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2005年08月29日
■ 「社会学」化する2ch社会
2ch脳チェックリストというものがちまたで話題になっているようで、まあおもしろいのだけれど、精神構造を具体的な現象のリストで理解しようとするあたり、レーニンの「帝国主義」の概念規定レベルだな、とか思ったり。まあ、レーニンも偉大なんだけどさ。というか、誰もそんなレベルで評価しているわけではないか。
やはりマルキストとしては現象からではなく、個々の諸現象に内在する構造のレベルでとらえなくてはならない。
というわけで2ch的言説が生産される精神構造というものをずっと考え続けている。すでに論点・キーワードは数多く出ている。シニシズム・ニヒリズムとナショナリズムの結合、そしてそれを加速化させる2chにおける批評家的差異化(卓越化)戦略。
まさに2chにおける差異化戦略はシニシズムに彩られたものである。「わたしは・・・である」のではなく「・・・ではない」という(立場表明)が戦略的に採択される。読売新聞・産経新聞が好きなのではなく、朝日新聞が嫌いなのであり、自民党がよいのではなく、民主党が駄目で、社民党など最悪なのだ。この戦略は政治的な場面だけではない。モーニング娘。関連の掲示板においては、一部の「ファンスレ」をのぞいては誰ヲタであるかは極力秘するのが「正しい」。ある人間の発言を無効化する最大の武器は「おまえ、・・・ヲタだろう」である。価値を肯定するのではなく、否定することが戦略上有効なのだ。
特定の価値観を背負い、特定の立場に立って発言するものは、守るべきものを秘する「名無し」の群れからは格好の攻撃対象となる。こうした2chの言説構造と、特定の立場を守ろうとするものを、それがどんな立場であれ、「既得権者」として攻撃する現在の政治状況と見事に調和してしまうのだ。
こうした価値相対主義的・陰謀暴露型の言説構造は、「社会学」という学問ディシプリンにも内在している。社会学者は「心理学化する社会」とか言うキーワードで社会批評を行うが、今は「社会学化する社会」と言うべきなのかも知れない。
「奴ら」は既得権を持っている。その強迫観念は表明されざる己の立場の防御へと向かわせる。己の立場を明確にすれば、己が行う攻撃と同様の攻撃を招くだけだから、それらは明確に意識化・言語化されず、従って論理的な反省を経ず、ただ無限定な感情として社会的精神構造の中を跋扈する。
だから今の「ナショナリズム」とは己とは本質的に疎遠な、たとえば「天皇」と言った観念的な存在には基本的にその根拠をおいてはいない。あるのはひたすら「私」のみであり、「私」が心地よい限りにおいてのみ「天皇」にも敬意が表されるのみである。
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