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2008年12月30日
■ ハロプロ大賞2008 休憩中
白井 某ファンサイトの掲示板でハロメンの水着の是非について話題になっていたんだけれども、どう?
長 休憩時間にふさわしくエロ話ね、いいねえ。
白井 別にエロ話をしたいんじゃないんだって。そういうグラビア系仕事を娘。メンバーなどがすることをどう評するか、という話。
黒田 基本的にどうでもいいけど、白井さんはどう思うのさ。
白井 私?私は「露出が多ければ多いほど嬉しいというほど親父でもないし、露出を許せないなどというほど若くもない」と答えることにしている。ヌードになるとかそういうことになるとまたちょっと違うけどさ、本人たちのほうでもどこか思い切らなければならないところがあるだろうし。体のラインを見せるというのは美的表現としてごくありきたりに存在するわけであって、「劣情を刺激する」とか「はしたない」とかそんな言葉で断罪されるようなものじゃないわけで、って本当に今更だな。
黒田 でもそういうので劣情を刺激されまくっている親父が隣にいるとまあアレだな。
長 失礼な。オレを発情期まっただ中みたいにいうな。だいたいオレはそっちでは愛ちゃんしか興味ないし。愛ちゃん、愛ちゃん。
黒田 どうする?この親父。
白井 そもそもエロティシズムというのは芸術的価値を構成する重要な要素であるわけで、表現者としてのハロメンがそれを表現することを一概に否定する、下に見るなんて全くナンセンス。それをいうならライブだって、露出の多寡にかかわらず、衣装、踊り、歌、各々でエロティシズムを少なからず表現しているわけです。そしてそれは男性歌手だって同じことですよ。エロティシズム一般に女性蔑視的な意味合いもない。もちろん表現の仕方によって、いろいろマイナスの意味を持つことは個別具体的なレベルではいくらでもあるのはいうまでもないけれどね。
黒田 じゃ、具体的にどういう表現なら良くて、どういう表現なら駄目なのよ?
白井 具体的にといったって、ここには具体的な作品が目の前にある訳じゃないんで、あまり具体的にはならないんだけど。表現している人、表現されているもの双方に主体性が保持されているかどうか、かな。
黒田 むちゃくちゃ抽象的なんですけど。
白井 表現している人、つまりモデル自身が自分が何を表現しているかを理解していること、そこに何らかの積極的な意志を持っていること。そういう意味では10代前半のある種の水着写真集なんてものは私は嫌い。見る側がどう見るかなんてそれこそ千差万別なんで、そんなことをいちいち具体的にモデルが想像できていなくてもいいけれども、多少抽象的であっても「エロティシズム」の表現というものに積極的なものを見いだせない段階でそういうのをあからさまに表現させるのは好きじゃない。5年後10年後に見返して、そのとき自分が表現したと思っていたものと大きくズレを感じるようなものでなければ水着写真であってもいいんだけれどもね。またいくらモデルが積極的にやっていても、例えばレイプシーンを想起させるようなものも嫌い。そこで表現されているものの主体性を奪い取っている、そういう表現物は評価できない。エロはあくまでポジティブに!、これ基本。
黒田 最後の一文だけ良く理解できました。
長 ポジティブなエロ表現ということでいえば、「バラエティDVD」部門アロハロ3の私の愛ちゃん語りを見てもらえれば、それこそ具体的に・・・、って何故か消されてる!なんでだああ!オレの愛ちゃんへの愛に溢れた語りを消しやがって!責任者、出てこい!
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