重層的非決定?

« キュートなの | メイン | ウザちゃんピース »

2008年10月13日

■ セクシーなの

夜公演。MCは昼夜ごっちゃに前のエントリで書いたのでここでは省略。

夜公演の私の座席、これが、まああまりこういう表現はしたくないのだが、まあいわゆる一つの「神席」だったわけですよ。ファミリー席なんだけれど、名古屋市公会堂というホール、二階席が「コ」の字型になっていて、二階サイド席はステージの前まで伸びている。そしてそのステージ前が私の席。ファミリー席でこんなにステージに近いなんて。こんな経験はもう二度とないでしょう。あ、ステージに近くなければライブは楽しめない、言説に与するつもりはありませんよ?引き当てた席で楽しむ、それが我が美学って言うほどのものでもないはずだけれども、あまりに美しくないこの界隈、あえて言ってみる。

なっちコンだったら、まあ、なっち他がよく見えてラッキーだな、ぐらいですむのだけれど(歌を「聴きに」いっているもので)、娘。コンになると、何ですな、様々な邪心が芽生えてですな、これがなかなか何な席になったわけです。

ちなみにこのエントリを書いた人は実在しません。架空の想像上のどっかのフェティシズム的セクシュアリティにズブズブにはまりこんだ異性愛中心主義者の物語です。セクシュアリティの一つのあり方の理念型を描き出すべく、あえてステロタイプな男性の視線のあり方を私が創作したものです。本当です。信じてください。

何な話をする前にこの近いファミリー席、私の隣は子連れの夫婦。お嬢様が久住小春ファンのようで、近くで鑑賞いただけて、それもちょっと良かった。子連れだからファミリー席、でもいつもステージが遠い、ではせっかくのお子様ががっかりしてしまいますよ。

そんな純な心などとうに捨て去ってしまった邪心に充ち満ちた私、高橋愛ちゃんのおみ足のうつくしさにくらくらっとなる。決してスリムではなくて、引き締まってはいるけれども鍛えられたたくましい足。うーん、ほれぼれする。

横からステージを見ているので、衣装チェンジの様子も見えたりする。といってももちろん上に着ている衣装を脱ぎ捨てるだけなので、何がどうということはないんですけどね。そういう何がどうということないところにときめくのがナニ心なわけですよ。

ペッパー警部でミニスカートで足を高く蹴り上げる踊り、まあ見えるわけです。もちろんいわゆる「見せパン」ですよ。だから見えてもかまわないし、見てもかまわないわけです。当然見るわけです。で、クラッと来るわけです。

でもそんなのはまだまだ序の口であったりするわけで、最大の見せ場は「どうにもとまらない」。黒いひだの付いたミニスカート姿で歌い踊るわけだけれども、その途中で階段状のステージに座って、足をこれ見よがしに高く掲げて組み替える仕草があるわけです。そしてそれが私の座っていた方向からは実によく見えるわけです。もうそのための座席ではないか、というぐらい見事に。あ、繰り返し言いますけれども、見えるのは衣装ですよ。見ちゃいけないものを見ているわけではありませんよ。

なんだかこんなことを書いていると娘。コンサートをストリップショーまがいのものだと誤解されると困るのであわてて否定するのだけれど、それは全く違います。「真に芸術的なものはエロティックである」とかそんなテーゼはどこぞをひっぱればいくらでも出てくるだろうけれども、まあ、そういうことです。そしてエロティシズムの本質はチラリズムである、とも。露出が肝であってはだめなのです。その点では美勇伝は私からすると少し方向がおかしかった。「胸の谷間」とかそういうのを強調したらだめなんです。何かを蹴り上げる、足を組み替える、これは「かっこいい」仕草なんです。そして実際そのときの高橋愛はまずもってかっこいいんです。ただその刹那の一瞬にエロスを感じる。それが最高にエロティックなのであり、芸術的であるわけです。

あ、私、中学高校の美術の成績で赤点を取ったことがありますわよ。大学では一般教養の美学(だったっけか)、優良可不可の「可」で単位を取りましたわよ。そんな奴がなんか知らんけれど芸術論なんか語ってしまってますわよ。

投稿者 althusser : 2008年10月13日 23:49

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://macmini/cgi-bin/blog/althusser-tb.cgi/890