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2008年08月14日
■ 屍を乗り越えて進め
先日のエントリ「複数の論理が交錯する場のルールはどのように形成されるべきなのか」の続き。
とりあえず私が引っかかった言葉の問題だけ改めて整理しておく。「倫理」。倫理とは他者との関係において生成するものだと私は思っているので、「ヲタ」と「一般人」の二者関係において、「ヲタ」内部の倫理を前面に出すのに大いに違和感があった。暴力団にも内部の倫理はある、というのと同じ話だ。もちろん集団内部にも倫理は存在するが(集団内部の人間関係において)、それを外部との関係において持ち出されてもナンセンスである。
さて、話を前に進めよう。さしあたりこの手の秩序問題はザインSein(存在ーいまどうあるのか)とゾレンSollen(当為ーどうあるべきか)の議論が混在してしまうものなので、そこはなるべく慎重に切り分けていこう。
まずは「存在」において。「ヲタ」集団内部において一定の秩序はあった。客演のアイドルを「応援」し、あるいは当該アイドルの前で思い切り「はじけ」ようという方向において。しかし「ヲタ」集団と「一般人」集団との間には秩序ではなく葛藤があった。それについては先のエントリの引用に現れている。
「当為」。葛藤を野放しにし続けるのはよろしくない。誰のためにか?「一般人」集団にとって。花火大会を見に行って、わざわざ不愉快な思いをさせられるのは嬉しいはずもない。「ヲタ」集団にとって。「一般人」から反感を食らって、応援対象のアイドルに不利益が被る可能性。そうして自身の楽しみの場が奪われてしまう危険性。
葛藤状態に陥れば、集団は各々の内部論理(利害関係)に従って戦略的に動く。一般人の戦略は簡単だ。アイドルとそのファン集団(すなわち「ヲタ」集団)を場から排除しようとする。方法は簡単だ。主催者に徹底的に苦情を言えばいい。それは別に個人として「排除」という戦略を意識して動くことを意味しない。単に不愉快な思いをしたら、その原因について主催者に善処を求めるだけのことだ。そしてそれは集団としての戦略と合致する。
問題は「ヲタ」集団の戦略だ。「ヲタ」集団内部には二つの論理が併存している。
- 今この場において楽しむことが重要だ。
- 応援対象アイドルをもり立てることが重要だ。
この二つの論理は時に共存し、時に対立する。そして今ここにおいてこの二つの論理は対立してしまっているのだ。
「今この場において楽しむ」を最大に押し立てれば、それは「一般人」集団の反感を煽ることになる。そしてそれは端的に応援対象アイドルの活動の場を奪うことに繋がる。
ここには「ヲタ」集団内部のジレンマがある。そして内部にジレンマを抱えた集団は早晩その外の集団の論理に破れることになるのだ。
この「負け戦」をいかに戦うか。外圧に押されて集団内部の矛盾は顕在化する。二つの戦略に分裂して戦うことになるだろう。
- 「雑音」に耳をふさいで、廻りの迷惑を顧みず、自分たちが楽しむ。
- 外部の論理を取り込んで、当該アイドルの印象操作に意識を配る。
ミュージカルに出演中のモーニング娘。ファンは後者の戦略を主として選択した。ほころびは見られるが。ベリキューファンはどこに向かうのか。
前者の戦略を選択した場合、これは端的に負け戦を戦うことになる。集団内部で「盛り上がり」、外部から苦情が来て、主催者が「善処」する。そうして当該アイドルの活動の場は少しずつむしばまれていく。それでもそれに懲りず、また新たなる別のアイドルを見つけてきては同じことを繰り返し続けるのかも知れない。娘。ファンから撤退してベリキューへ行き、次はポッシボー、きゃなーり倶楽部、AKB48などなどへ行き、次は・・・、といった具合に。そうしてかれらは負け戦を戦っているということすら認識せずに、次々に新しいアイドルを「応援」し続けるのかも知れない。そしてそれは確かにもはや「負け戦」ではない。そして後には「応援」され、捨てられたアイドル本体の屍が放置されるわけだ。
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