2005年08月06日
■ インターネットという妖怪
感情とか記憶というものは特定の場において生じるものであり、それを第三者が外から丸ごと肯定したり、逆に否定したりすることはできない。第三者はその「場」を社会的、歴史的文脈によってとらえ直すことも出来れば、自らは追認できないその「場」を神聖化することも出来る。そしてこの二つの立場が、論理と感情の対立となって表象される。
専門家は論理を重んじるが(最近そうでもない「専門家」もいるが)、生活者は感情を重んじる。インターネットの広まりにより生活者の発言が主流言説を形成するようになる。感情を*後から*理論武装すれば、とても生活者にとってしっくりくる、心地よい主張ができあがる。感情から出発しているから、どの論理を受け入れるかも結局は感情が決める。結論は論理の前にある。
今の思想状況は、それ自体は絶対的に肯定されるべきメディアの進化のもたらした必然的帰結である。社会科学は未だにこのインターネットというメディアの怪物の前に佇むのみである。
投稿者 althusser : 2005年08月06日 00:00
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