2005年06月26日
■ 日本的発想でアジアをつまらなくした
「A」最終回を見た。
もう散々いわれていることなのでことさらに繰り返す必要もないが、なるほど、ひどい番組だった。しかしまたまた2chに巣食うアホどもが見当違いの「分析」とやらを垂れ流してくれているので、少し補足しておく。
「日本人はアジアが嫌い」「久米の親中、親韓路線が受け入れられなかった」。だからあの番組は駄目だったのだ、などとのたまう。なるほど、久米の番組開始前の宣言「アメリカ、ヨーロッパ志向だけど、アジアを知らなくてどうする。アメリカと仲良くなってどうする」からすれば、こうも言いたくなったのだろう。ちょっとでも「アジア重視」などという主張を聞くと発狂するのが彼らの性癖なのだ。この手の集団ヒステリー症状についてはそれはそれでまた別に検討する必要があるとして、「A」という番組が駄目なのは、まったく逆である。この番組はアジアを持ち上げたものではない。アジアを馬鹿にし腐った番組なのである。
最終回だけを見たが、通常収録をしたまま打ち切りになったので、特に最終回ならではということを考える必要はないはず。本日の放送内容。
- タイのカリスマ占い師に未来を占ってもらおう
- 日本の食材でタイ料理を作ろう
- タイの神様に恋の奇跡を願おう
- 韓国で流行の夫婦ラブラブ写真集作りを通じて夫婦の愛を再発見
- 台湾の子どもに日本を見てもらおう
書いていて疲れる。
何がいけないか。ちょっと想像力を働かせてみればよい。日本がアジア諸国のことを知ろうという番組意図。同様の企画を例えばアメリカの番組が日本に対して立てたとする。
細木和子か誰かに未来を占ってもらいにアメリカ人が来る。その様子を流す。出雲大社かどこかに、恋がうまく行かないアメリカ人がお参りをする。さあ、ジャパニーズよ、君たちのことがだんだんわかってきたから仲良くしようぜ。
こんなに日本を馬鹿にした話があるだろうか。宗教というものはさまざまな歴史や文化の支えがあって、人々の心の中に何事かをもたらしているのだ。そういったことごとを一切黙殺して、いきなりそれに何の関心も持たぬものたちが神頼みに訪れる。それがどれほどその国の文化、宗教を馬鹿にしていることになるのか、そういうことだ。タイという国にとって重要な意味を持つさまざまな宗教的な儀式を、単に失恋を何とかしたいというそれこそ「神頼み」としてすがるものに行わせる。それではどこぞのインチキ宗教とまったく代わりがない。当人としてそれなりに切実な思いに付け込んで、信じてもいない宗教的儀式に参加させただけだ。それは参加者とタイの歴史・文化・宗教をともに馬鹿にした行為に他ならない。
このような、タイの宗教をインチキ宗教と同列に置くような扱いをし、そしてインチキ宗教への番組視聴者への誘いこむ企画を久米宏あろうものが進行する。無残というほかはない。
「アジアを知らなくてどうする」と久米は言った。番組の企画内容を文字で読み、彼の意図が無残に砕けたと思ったとき、私は芥川龍之介に準えて次の言葉を心に浮かべた。
「誰よりもアジアに関心を持たせようとした君は、誰よりもアジアを馬鹿にした君だ」
でもこの番組を改めて見て、この言葉はこの番組にはもったいなさ過ぎると思った。
「ちょっとだけアジアにちょっかいを出してみた君は、やはり日本人の中の日本人だった」
「君」は久米宏なのか、日本テレビなのか、それはよくわからない。
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