2005年08月14日
■ 追加
結局正しさなんてものはコンテキストに依存するというのは当然なのだから、社会・歴史について何かを論じるときには己が今立っているコンテキストが何なのかを明らかにした上で、それに即して価値判断をするよりない。一般論で歴史認識について語ったところで、何も語れるはずはないし、またそのことをことさらに指摘するだけでも何も語ったことにはならない。単にある特定の立場から語らんとするものの発言を揶揄し、無効化する効果をもたらすのみである。
少なくとも私たちは日本という国に住まい、主権を行使する立場にあるのであれば、その日本という国がおかれた文脈にこそ問題の焦点を据えて語るべきであって、「韓国の歴史認識だって」などという「友達の誰それ君だって」と同レベルの小学生的戯れ言で煙に巻くべきではないのだ。
投稿者 althusser : 2005年08月14日 00:00
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