2009年05月11日
■ 染められない
ややしつこめの三文オペラの総括。
この舞台は3層構成になっているのだ。舞台上の登場人物がもがきつつ、生きる世界、それを観察する観客のいる世界、そしてこの二つの世界の乖離をことさらに言い立てる制作サイドの世界(最初に書いた感想文は舞台上の世界についての言及を完全に取りこぼしていた。反省)。
登場人物はかれらの論理でもって、「真っ当に」生きている。しかし観客である*我々*はそうはなかなか感じられない。登場人物に共感できる部分が出来たかと思えば、裏切られる。だから*我々*にとっては舞台上のストーリーはどこか現実離れしていて、その登場人物に己を仮託できない。
舞台の世界は*我々*のリアルさからはどこかずれているのだが、しかし真にリアルに触れているのはかれらなのかもしれない。どこかしらに大きな穴が開いており、それを埋めようとして賢明に何かを求め続ける。この空疎さと、リアルさを求める執着とを、ポリー役の安倍なつみは実に見事に演じ分けていた。普段はひたすら軽薄で、ひたすら色恋沙汰にかまけている(しかもその恋がそれほど真っ当なものと見えない)。しかしその時々に突然豹変し、しっかり何かをつかんだようなどっしりした態度で、ドスのある声を響かせる。
こうしたリアルさを巡るせめぎ合いの中で、*我々*は己の論理の中にかれらの世界を馴化させていこうとする。そうして生にもがくメッキメッサーに「共感」を覚えようとしたときに、「どんでん返し」がやってくる。
お前たちにとってのリアリティなどというものはかくも脆いものなのだ。このどんでん返しは、舞台の世界と、そして観客の立場と、その両方をひっくり返してしまう。そして観客は永遠に舞台の世界には真にコミットできないことを思い知らされるのだ。こうして舞台上の「リアル」な世界は観客の馴化への意志を断ち切って、そのままの姿で温存されるわけだ。
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://macmini/cgi-bin/blog/althusser-tb.cgi/1079