重層的非決定?

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2005年08月15日

■ 欺瞞の効用

NHKの討論番組をちらちら見る。元々あまり討論番組は好きではないので、それほどしっかり見ようという気はないが、それでも田原総一郎という二元論的志向しかできない司会者が仕切る「朝まで生テレビ」とか言う番組よりはよほど見るに値する番組だと思った。

「今の政治はわかりにくい」だとかもっともらしいことを言って、わかりやすさとか言って己の知能程度に視聴者を貶め、物事を単純化していたずらに対立をあおり、よりわかりやすい、すなわち単純な主張こそ善であるというイデオロギーに彩られた「朝まで生テレビ」の「罪」は今は置くとして、NHKは対立点は対立点として留保しつつ、そのおのおのの主張の言わんとするところをテレビなりに掘り下げようという努力は感じられた。もちろん視聴者向けアンケートの問いの建て方、日本と中国いずれが歩み寄るべきか、などというものには批判の余地はいくらでもある。それでも双方の主張の、表面的な対立点をあおるのではなしに、双方の思いの中の共通点を、いわばユートピアへ向かわんとする蠢きのようなものを何とか引き出さんとする可能性を見せようとする方向性が感じられた。それは、特に「頭のよい」人たちからすれば欺瞞的なものかもしれない。もとより「公共放送」としてのNHKは制度としてそのような欺瞞を反復するしかなく、それはNHKの限界であるというべきかも知れない。しかしわたしはあえて、その制度的な欺瞞が生み出した「留保→掘り下げ→ユートピア」という道筋を尊重しようと思う。少なくとも善か悪かの二元論にとらわれ、世の中の主張は二者択一であり、それこそが人が判断すべき「選択肢」であるなどというデマゴギーにたいして、制度としての欺瞞は一時停止を呼びかけてくれるのだ。

投稿者 althusser : 2005年08月15日 00:00

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