。だから安心して落とせない。道重さゆみは「何言ってるねん」という突っ込みを待っているのだが、しかし見る側は突っ込みきれない。それでお互いが見合い状態になる。いったん「落ち」てしまえば人は安心できるのだが、見合い状態は緊張感を強いられる。mixi脳の人間はこの緊張感に耐えられない。だから「イライラ」する。

道重さゆみが作り出している「笑い」は、安直な安心感、薄っぺらなカタルシスを得ておしまい、というものではない。見る側に緊張感を強いる笑いなのだ。それはまさに「三文オペラ」と同じ構造を作り出す。「女の子はかわいさが一番」という価値観に我々自身がどう対処するのか、それを道重さゆみは問う。

可愛くないとされる女性芸能人が「私可愛い」と言うのは安全な落ちである。我々は安心して突っ込める。「何言ってるねん」。その背後に「可愛さなんて人間の価値には関係ない」というエクスキューズを用意しつつ、しかしその実、可愛さの序列はそのまま温存される。道重さゆみの問いかけはそれを許さない。「お前なんかちっとも可愛くないわ」と突っ込む人がなぜかいらつきながら突っ込む、このいらつきの中に「女の子はかわいさが一番」という価値観が否応なく現出してしまう。「よし、今日も可愛いぞ」と自賛する道重さゆみを否定しながら、自身はまさに「女の子はかわいさが一番」という価値観にとらわれていることを思い知らされてしまうのだ。道重さゆみは確かにピエロを演じているのだが、そのピエロを笑うものもまたピエロの位置に立たされることになる。

道重さゆみの作り出す笑いはきわめてアイロニカルな笑いなのである。自分を安全圏において他者を貶めて笑い飛ばすシニカルな笑いしか知らないものには確かにレベルが高すぎる。