重層的非決定?

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2005年03月26日

■ 腐敗する精神

なんと長い間更新していないものよ。

なっちこと安倍なつみが娘。コンだかどこかで新曲を披露したと聞くが、まったく蚊帳の外。テレビでの披露か、CD発売までのお預け。

身辺がいろいろ慌しい。3月末で解散する某三セク関連の仕事がようやく明日で終了するはず。小泉構造改革とやらがこうしたインチキ三セクをぶっ壊すことに狙いがあるのだとすれば、その限りにおいては支持しなくてはならない、と実感させられた仕事だった。でも実際はその三セクはぶっ壊れたが、その引き受け先がそれを上回る暴利をむさぼる「財団法人」だという落ち、まったく世の中変わらないものだ。

4月5月は別の仕事で、ちょっと私には耐えられない重労働が続く(週40時間強労働)のだが、6月以降の仕事はさっぱり。それでさる会社から仕事を手伝ってほしい、と依頼を受けたが、その会社、インチキ三セクでの仕事相手、これまた民間のくせにでたらめな会社でその尻拭いに散々走らされた会社。そこが根本から従業員をたたきなおすから、ぜひ来てくれ、とかそういう話ならともかく、下っ端の待遇で手伝え、とかいう話なので、あんなアホどもと同じ扱いあるいはその下で働けるかと、でも実際は気が弱いのでやんわりと断る。

忙しいとそれだけで精神が腐っていく。感動や感慨や悲しみや、そういったものがことごとく瞬時の体感レベルに押し込められて、それらが言語のロジックをくぐって一般化されることがない。きわめて浅い感覚で日々が過ぎていき、何かを突き詰めて考えるということを放棄している日が続く。

2005年03月13日

■ ヲタ論争

一人一人の発言はその一人一人の責任の下でなされているのであって、その発言への批判もその発言に対して真摯に行え。当たり前のことだ。ある安倍ヲタの発言が気に入らないからといって、その話とは直接は何の関係もない「古傷」を持ち出して安倍ヲタ全体を中傷する奴がいるが、そいつは前にも何か揉め事を起こして、サイトを閉鎖していて、その原因となる書き込みをきれいに消して、リセットして復活。お気楽なものだな。もしまたややこしくなったら同じことを繰り返せばよいのだからな。まともにかかわるだけ無駄なことは確かだが、あまりに最低な奴を野放しにしておくほどこっちも度量が広くはない。

当たり前の話だが、そいつがものを書く資格のないどうしようもない奴だというだけのことであって、そいつが何ヲタか、なんてことは関係がない。そしてまた当たり前の話だが、そいつと同じハロメンを押している人にもすばらしい書き手がいることも私は知っている。

「某ヲタ」というのは自称として用いるのはよいが、他者批判に用いるのにはあまりにも危険なカテゴライズだ。以って他山の石としよう。

■ 年度末

とりあえず私の一番苦手な営業・客先でのプレゼンが終了。後は中身を作りこめばよいので、作業量は多いが、一応気は楽。それにしてもいつものことながら、世の中、いい加減なところで仕事が進むものだな、と実感。中身もまだないすっからかんの状態でのプレゼンでなんの突っ込みもなくスルーされてしまうのだから。

当面の仕事は看護学校の採点。40人分のレポートを木曜日までに読まなければならない。非常に気が重い作業なのだが、今年は答案をざっと見た限り、例年よりも文章がまともな感じ。問題に工夫を凝らして、単なる感想文が書けないようにした苦心が実を結んだ、と自賛。

3月で終わる仕事の後片付けと引継ぎもやらなければいけないはずだが、責任とか誇りとか言う言葉とは無縁の三セク相手なので、まともに仕事をするだけ無駄。あまりの無責任振りにことあるごとにいやみを言ってきたが、改善するどころかどんどん悪化。そりゃそうだわな。いやみ言われてまともな仕事をするわけもないしな。人はほめて育てなければならないということは特に最近身にしみてわかってきているのだが、学生さんならともかく私より給料もらっているアホを何で私がほめて育ててやらなければならないんだ、というのも多分それなりに正しいはず。でもそんな正しさをいくら押し出してみてもむなしいだけだった。まあ、もうかかわることもない奴らだから、どうでもいいが。

■ 傷は現メンヲタの方が深いのかも

過去の曲を別のメンバーが歌い継ぐ、ということに関してはおのおの想いがあるようだ。私は歓迎する。曲は歌い継がれてナンボ、と思っているので。とくにオリメンヲタは「モーニングコーヒー」をほかのメンバーに歌われるのを嫌うことが多いようだが、私は全然かまわない。もうあの曲は安倍さんや飯田さんが歌うよりも加護ちゃん辻ちゃんとか、ゴロッキーズが歌ったほうが「らしい」だろうし、きっといいと思う。

ただ去年だっけ、ラブマシーンを娘。現メンバーで歌っていたのをテレビで見たが、あれはちょっとつらかった。あまりに歌も下手だし、パフォーマンス全体が貧相で。いや、卒メンヲタとしては別にいいのですよ。やっぱ昔の娘。のほうがいいじゃん、って思えばいいのだから。でも現メンバーも応援している身としては、あんなのを見せられるとつらい。昔のメンバーのほうが歌唱力あった、とは別に思わないけれど、団体としてのパフォーマンススキルはかなり差があるな、と正直そう思った。

過去の曲を別の人が歌うといううのは、リスクは過去その曲を歌っていた人にはなくて、今歌う人につくものなのだ。

2005年03月09日

■ 言説の裂け目

あややこと松浦亜弥の恋愛が話題になっている。

基本的に私は松浦亜弥にはさしたる関心というか愛着を持っているわけではないので、そのこと自体に感慨もないし、それだけにここでことさらに何かを触れるのもよくはないだろうと思ったのだが、ふと思ったことがあったのでちょっとだけ書くことにする。

意外だったのはこの一件にショックを受けているヲタがかなりいるらしい、ということだ。

松浦亜弥は、私が思うに、徹底して言説化可能なアイドルである。それは解釈対象たるべき松浦本人が、己の解釈に対するメタメッセージを常に送信し続け、ヲタたちがそのメッセージを反復することによって成し遂げられている。

それゆえに松浦亜弥は相対的に非言説的な部分、身体性とでも言おうか、に対する依存の低いアイドルだと思っていた。アイドルサイボーグとも評される彼女は、あくまでその表に出るパフォーマンスに価値があるのであって、彼女が私の部分で何をしようが、あまりヲタも関心を持たないのではないか、などと思っていたのだ。

それは例えばなっちこと安倍なつみとは好対照を成す。安倍なつみは、数多くの言説の重なりにも、依然としてその空白を残す。安倍なつみは、己の存在を明確なメッセージで発することが出来ていないし、それに対応してヲタたちはその空白部分にそれぞれの想いを読み込もうとする。安倍なつみはそうして、芸・パフォーマンスよりも、その茫漠たる「人間性」で勝負するアイドルとなる。必然、ヲタの思い入れも深くなる。そしてその思い入れの深さが、同等の「スキャンダル」に対して極端な二つの反応を引き起こした。一方で幻滅、転じて「アンチ」の醸成、他方でいかなることがあっても見捨てない強固なヲタ層の形成。結果的に安倍なつみは、そのときの危機を乗り切った。

松浦亜弥の今回の一件に対する反応は、安倍なつみのときと比較してずっとクールなものに終わるものと想像していた。最終的にどうなるかは神のみぞ知る、だが、今のところの反応はやや(私が想像していたよりは)大き目、といったところか。

あるいは、とちょっとひねくれたことを考える。確かに今回の松浦亜弥の恋愛報道は、*アイドルとして完璧ではない*。完璧なアイドルとは、そのような「私」の部分をまったく見せないことによって達成されるのであって、「私」を見せても人気に影響しないのではなくて、「私」をそもそもまったく見せないことこそが望まれる。そういうことからすると今回の報道は松浦亜弥にとって重大な「傷」であって、その傷をこそヲタたちは惜しんでいるのではないか。

私はいわゆる構造主義者あるいはエスノメソドロジストよりも、物質性・空白に拘泥したアルチュセールのほうに共感するので、あややよりもなっちだし、こんかいのあややの「傷」に関してはむしろ肯定的に見ている。

2005年03月06日

■ 王さまの耳はロバの耳

ただの仕事上の愚痴。

インターネットの虚空間に向けて、意味なく叫ぶ。

全然パーツが足りるわけないパズルを人に押しつけんじゃねえ。無責任な勘だけで仕事やってんじゃねえよ。

せっかく録画したハロモニなんて見る余裕がない。といって、ハロモニも見ずにキーボードを適当にたたいたところでぜんぜん仕事は進まない。私もいい加減ハッタリの多い人間だが、それでもハッタリだらけなのにその自覚があるのかないのかさえよくわからない人と仕事をするのもさすがに疲れてきた。

身近に愚痴を聞いてくれそうな人がいないのがつらい。そのパズルが絶対完成するはずがないことを再確認してくれるだけでいいのだが、それで私の憤りの正当性の一片が自分で確認できればそれでいいのだが、そんな人がいない。

年末にメールを出してみた人から返事が来たが、私がただただ前進し続けていることを根拠もなく前提とした内容だった。要するに、ただの儀礼メール。使えない。

■ 微かな影

結局ハロモニを見てしまった。

なっちこと安倍なつみ、復活。エンタも見られない、青年館にも行かなかった私にとって真の「復活」。これまでネットで情報を見る限り、すっかり通常通り、元気でよかった、などと聞き、そんなものか、と思っていたが、どうなんでしょう。

本当にいつも通りだったのだろうか。なんとなくいっぱいいっぱいなようにも見える。笑顔とかしぐさとか、そういう他愛ないことの一つ一つに「頑張っているな」というのを感じてしまう。あの一件、そして2ヶ月の活動休止に、当然のことながら彼女は無傷ではなかった。そのように感じた。

そのことを、しかし肯定的に受け止めようと思う。無邪気さは少し消えた気がするけれど、その分少し大人になったのかもしれない。そんな彼女をまた応援していこうと改めて思う。

2005年03月02日

■ 貧乏暇なし

うわっ。

ぜんぜん更新していない。

フリーで仕事していると、仕事の流量がぜんぜん調整できない。世間はどうだか知らないが、私の仕事許容量をオーバーしている状態がしばらく続いている。そんな状態が5月末まで。

仕事繁盛で結構なことだが、6月以降になると途端にほぼスケジュールが真っ白。それも含めて、どうしよう。

なっちこと安倍なつみ復活といっても関西の片田舎に引きこもっていると、実は全然実感がない。まだ「復活」以降一度もなっちの動いている姿を見ていない。復活しているのに「なっち、元気ですよ」なんて情報を語るゴマキいうなぁ〜こと後藤真希も相変わらず可笑しいが、その情報を有難く感じる状態というのもね。

とりあえずは次週のハロモニか。仕事でリアルタイムに見られないや。