2005年07月23日
■ 視線のその先
つまらない、といわれて、その評価は当然ではあるが、しかしある意味いかんともしがたいよなあ、と思いつつ、しかしまたその「いかんともしがたさ」に何となく引っかかっている。
一つは私の慢性的精神的疲労の産物だ。政治的・哲学的・思想的な語りというのは勢いで書けるものでもないために、それなりにエネルギーを要する。そうしたエネルギーの供給源(リビドーとでも言おうか)がハロプロ以外に今は見あたらない。
またそれとは別にやはりこの「はてな」という場、システムにも関わっているようにも思う。前のサイトは本当にひっそりと己の思いだけで、その思いを書き連ねることが許されていた。見に来る人は同じ志向を持っている人だけと事実上決め込んでいられた。しかしこの「はてな」という場はそうではない。たとえ何気なく話題に出した言葉からでもどんどんリンクされ、アクセスされる。もちろんそうしたシステムからくるおもしろさを感じたからこそこの場を選んだのは確かだ。その意味では功罪つけがたい。ただ前のサイトとはどうにも書く側の意識は変わらざるを得ない。「見られている」という意識で書く文章は、一方で緊張感を保てるなどよい効果を及ぼすこともあるだろうが、また一方ではラディカルさを損なう効果も及ぼす。ラディカルとは政治的な主張の偏りの度合いを言いたいのではない。そうではなくて、日常ささやかな事柄に「問題」を見いだしていく、そうしたパラノイア的な思索・姿勢のことだ。
投稿者 althusser : 2005年07月23日 00:00
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