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2005年08月06日
■ 社会思想の貧困
昨日の話の続き。
原爆投下の責任について問われた科学者はこうも言った。
「リメンバー、パールハーバーだ」
これまたおかしな話だ。真珠湾奇襲攻撃の責任は東京裁判で問われたはず。真珠湾奇襲攻撃が世界平和のために正しかった、などと公に言うものは誰もいない。もしヒロシマ原爆投下が真珠湾奇襲攻撃と見合いなのであれば、原爆投下の責任も問われなければならない。
結局のところ、感情のやりとりを解きほぐし、整理するのは論理の力なのだが、その論理の力が完全に消し去られている空間というものがあるもので、その下ではいかんともしがたい。逆に言えば、そうした空間をすくなくとも公的な言説の場からは消し去らなくては社会というものは亀裂を生じるほかない。しかしたとえば一国の総理大臣や大統領と称される人物が感情丸出しの発言を垂れ流し続ける状況ではどうにもならない。もちろんそうした人物が選出されてしまうという精神の貧困さがどうにもならないことなのだ。
だからといって、「個人のエゴ」がどうの、「最近の子ども」がどうの、などとくだらないことを言いたいのではない。個人の精神の貧困が問題なのではない。あくまでも問題なのは社会思想の貧困さである。
投稿者 althusser : 2005年08月06日 00:00
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