重層的非決定?

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2008年07月04日

■ 泣かないで 泣かないで 私の恋心

私が安倍なつみを好きでいる(いた)のは、「表現する」ということに対する強い思い入れとかそういうものを感じたから。未だ蒸し返すなんて「アンチか」といわれても仕方がないけれど、私は一日たりとも忘れたことがないことなのだけれど、彼女はある時からずっと背負っているものがあるわけです。もちろんそれ以前にも、そういうのを感じさせられることがあったから、それなりに応援してきたわけだけれども、あのことがあって、今があって、それで私は彼女を強く応援している。

安倍さんの歌には波がある。駄目なときは結構駄目。いいときは無茶苦茶にいい。初物は駄目なことが結構多い。歌い込んでいくとどんどん良くなってくる。歌の奏でるメッセージ(歌詞そのものとは違う)が伝わってくるように感じられる、それが安倍なつみのいいとき。

そのときには声まで多彩になる。高橋愛のような技術の賜ではない。気持ちの問題だと思う。もともと安倍なつみの声はハスキーでもなければ、ガラスのような透明感のある声でもなく、陶磁器のような「丸み」のある声なのだが、それが曲のメッセージに合わせて、いろいろな表情を見せる。ざらついた(サンドブラストのような)渋めの器にもなれば、表面がつるっとした美しい器にもなる。

今日のライブでいえば「I'm in love」とか「小説の二人」は何とも澄んだ声で歌い上げる。一方「たからもの」は少し乾いた声でじっくり語りかけるように。

今日もそのあたりは感じられたのだけれど。でもちょっと「内輪」受けで納得してしまっているというか、ひたむきさ、どん欲さが少し感じられなかったというか。まあ、聞いている私がステージに全然集中できていなかったので、見当はずれもいいところかもしれない。

くさくさした気持ちで会場を後にする途中、路上ライブを見かけた。ほとんどの観客がどうやら顔見知り、本当の意味での客はほんの数人、それでも懸命にパフォーマンスしていた。そして上手かった。「思い」が伝わってくるように感じた。単にがなっているとしか聞こえない路上ライブが多い中、上手かった。

見回りの警察官が来た。ヴォーカルの女性、平謝りをしながら、路上ライブを終了した。歌っている途中で、遮られる無念さを露わにしながら。こっちの続きの方をもっと聞きたかったな、と思った。そう思って自主作成のシングルCD500円也を購入した。500円、CDと握手付き、生を聞いた時間1分ぐらい、だけれど、今日はこっちの方が価値があった、と思ってしまった。

Quintillion Quizというバンド。関西人の私はおそらく二度と生で聞く機会はないと思うけれど、CDの曲は、他のハロプロ楽曲と同列にずっと聞くことになるだろう。まあ、当のバンドメンバーからすればハロプロ曲と同列、というのにものすごく引っかかると思うけれど。

投稿者 althusser : 2008年07月04日 23:45

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