重層的非決定?

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2007年08月17日

■ 儀式

私の中のモーニング娘。がそこにあった。

東京で行われたもののセットリストを見ていた時点で、私の最初の感想は上の一文になることは半ば決まっていた。しかし想像以上に素晴らしいものだった。

私はモーニング娘。のコンサートには実は行ったことがない。モーニング娘。のライブを見たのも昨年夏のミュージカル「リボンの騎士」の最後に行われたミニライブのみだ。だから「私の中のモーニング娘。」とはテレビやDVDなどのメディアを通じて私の中に形作られた想像の産物以上のものではない。しかしそれはそうであるだけに、私にとって確かに思い入れのある存在だった。

「私の中のモーニング娘。」が全盛だった頃、私はひたすら自宅でメディアを通じてモーニング娘。を知るだけのいわゆる「在宅派」だった。それでもいつかモーニング娘。の人気が衰え、チケットが楽にとれるようになり、狭い会場でコンサートが開催されればそのときこそ行こう、そう心に決めていた。

しかしそのときには想像の範囲を超えていたことに、メンバーが次々と変化し、人気は衰えず、チケットは簡単にはとれず、そうしているうちにいつの間にか「私の中のモーニング娘。」がいなくなってしまった。私は今のモーニング娘。を愛しているが、それは*あの時*私がいつかコンサートを見に行くと心に決めたあのモーニング娘。ではない。

*その*モーニング娘。が帰ってきた。「私の中のモーニング娘。」、それは1期、2期だけで構成されたモーニング娘。である。後藤真希が加入する前のモーニング娘。。どこかはかなく、いつか記憶の中にのみその存在をとどめるであろうその結末がその目の前の存在の中に宿っているかのごとく感じられたモーニング娘。。

現実のモーニング娘。は私の予想を遙かに超えてたくましく今もなお現実として力強く現存しており、それゆえ「私の中のモーニング娘。」は成仏することなしに私の心の中をさまよっていた。

後藤真希のいないモーニング娘。の曲を後藤真希を含めたメンバーで歌う。しかし何の違和感もなかった。後藤真希はまるではじめからその場の中にいたかのごとく、曲の中にいた。後藤真希加入以前の最後のアルバム「セカンドモーニング」収録、初期モーニング娘。の声の重なりという長所を遺憾なく示した名曲「Night Of Tokyo City」、初期モーニング娘。のある種のナイーブさが表出した曲「パパに似ている彼」、そして初期娘。を打表するシングル曲「抱いてHold On Me!」、いずれも安倍なつみと後藤真希の声の掛け合いがあたかもオリジナルがそうであるかのごとくにはまっていた。

そして後藤真希加入後の代表曲「LOVE マシーン」、正直に言うと私は初めてこの曲が真に名曲であると感じた。本当のオリジナル、オリジナルを歌っていたメンバーがいなくなったメンバーだけで歌ったバージョン、その他いろいろなバージョンをメディアを通じて、そしてほんのわずかな機会に直接、聴いてきた。オリジナルが歌われていた頃は私は「それ以前」のモーニング娘。をこそ「本当」と信じる反動主義者だった。それ故この曲の力を認めてはいなかった。そしてそうこうしているうちに次第にメンバーが入れ替わり、全く別のメンバーによって歌われるこの曲は「過去の栄光」を表現する曲になってしまっていた。

しかし今回歌われたこの曲は、この曲本来の力を十分に発現したもののように感じられた。安倍なつみと後藤真希、この「相容れぬ」二つの存在がぶつかり合って、一つになるのではなく、さらに賑やかにバラエティ豊かになる。少しひどいことを書く。安倍なつみと後藤真希、この二人がいればモーニング娘。はできあがってしまうのではないか、そんな風にさえ思えた。

そしてこのコンサートを通じて、安倍なつみもモーニング娘。に帰っていた。

私が直接見たライブでのソロとしての安倍なつみではなかった。ライブDVDなどで私の記憶に残るモーニング娘。の安倍なつみであった。自分がこのグループを引っ張るのだ、その気負い、責任感に溢れ、りりしさを感じる安倍なつみである。ああ、これが多くの人が見ていた安倍なつみであったのだ、と改めて思う。自らの苦難を乗り越え、さらに中澤裕子の卒業を見送ったあと、毅然と「復活」してみせたその安倍なつみを見た。

反対に後藤真希はすっかり「妹」モードであった。これほどかわいらしい後藤真希を見る機会もあまりない。こうしたメンバーの組み合わせによって様々に表情を変える娘。たち、この疑似家族の成長を見守る楽しみの大きな部分を占めるところである。

飯田圭織はさしずめ嫁いでいく長女といったところか。かつてはわがままで頼りなかった次女がもう家を仕切れるようになった、それをかつてそのわがままぶりに腹を立てたことの思い出とともにいまほほえましい思いでゆったりと見守る。

「現役」娘。の一人、新垣里沙は自分もしっかりしたところを見せなければ、と少し気負い気味。必死で一人前なところを「姉」たちに見せようと張り切る。その頑張りぶりがかわいらしい。張り切るあまり背伸びしてソロで歌った曲が福田明日香卒業時に作られ、保田圭が卒業時にカバーした「Never Forget」。見守る方の立場なのだから、この選曲は少しずれている気も。それよりも同じセカンドモーニング収録の安倍なつみのソロ曲「せんこう花火」を歌ってくれた方が、私は泣けた。

もう一人の現役娘。久住小春、状況を何も分かっていない幼い末っ子。ひたすらきゃぴきゃぴとはしゃぐ。そのはしゃぎぶりが、逆にある種のしんみりした感情をかき立てる。

飯田圭織と新垣里沙がデュオで歌った曲が「ラストキッス」。飯田圭織が属していたユニット「タンポポ」のファーストシングル。タンポポはその後メンバーを入れ替え、ついには「オリジナルメンバー」飯田圭織を外した形で、かわりに新垣里沙が入る。二人は同じ「タンポポ」のメンバーでありながら、同じ場所にいたことはない。そして「外された」形の飯田さんはかわりに入ったメンバーを「逆恨み」したという。

その二人が歌う名曲「ラストキッス」。もとよりこの二人の人間としての関係においては遠に何のわだかまりもないのだが、しかし改めて二人でこの曲を歌う意味、それは過去の不幸なすれ違いを形式の次元においても払拭する、その儀式のように思えた。

そしてこのモーニング娘。誕生十年記念隊本来の最新シングル「愛しき悪友へ」、過去のわだかまりを解消し、成長した今の姿を「綺麗になったね」とうたうこの曲が、「長女」を送る家族の応援歌として、ひいては「私の中のモーニング娘。」の華々しい解散ソングのように聞こえた。

投稿者 althusser : 2007年08月17日 23:19

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