重層的非決定?

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2007年08月25日

■ 座してただ敗北を待つ

私の中のモーニング娘。はそこにいた、のかなあ?

本日開催されるモーニング娘。十年記念隊コンサート名古屋公演の会場に向かう電車の中で本公演の後藤真希の欠席を知る。もう京都から名古屋までの運賃払って電車に乗っているのですが。ぎりぎりまで結論を引き延ばす。それが誠意というものなのだろうか。少し違う気がする。

日曜日に後藤真希、途中退場。その後韓国に仕事で出かけるが、どうやらカメラを通して見ても顔色に優れず、とても万全とは言い難い状態であったと聞く。その時点で本日の欠席は半ば予期されていたのではなかったか。なのにしかるべき対応をせず、ずるずると結論を先送りにする。

問題は告知が遅れたことだけではない。コンサートの中身も問題だった。後藤さんソロ曲と、後藤さん・安倍なつみさんデュオ曲の二曲がそのまま削られる。「突然」なら仕方がない。しかし十分そういう可能性は想定されていてしかるべき状況だった。そうであるならば、後藤さん欠席というファンにとっての痛手にさらに曲を削るという痛手をかぶせることを何とか回避する策を取り得なかったのか。

先日モーニング娘。を卒業した吉澤ひとみさんを急遽、しゃべりのゲストとして呼び寄せたのがせめてもの「誠意」か。確かに吉澤さんの登場は会場を大きく盛り上げた。吉澤さんもきちんと話題を考えてきていて、会場を沸かせてくれた。良い仕事をしたと思う。

しかし結局はコンサート全体で65点を取りに行っただけのこと。後藤さん欠席という事態の中でも、何とかあらゆる可能性を探って良いコンサートを作ろうという姿勢が残念ながらあまり見えなかった。たとえば、たとえばの話であるが、本コンサートの初期に披露された久住小春さんのソロ「ふたりはNS」という曲を急遽今日の公演に組み込む、ということがそれほど難しいことなのだろうか。正直言うとモーニング娘。十年記念隊コンサートにおいて純情キラリンだかなんだかの曲を二曲も披露されても私はつまらない。それでもあり得べき可能性のぎりぎりを探ったのだろう、そういうメッセージは伝わったはずだ。

たとえば十年記念隊が出演したフジテレビのイベントで、今日と同様後藤さんが欠席したとき、後藤さん担当曲を残りのメンバーでうたったという。出来はさんざんだったようだが、チャレンジングな姿勢ははっきり見える。もちろんそちらは生演奏だったので今日も同じとは行かないが、たとえばそういう失敗を畏れず何かをしようという姿勢が今日は見られなかったことが残念でならない。

ソロの後藤さんの曲の他に削られたのは安倍さんの担当曲。安倍さんは本来歌う曲より一曲少なくしか歌えなかったということだ。まして安倍さんは本公演の「座長」格。

私は妊娠しているため思うようにコンサートに参加できない飯田圭織さん、そして後藤さんがいなくなった穴を必死の笑顔で精一杯埋めていた新垣里沙さん、がむしゃらに場内を駆けめぐる久住小春さんにはよく頑張ったと万雷の拍手を送りたいと思った。彼女たちにそれ以上望むことはない。良い仕事をしたと思う。

でも安倍さんにはあえてそうはいいたくない。彼女は無念だったろう、そう思う。もっと何かしなければならなかったのではないか、そう悔いいているのではないかと思う。そう思いたい。今日のコンサートで満足してもらいたくはない。

だから私は今日は安倍さんには拍手しなかった。安倍さんとともに、今日の無念をかみしめたいと思った。

投稿者 althusser : 2007年08月25日 00:15

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