重層的非決定?

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2005年08月15日

■ 愛(国)ごころ

教科書問題について。

上の番組中でいわゆる竹島問題に関するビデオを流した後で、パネラーの韓国人から「竹島という日本名だけではなく、独島という韓国名も併記すべきではないか」という指摘に対して、同じくパネラーの櫻井よしこが「韓国の教科書には独島と竹島という名前は併記していないでしょう」とすかさずやりかえした。

そして扶桑社の教科書に関する討論中に、中国・韓国の教科書*だって*偏っている、つまり歴史認識とは双方の立場を反映したものであって、双方の歴史観、文化は相互に尊重されるべきだ、という趣旨のことも言っていたように思う(ビデオ録画しなかったので正確なところは確認できない)。

なるほど。日本は韓国や中国並みに自国のパースペクティブを全面的に尊重した教科書を使うのが対等だ、ということなのか。志の低いやつだな。

私は愛国主義者なので、そんな「世間並み」の教科書では誇りを持てない。不勉強故、中国・韓国の教科書の実態を私は知らないのでその評価は留保する。しかし我が日本国の教科書はそれこそ櫻井が韓国・中国の教科書をそう印象づけたがっているようなナショナリズムに彩られた単線的なものの見方のみを提示するものでは、事実としてなかった、ということ、それをこそもっと私たちは誇りに思っていい。実際番組中で社会科の教師が山川出版の教科書の一部を読み上げたとき、パネラーの韓国・中国・その他アジア諸国の人たちの中には「ほう」とちょっと感心したような表情を見せた人もいた。結構日本の教科書の執筆者たちはがんばっているのだ。

確かに私たちは近代史を勉強する機械あまりに少なく、せっかくの教科書執筆者たちの努力をほとんど無にしてきた。特に最近の10代、20代の「若者」どもは勉強しないから(などと書くととっても説教くさくてすてき)、恐ろしいほどものを知らない。いや、これは2chなどに救うプチウヨとか称する「馬鹿者」どものことを言っているのではない。もっと政治的にナイーブかつイノセントな一般的な「若者」のことを言っている。たとえば「5月1日を休みにしてゴールデンウィークを連休にするために憲法の改正が必要らしくてえ」などと憲法問題を語ったりするたぐいのとてもナイーブでイノセントな若者のことだ。それはまさに教育問題として、教育のあり方、質を問う問題として厳然とあるが、しかし最初にやり玉に挙げられがちな教科書は、一概に「戦犯」呼ばわりされる質のものでもないのである。

「若者」が「馬鹿者」になる推移についての考察はまた別に考える問題として残すが(キーワードはナイーブとイノセント)、歴史教科書に限定して言えば、これまで使われてきた日本の歴史教科書はもっと誇りに思ってよい。現実の日本人の多くの歴史認識とは少し切り離して、日本の中学高校生が本来学ぶ礎となる教科書はこれなのだと韓国・中国の一般人に見せれば、かれらはかれらなりに感じるものはきっとある。それは日本は正しいことをアジアにしてやったのなどと強弁するよりもよほど日本を誇ることである。

投稿者 althusser : 2005年08月15日 00:00

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