重層的非決定?

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2009年05月06日

■ プロレタリアの世界からこんにちは

会場前、我々の同志が集っている。そしてその同志をなにやら猿山の猿を見るような視線でみる人たち。中にはわざとらしく晦渋な顔をしている人もいる。何者だろう。

会場前の張り紙を見ると我らが集いとは別に「三文オペラ」なる舞台をやっているらしい。かすかな記憶をたぐるにこの舞台、共産主義者として名をはせた劇作家ブレヒトの作品だという。そんなブレヒト劇をいかにも有閑層とおぼしき人々が衒学的な雰囲気を漂わせて鑑賞に来る。皮肉なものだ。

年齢も高めだ。老夫婦という風体の人も多数見られる。今更共産主義でもあるまい。真に革命的なプロレタリアは若者の中から生まれる。女性比率?女性が多いというのがなんだというのか。真の共産主義的革命においては男女などという差は解消されなければならない。しかし現に生産労働を主として担っているのが今なお男性である以上、革命的プロレタリアの養成は男性において先行する。若い男性、まさに革命的プロレタリアが生み出されるべき集団を我々は擁しているのだ。欲を言えば、もっと若さがほしいところであるが、資本制労働の矛盾を一番に受けている世代が多くいるこの年齢層も捨てたものではない。

私のつまみ食い的知識によれば、ブレヒト劇は鑑賞者に批判的精神を呼び覚ますことを意図しているらしい。主体性の確立、それは未だブルジョワ的ユートピアの反復に過ぎない。真に革命的プロレタリアはそのような屁理屈など不要なのだ。頭で考えるのではなく、まず体を動かすこと。そのリズムを、労働へ向かうリビドーを増幅させること。それには音楽が適している。まして対象が鬱屈した男性だ。華やかな女性の舞踊を加えればよりよい。これこそ真の革命的プロレタリアに必要とされるべき精神の養成手段なのだ。

(編注:以下意味不明な左翼プロパガンダが続いたため削除)。

投稿者 althusser : 2009年05月06日 21:45

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