2006年11月12日
■ 母なるモーニング娘。
購入品。
遅ればせながら、なっちこと安倍なつみ主演ミュージカル「白蛇伝」ソングセレクションCDとモーニング娘。新曲「歩いてる」、購入。
二枚ともざっくりPCに取り込む。「白蛇伝」のほうはCDDBにデータがなくて、曲名などを手作業で打ち込む。曲名もアーティスト名も一発で変換できないものが多く、疲れる。
取り込んでどちらから聞くか、というとこれが「歩いてる」のほう。自分でもそういうものか、と改めて確認した思い。「白蛇伝」はまだ見に行けてないので、当然曲もすべて未聴。一方「歩いてる」はテレビなどで結構見ていて、かなり気に入った曲。モーニング娘。のシングル曲の中でも、結構上位にはいるのではないか、というぐらい気に入っている。初回版についてきたDVDもよかった。今の娘。のゆったり伸び伸びした良さが際だっている。何の理屈も衒いもなく、 ただただ癒される。「白蛇伝」も安倍さんが歌っている曲だけは一通り聴いたが、やはり舞台を見て、話を押さえてからでないとピンと来ない。
土曜日。東京では「白蛇伝」をやっているんだな、と思いつつ、行くのは再来週ぐらいになるだろうか、とあれこれ思いめぐらす。初日は満員で当日券が入手できなかったとのことだが、日にちが過ぎれば大丈夫だろう、とか、しかし最終日付近になるとまずいかな、とか算段する。
ふと気づく。おお、そういえば今日は大阪でモーニング娘。がコンサートをやっているではないか。もし行くとすれば土日の大阪公演がチャンスなのに、何ら動かなかった。
この私の安倍なつみとモーニング娘。に対する優先順位付けのたすきがけ状態をどう理解すればいいのか、ハロプロにおける「推し」の何たるかについて、茫洋と考えるが、よくわからなくなる。
私は安倍なつみには「独り立ち」へ向けての成長の物語を、そしてその母体たるモーニング娘。には「彼女」が憩い、時に争い、そして「彼女」の成長を見守る「場」としての物語を見てきた。「彼女」がいなくなってからも、依然として「場」は別の「彼女」たちにとっての「場」であり続ける。私にとっての主役がいなくなった後も、その「場」は依然として光り輝くユートピアであり続ける。
安倍なつみはハロプロという枠を超えたいわばアウェーのミュージカルで主演をつとめる。私は彼女の「戦い」を見守りつつ、私自身の心の安寧の場をモーニング娘。に求める。私にとって安倍なつみは応援「する」対象だが、モーニング娘。はそこに「ある」ものなのだ。
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