重層的非決定?

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2008年08月11日

■ 行動記録5

昨日は会場を出てからそのままホテルに向かう。かなりの雨で服も靴も濡れてしまう。とりあえず着替えをして靴を乾かしながら「Tomorrow」を見る。22時からまたJR新宿駅付近に戻り夕食を食べる場所を探す。雨もあがっていた。

結局入った店は牛タンの店「ねぎし」。仙台を懐かしみつつ。仙台で食べたのと違い、私が普通に知っている肉は薄く、ちょっと堅めの牛タンだった。別に悪くはなかったけれど。

そして今日、朝7:00に起きて昨日のレポートをざっくり書いて、10:00にホテルをチェックアウト。そのまま徒歩でコマ劇場に向かう。

今日は平日昼間ということで入場者層が少しは変わるかなと思ったけれど、昨日と大差はなく、ハロプロファン、宝塚ファン、コマ劇場ファン、家族連れが混然としている。コマ劇場ファン系の年配の女性が思いの外娘。グッズに興味津々。「今誰がいるか全然しらんわ〜」、「この子が主演か」。

ミュージカル自体の感想文。

一昨年の「リボンの騎士」と比較してあれこれいわれているところもあるようだけれど、これはこれで十分「あり」だ。これが宝塚の世界なのね。

まるで絵本のおとぎ話の世界を丸ごと現出させたかのよう。舞台全体がきらきら輝いていた。

リボンの騎士にあった冒険性だとかカタルシスだとか主役以外の人物の生き様への興味だとか、そういうものは一切なし。ただただ美しく華やかな世界をこれでもかと見せつける。

登場人物にはほとんど魅力がない。一番かっこいい役たるべき王子だって金と権力にものをいわせて警察と軍隊を動員して女の子捜しってどこまで権力を濫用すれば気が済むのか。全然良い施政者じゃない。

主役のシンデレラは要するにメルヘン系(メンヘル系?)妄想娘。それを演じる高橋愛がきちんとはまっていて、可愛いんだけれど、それだけ。妖精も魔法が使えるだけだし、王様や女王も息子を甘やかすだけの駄目親。

でもそんなことはどうでも良いのだろう。とにかく踊りと衣装と照明が作り出す世界の美しさを堪能すればよいのだ。

演技。高橋愛は高橋愛。リボンの騎士のときよりも明らかに前進しているけれど、想定の範囲内。宝塚OGに混じっての踊りに何ら見劣りすることなし。動きもダイナミックに優雅で、魅せる。歌は少しのどの調子が悪いのかなと思う部分もあったけれど、音階の高い歌をさらりと可愛く歌えていた。

驚いたのは新垣里沙。なかなか結構いけてるぞ、というレポートは読んでいたので、期待はしていたのだが、その想定の上を行く。きちんと「王子」だよ。男の子に見えるよ。体は小さいのに、なんだか少し凛々しく感じられるよ。歌も愛ちゃんに見劣りすることなく、堂々とやり合えている。最初聞いたときは少し配役に無理があるんじゃないかと思ったが、もう王子はガキさんしかいないよ。

そのほかの娘。は皆それぞれに可愛いし、頑張っているけれど、まあ娘。だな、と。宝塚OGたちと混じってダンスしているシーンでは、何となくばたばたしていて、しかも動きが小さいから、すぐに娘。だとわかってしまう。その様子も可愛いんだけれどね。

フィナーレ部分のモーニング娘。曲披露。バックの音がこれまでのオーケストラからしょぼいカラオケになる。そのくせ音が大きく、耳障り。これまでのいい気分が台無し。せっかく劇中かわいらしくしか歌っていない高橋愛のかっこいい部分を見せつけるチャンスだと期待していたのに。それでも網タイツの衣装できりっとした表情で歌う高橋愛はシンデレラの高橋愛とは全然違っていて、その見事な切り替えを見られたのは良かった。

東京往復は金銭的にも労力的にも負担が大きいので、もうこれで打ち止めにするが、関東圏在住だったらもう1,2回は見に行きたくなっただろう。

投稿者 althusser : 2008年08月11日 22:06

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