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2008年12月08日
■ 所詮アイドルなんて
「ファシズム」というものが人類近代史上にもたらした衝撃の大きさ、表現・芸術の分野にも与えた影響力を鑑みれば、表現者として一定の関心を持ち、そこから何らかの思いを持つことに意味があるのは論を待たない。
今回の件をアイドルに常識はいらない、などともっともらしいことを言ってアイドルを「擁護」している人は、アイドルとは所詮表現者として持つべき教養(常識ではない)も必要としない「お人形さん」でよい、と思っている、ということなのだろう。
表現者としての成長を求めるのであれば、その都度「教養」に触れ、身につけることが求められるのは当然だし、今それが不足していることをもって非難する必要はないが、それでも一行かまわないという価値観を持つのは私は逆に侮蔑的な態度だとさえ思う。
表現者は常識に縛られる必要はない、時にそれを超えた存在であることが求められる。しかし常識を越えるのにこそ「教養」が求められる。
いまのハロプロの活動にそういうものは事実として求められていない。必要なときにその都度出会えばそれで間に合う。それはそうだと思う。だから私も今回の件でメンバーを非難しようとは思わない。しかし、また「ヒトラーおじさん」と言ってへらへらしていたり、また「ヒトラー」という存在を初めて知ったかのごとき反応をしたりした映像が流れた、それをそのまま肯定する気にはなれない。それはみっともないことなのだ、ということはメンバーには今回学んでほしい。今の状態でいいことはないのだ。それが将来表現者として歩んでいくことを願う「ファン」としての反応だと私は思う。
「所詮アイドルなんて」言説をファンが反復してどうするのか。
ちなみに私はベリキューのn年後に対して何ら積極的な思いはないので、今回の件もそれ自体としてはどうでもいい。あまりに「無能」と言うしかない番組制作スタッフと、サイゾーとかいうゴシップサイトの記事をそのまま垂れ流したmixiと、今回の件を利用して薄っぺらな歴史相対主義という名の歴史修正主義を喧伝しようとする一部勢力への怒り以外には。あるいは喧伝しようという意識はなくとも、相対主義でこの問題まで相対化してしまえると考える安直な言説生産者に対しても(老婆心ながら突っ込んでおくと、ヒトラー・ナチスに対する歴史的評価は「視点の取り方」ごときでころころ変えられるような脆弱なものではない。「ヒトラーを偉いと記述できる」その可能性とやらをちょっとは本気で考えてからものを言ってはどうか)。
ただモーニング娘。現メンバーにはおのおの先への思いがあるので、今回のような反応を彼女たちがしたら、それでよしとは言わない。特に娘。卒業後、ミュージカルをはじめとした積極的な価値表現の場で活躍したいという思いを表明している高橋愛については。
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