重層的非決定?

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2007年02月15日

■ 笑顔YESヌード

購入記録

モーニング娘。「笑顔YESヌード」。初回特典DVD付き、1680円也。

新メンバー光井愛佳、結構歌える。初シングルとしては上々。

これぐらいしか感想がない。あとは愛ちゃん、可愛いな、とか。駄目だ。

■ バレンタイン

昨日はバレンタインデーと言うことでハロプロメンバーからのバレンタイングッズが届いているようだ。

もちろんファンクラブ会員向けの商品と言うことで、会員ならざる私は無関係なのだが、チョコレートに同梱されている写真があちこちにアップされているのを見る。メッセージ付き。

なっちこと安倍なつみ、「あなたに・・・・あげちゃーう」。

美貴帝こと藤本美貴、「好き・・・かも」。

愛ちゃんこと高橋愛、「I like you」。

「かも」とか「like」とか。特に「like」ってなんやねん。

2007年02月05日

■ 時間が解決すること

矢口こと矢口真里さんが一月のハロプロコンサートで歌手復帰したことについて、随所で違和感が語られている。私もそれよりも前に同様の趣旨のことを書いたことがある。矢口さんを巡る状況には、本来ならずっと矢口さんを好意的に見てきた人も含めて、何とも言えない「違和感」としか言い様のないものが渦巻いている。

もういいではないか、とさしあたり言ってみたくなる。しかし違和感は消えない。なにが「もう」だ。時間がたったら、それですむ、というのなら最初から批判するな、という主張も見る。確かに言いたいことは分かる。時間の問題なのか。

しかしやはり時間の問題なのではないか、と思うのだ。

違和感を主張する者が求めているのは「けじめ」なのだろう。いつかどこかで何かしらのけじめをつけてほしい。いわゆる「アンチ」としてではなく、違和感を表明する者たちの主張は畢竟そこにある(ように思われる)。しかしその「けじめ」が今後なされることはたぶん難しいだろう。なぜなら、このことは終わってしまった事柄だからだ。今更どんなけじめのつけようがあるというのだろう。モーニング娘。を脱退したときに事務所を通して、そしてテレビカメラを通して、彼女は既に報告をすませた。それで終わったのだ。今更時計の針を巻き戻して、今更何を改めて言うことがあろうか。

残念と言うしかないのは、彼女、あるいは事務所の思う「けじめ」と、違和感を表明する多くのファンの思う「けじめ」とがずれてしまっていたことだ。しかし時計の針は進んでしまった。

もはや改めて形式的なけじめがつけられることはない、と想定したとき、それでもなおそのけじめを求め続けることは何を意味するか。それは永久的に矢口真里に対して違和感を持ち続ける、ということだ。確かにボタンを掛け違えたのかもしれない、しかし矢口さんの行動は、永久的に違和感を感じ続けられなければならないほどのことであったのか。

「けじめ」とはおそらく、かつて矢口さんのある行動・発言を批判した時の私の言葉を使えば「傷を共有」すると言うことだ。誰かが何か過ちを犯したとする。それにより別の誰かが傷つけられたとする。その傷つけられた者の傷を傷つけた者が共有すること、そこに加害者の「けじめ」が成立し、傷つけられた者の「許し」の契機が生じる。矢口さんを巡る一件も、矢口さんが加害者だとか、誰かが被害者だとか、そういうのではなしに、それでもモーニング娘。を巡る「傷」をモーニング娘。現役メンバーとファンと、そして矢口さんとが共有しなければならない、それを違和感を語る私たちは望んでいるのではないか。

傷を共有する儀式は失敗した。そして矢口さんは長くファン一般の前で歌えない場面を持たされ続けた。その積み重ね、まさに2年にわたる時間の中に、私たちと矢口さんとは形式ではない、実質的な傷の共有を行ってきたのではなかったか。時間は、傷の存在とその深さを具体的に指し示してくれている。

どのみち儀式が再演されることはおそらくないことが容易に想像される以上(実際問題再演するにしてもどのようなやり方があるというのか)、ボールは私たちの手の中にあって、私たちがどこかでけじめをつけるしかない。

■ 結局私はエゴイスト

松山千春は立派だと思う。そこに思いも覚悟もあるから。鈴木宗男氏は私は必ずしも評価しないが、それを応援する松山千春の行動には敬意を表したい。

国政選ならまだしも(それはそれで非常にリスキーだが)、地方選にその地域に縁もゆかりもないタレントを選挙に動員するっていうのはなんだかね。タレント本人は何も考えていないんじゃないか、と思われてしまうだけで、よろしくない。稚拙であっても自分なりに信念を持っての行動と感じられれば、極右でも極左でも、よしんばそれがタレント生命を絶つことになったとしても、その行動そのものには敬意を表するんだけれどね。

まあ、信頼している人が応援している候補者なら、自分も応援しようと思う、というのはあり得べき心性だし、少しでも力になれれば、とか何とか思ったとすれば、それはそれでいじらしい話ではあるし、と今回はまあいいけれど、といいつつ、それでも心の奥底では結構ひどいことを思っていたりする。

今回は、まあ言ってしまえば、どうでもいいです(我ながら結構ひどい)。なっちこと安倍なつみや愛ちゃんこと高橋愛をこんな使い方すれば、今度こそ許さんからな。

2007年02月04日

■ つべこべ言わずに会いにいきます

仕事以外の時間は食べているか、寝ているか、養豚場の豚のような生活を送っている。

モーニング娘。誕生10年記念隊「僕らが生きる MY ASIA」は発売日に購入済み。せっかくのテレビ出演、ミュージックステーションもPop Jamもすべて見忘れていて、あとで心眼で見る。娘。現役メンバー二人が意外と微妙に緊張している。 曲は悠々としていて悪くないのだが、所々本ユニット不参加の石川梨華さんの声が聞こえる気がするのは何故だろう。

カップリングの「十年愛」がかなり好み。

題名通りのかなりべたべたな演歌歌謡。なっちこと安倍なつみはしっかり小節をきかせる。この手の器用さはいつも通り。後藤真希さんも結構器用なのだが、少し驚いたのが飯田圭織さん。朗々と歌うのが得意で、逆にこの手の小細工は苦手と思っていたが、実に上手く小節をきかせている。先輩三人各々さすがに芸が細かく、上手い。

歌詞も一ひねり効いていて、一番はかなりありきたりな恋愛話の中に「浮気はしてもモーニング娘。は変わらず応援してね」という宣伝を、さりげなくだか露骨だか、盛り込む。

二番になるとモーニング娘。がこれまで出してきたシングル曲にちなんだフレーズを、最初はそれなりに歌詞の世界の中に組み入れる形で、徐々に歌詞の世界も何もあったものではない単なる羅列で、ぶち込んでいく。キャンディーズの「微笑みがえし」のパロディ。

あげく最後の決めぜりふが「全部は入らない」。キャンディーズよりシングル曲が多いのだから、許せ、と。

「十年おめでとう」。