重層的非決定?

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2007年08月27日

■ 木偶の坊ではない

モーニング娘。十年記念隊コンサート名古屋公演の評をいろいろネットで見たが、おおむね参加者は楽しまれたようで。特に二日目土曜日開催分の盛り上がりはたいしたものだったらしい。

私が参加した金曜日開催分はやはりいろいろ大変だったのだろう。私が見る限り、安倍さんの表情には必死さが先に出ていて、いつものライブを心の底から楽しんでいる感じではなかった。とにかくコンサートを成立させるだけでいっぱいいっぱいだったのかもしれない、と今思う。土曜日になるとだいぶん余裕が出てきて、安倍さん自身も楽しめたのかもしれない。

となると、私が思っていた以上に後藤真希さん欠席は突発的なものであったということか。スタッフもメンバーも相当ばたばたした中でのあの公演だったのなら、あのライブはたいしたものであったと今は思う。それでも後藤さんの韓国での様子を聴くにつれ、「出演するのが当然」という対応には納得がいかないものは感じるのだが。

突発的な事故、ということで思い出すのはモーニング娘。コンサート中に高橋愛ちゃんが転倒して病院に運ばれた件。これほどの突発的事故はあるまい。そのときの対応をネットで探す。どうやら愛ちゃんの歌のパートは吉澤ひとみさんと新垣里沙さんとでほぼカバーしたようだ。

それを思えば今回ももう少し何かやりようがなかったのか、と思わなくもないのだが、しかしそれは違うのだろう。モーニング娘。は(メンバーチェンジはあるとはいえ)恒常的なグループ。一方十年記念隊はテンポラリないわゆる「シャッフル」ユニット。グループとしてとれる練習時間も全く違うだろう。一人抜けたらそれを素早くカバーする、それはやはり不断の練習の賜物なのだ。それを思うとやはりモーニング娘。は改めてたいしたグループだし、一方十年記念隊はそうした突発的事態には必然的に弱いグループだったのだ。

だからといって十年記念隊が駄目だといっているのではない。「シャッフル」ユニットなればこそこのメンバーが集まれたのだ。そしてこのメンバーが集まったことによって作り上げられた世界を少なくとも私は堪能したのだ。「シャッフル」ユニットには「シャッフル」ユニットの良さがある。ただ突発的事態には弱い特性を持っていた、それだけのことだ。

今思い起こせば名古屋公演は名古屋公演でとても良いものであった。安倍さん、新垣さんはもちろんのこと、久住さんまでもが必死さを醸し出していた。若い二人を必死にリードする安倍なつみ、その姿はいつもの、心の底からライブを楽しんでいる安倍なつみとは違うものだったが、とても美しかった。

それでもやはり私はなちごまを見たかったのだよ。

投稿者 althusser : 2007年08月27日 22:23

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