Review Essay

Phillip Brown, A. H. Halsey, Hugh Lauder, and Amy Stuart Wells
The Transformation of Education and Society: An Introduction

0. はじめに

本書は、1961年のA. Halsey, J. FloudのEducation, Economy and Society, 1977年のJ. Karabel and A. HalseyのPower and Ideology in Educationについでハルゼーを編者の一人とする論文集である。ほぼ20年を周期に出されてきたこれらの論文集は、おのおのの時代の社会的・理論的変容を真正面から受け止めようとしているようだ。それはとりわけ編者のIntroductionの中に現れている。Power and Ideology in Education のIntroductionにおいては機能主義に対抗する理論の紹介に多くの力が注がれていた。機能主義に真っ向から対抗していった葛藤理論と、それらのよってたつ前提自体を疑っていった「新しい」教育社会学という3つのパラダイムによる整理は、マクロな次元でのトータルな理論に対する疑いと、研究の多様性という方向性を既に示してはいた。しかし同時にまた、ミクロとマクロが理論的に統合されうる可能性を見、そこに大きな期待を寄せていたのである。そこには多様な研究を列挙するにとどまらない、編者たちの明確な志向が顕れていた。

それから20年、資本主義と社会主義という二大イデオロギーの枠組みも崩れ、価値の多元性の尊重が前提とされるようになった近年の状況を、本書のIntroductionは誠実にふまえようとしているようだ。それは現実の社会的な動向としては、従来の階級闘争の枠組みには収まらないフェミニズム運動などの多様な闘争形態や、ポスト植民地主義やポストフォーディズムなど「ポスト」という語を冠することによってしか表現されていない、漠然とした体制の有様を反映していると言えるだろうし、理論的にはグランドセオリーを批判して、「現実」の多様性、相対主義を基調とする「ポストモダニズム」思想を色濃く反映しているのである。

しかし長いIntroductionを掲げるからには、ただ多様な価値とそれを反映した多様な研究を並立的に並べる以上のことが、またもや、期待されるだろう。そして編者たちもそのことは十分に意識しているようだ。しかし事は簡単ではない。グランドセオリーの限界を知りつつ、何かしらトータルな方向性を模索していく、この矛盾した要請を編者たちはいかにこなしていくのか、このIntroduction以上の"Introduction"にかけられる期待はそこにあるといえるだろう。

1. IntroductionのIntroduction

Introductionの課題として本書に集められた各論文の議論の背景を素描するためには、従来の教育の役割に関する前提を揺るがしてきたポスト産業化社会における経済的・文化的・社会的変容の下での、教育にかかわる時代性の連続性と断絶の分析をしなければならない。これが本Introductionの目的とされる。そしてそのために、大戦後の教育・文化・経済・社会相互間の諸関係の歴史を見ることから議論が始められるのである。

2. 経済ナショナリズムと教育拡大

編者は1945年から1973年までを経済成長と教育拡大の時代として捉え、両者の関わりを軸に、当時の教育の役割を整理していく。彼らは、この時代の中心的な経済的イデオロギーを「経済ナショナリズム」と呼び、その観点から歴史をたどっていく。「経済ナショナリズム」とは労働者とその家族にとって、社会進歩とは国家の経済成長がなされることによって支えられるものである、というイデオロギーである。このイデオロギーの下で「繁栄」「安全」「機会」という生活の基本となる20世紀後半の諸原則が結びつけられる。国民国家は繁栄・安全・機会を提供するだけの力を持っているというだけでなく、そうする責任までも持っているとされたのだ。これらの諸原則に則って政府の政策・企業組織・家族・教育が密接に関連づけられていくことになったというのが、編者の見方である。

そしてこうした経済ナショナリズムにおける組織原理は官僚制的なそれであったことが指摘される。すなわち「正確性・迅速性・規則性・信頼性・効率性」が要求され、かかる要求をこなしうる人材の育成のために教育が要請されることになるのである。こうした原理の下では「メリトクラシー」という理念が重視されることになる。すなわち個人は社会階級・ジェンダー・人種のような属性によってではなく、個人の能力によって扱われる、というものである。このようなものとして、教育は「効率性」「公正さ」「同化」を追求するという機能を担っていくことになる。

こうして、教育は戦後になって産業社会における中心的な機能を果たすようになるに至る。社会的公正さをうながす手段としてだけではなく、経済成長を促進させるための重要な投資として見なされるようになるのである。このことは先進産業社会で幅広く支持されている以下の二つの前提に基づいているという。第一に経済の効率性は、もっとも重要で、技術的な要請の多い職場に有能な人材を送り込むことによって支えられているということであり、第二におおくの職務がより技能化され、公教育がより長期にわたるよう要請されることから、教育機会が拡大される必要が出てくるということである。さらにまた、教育が民主主義の確立に寄与するものと見なされてもいた点も、合わせて指摘される。結果、経済ナショナリズム体制下においては、党派を問わず、教育拡大は支持されることになったと言うのだ。しかし現実の進行は、こうした理念を裏切っていったという。労働者階級の職種は消滅しなかったし、既得権益者の特権は残された。そして1970年代初頭の第一次オイルショックによってかかる経済ナショナリズムの破綻がはっきりすることになる。こうして教育の拡大によって誰もがその教育達成にふさわしい地位につくという理念が神話にすぎないことが次第に明らかになったと言うのである。

経済ナショナリズムを突き崩していった要因として、多国籍企業の台頭に表されるような国民国家の力の相対的な後退が挙げられる。そしてここから、とりわけ市場競争のイデオロギーを信奉する英米圏の諸国では、新保守主義と呼ばれる思想潮流が生み出されてくると言うのだ。新保守主義の下では、商取引に対する国家の障壁をなくすことが積極的に進められていく。もはや社会補償制度や労働組合は起業家精神を切り崩すものと見られるのである。現代生活の隅々にまで市場競争の原理が働いくことになる。そして教育システムももはやかつてのような聖域ではなくなっていく。競争原理が教育にも持ち込まれていくことによって、教師の地位も不安定なものにさらされていく。

しかし経済ナショナリズムの破綻によって、教育のある種の理念は解体したのは確かだが、教育自体の重要性は損なれなかったというのが編者の見解である。むしろ国家が経済政策に対して介入できない分、教育を通じた経済領域への働きかけが重要視されることになる。ポスト産業化社会において、教育はさらに重要な地位を与えられていく。ここにおいて教育を将来の経済的展望の鍵と見なす左派・右派双方の「合意」が生み出されたのだ、と見る。そしてその一方で、この「合意」を揺るがすものとして、学歴のインフレや、「技能」を巡る定義の変容、そして労働市場の変容に基づく女性の地位の向上、さらには社会的な統制の広がりの結果としての教育の意味の変容、が挙げられていく。こうした問題は、以下の章で詳しく展開されることになる。

3. 社会変容と闘争の場としての教育

ここまでの議論は、経済ナショナリズムの時代から現在に至る20年の「教育」の位置づけに関する政策レベルの素描であり、取り立てて論争的な議論が展開されているわけではない。そして編者も、こうした政策に焦点を当てるだけでは、対立する利害や権力関係の重要性を見落とす危険性があると自ら指摘する。こうして、本章では、より葛藤の内容のほうに焦点が当てられていくことになる。

編者たちは、メリトクラシーの原則とは不平等になる機会を、すべての人々に平等に与えるという思想に基づいていると指摘し、メリトクラティックな競争が社会的不平等を正当化する手段になるのだと主張する。教育におけるアクセスと選抜の問題は、社会的公正さと地位達成競争の問題に複雑に絡み合っているのである。教育選抜は、収入や地位を取り引きしうる資格へのアクセスを争う生徒相互の地位競争の形態をとるのである。

さらに啓蒙期以来、教育は、技術的或いは経済的のみならず、自由の観点からも人間の進歩に必要であると見られてきた。このために、教育は西洋の民主主義の思想と親和性を持ってきたのである。ここから編者は、教育は何が正統的な知識を作るのかを定義する権力を持った人々と教育的意志決定過程から排除された人々とのあいだの闘争の焦点であり続けるのだと主張する。

19世紀後半の公教育システムの始まりから1970年代に至るまで、学校の知識を巡る闘争は主に階級闘争の観点で見られてきた。最近になってフェミニズムの再出現や植民地支配の崩壊により、こうした闘争は女性や有色人種の解放と関連づけられてきた。同様に、教育社会学においては、かつてはアクセスや選抜機会の平等の問題が支配的であったが、知識・教育方法・差異の政治学の問題が闘争の場としての教育の研究により重要であると見られるようになった。そして、このことがポストモダニズムや文化政治学についての社会科学内部の闘争の広がりを反映しているのではないかと主張されるのである。

こうした議論は、機能主義的な議論に対抗する議論として既にさほど目新しいものではないだろう。こうした議論の枠組み自体はマルクス主義を含めて既に広く流布している。今や、こうした議論をいかに具体的に、豊かなものにしていくか、というところに課題が残されていると言えよう。少なくとも編者の期待はそこにあるようだ。

3.1 ポストモダニズムと差異をめぐる文化政治学

教育に関わる闘争を記述するに当たり、まずは「ポストモダン」や「文化政治学」といった思想的・理論的な次元からの整理からはじめられる。こうした議論自体には目新しさは今や特にないが、教科書的にはそれなりに上手くまとめられている。

文化政治学とは、女性や有色人種の闘争を前面に押し出し、彼らの虐待を不平等な機会という観点からのみならず、教育を含んだ日常生活の文化にかかわる点から説明を求める議論である。このインスピレーションはポストモダニズム思想の流れから出てきたものである。緩く関連づけられた一連の思想としてのポストモダニズムは、戦後の経済的ナショナリズムを根本から突き崩した社会的な変容を土台にしている。この知的動向のインスピレーションはフランスから来て、自己や社会を構築するイメージやシンボル、言語に大きな強調点をおく。ここから、支配的な白人・男性・都市のグランドセオリーを批判しようとする文化政治学と抑圧された地位にいる女性や有色人種を位置づける社会経済的世界のイメージが現れたのである。この批判が前提としているのは、一つの特殊な理論やものの見方が他のそれより現実をよりよく表象するのだという主張にはほとんど何の正当性もないということである。それゆえ「客観的真実」という科学的要請は棄却される。フーコーの業績が、この観点から重視される。支配者と被支配者とのあいだの果てしない葛藤を社会生活に与えるやり方で社会実践と自己が構築される場たる思想と実践についての彼の「言説」分析にとっても、真実と権力は不可分であるという点にとってもそうなのである。こうした思想によってフーコーは、啓蒙主義とか、あるいはやはり解放の実践ではなく、単に支配のための実践の合理化にすぎなかったマルクス主義というような「大きな物語」grand narrativesを批判することが可能になったのである。

知識は真実にかかわるものではなくて集団間の闘争の武器にすぎず、個人は社会的に構築され抑圧の像によって表象されるというこの思想はある種のフェミニストやポスト植民地の人々にとって明らかに魅力的であった。こうした人々にとって、白人・男性・都市の知識といったものは単に支配の道具にすぎず、女性や植民地の諸民族の知識が正しいものなのである。こうした見方をすることによって、彼らの「不利益」を、彼ら自身の無能力の結果として見てきた今までの傾向を克服することが可能になったのである。

編者たちはこうした立場に一定の魅力を感じていることは確かである。しかし、またこうした相対主義的な立場の持つ限界も既に知られているということ、そしてそこから逆に解決できない一連の問題がもたらされることをも同時に指摘していく。

諸民族ネイティブの教育者にとって、真実と権力の結びつきの相対主義的な議論は、彼ら固有の文化には歴史があるという主張と対立している。相対主義は抑圧を説明する諸理論をも危機に陥れるのである。もし知識が権力のつくりだした物語にすぎないとしたら、こうした理論とてやはり権力の産物と見なさざるを得ないのではないか。ここには相対主義の持つパラドクスがある。

さらに、相対主義と差異の政治学を結びつけることにより、さらに広範な問題が出てくる可能性が指摘される。被抑圧者の立場に立っても、社会と個人の進歩にかかせないものとして教育を見るという考え方は無視し得ない。批判的教育者にとって、女性や植民地の人々の解放を進めようとする差異の政治学と、社会進歩の可能性を批判する一連の相対主義やニヒリズムとを調和させるのが中心的な問題となるのである。

さらに最近になって教育理論のポストモダニズム的信条の多くが変化してきた。ポストモダニストの言説は、他者の経験に注意を払うときでさえ、なお排他的なものであるという批判がある。学術的な実践において白人男性の知識人やコード化された言語によってはなす学術エリートの声によって支配されているというのである。

このように、新しい文化政治学のポストモダン・ポスト構造主義的指針における多くの困難を、編者たちは十分に自覚しようとしている。しかしそれでもなお、彼らはこの知的運動の主要な流れは階級・ジェンダー・エスニシティの複雑な関係を見えるようにし、理解するのに役立つと考える。

このように相対主義的な立場に魅力を感じ、その成果を引き継ごうとしつつ、相対主義の限界をも見定めようとする編者の「相対主義」に対する態度もまた、相対主義的である。相対主義の乗り越え、ここ何十年も繰り広げられてきたこのテーマをどう解決していくか、編者もまた踏み迷っているようだ。

ともあれこうしたポストモダニズム的・文化政治学的指針を踏まえて、階級、ジェンダー、マイノリティの教育に関する諸問題が紹介されていく。順に見ていこう。

3.2 社会階級と教育

教育内部の葛藤を具体的に見ていく際に、編者たちは中間階級に着目する必要を主張する。労働者階級が19世紀から20世紀初頭において社会変革の原動力であったのにたいして、いまポスト産業社会においては中間階級こそが重要なのだ。経済ナショナリズムの時代には、新興中間階級は多くの利益を得る側であった。それ故に、教育社会学内部において、階級闘争や不平等についての議論を支配していたのは労働者階級のアクセスや機会についての問題であった。それがいまや、階級闘争の主要な源泉として代表されるのは、ネオマルキストによって予言された労働者階級の抵抗ではなくて、個人や社会の不安定さに直面した中間階級の排除の戦略なのである。経済ナショナリズムの解体による官僚の消滅と下層移動への危険に対抗して、中間階級は自分たちの階級の優位さの再生産を最大にしようという意図を持って、自らの既得権益を主張していくようになるのである。

そして中間階級が直面した不安定さの増大は、「生存競争」における資格証明を得ることの重要性を与えてくれる教育システムと深く関わっている。ここから、ブルデューを引きつつ、教育システムの問題へと議論を引き継いでいく。

学術的資格証の形態をとった文化資本は中間階級の特権の再生産にとって本質的なものなのである。これゆえ、「機会の平等」を確実にしようとする関心が、自分たちの子どもの教育により大きな選択の機会を与えようとする中間階級の要求に取って代わるとき、教育的選抜の問題を巡って激しい階級葛藤が生じるのである。

さらには、こうした葛藤を労働者階級と中間階級の葛藤と捉える伝統的な見方は誤りであるという。新中間階級が勃興して来るにつれて、彼らの子どものアスピレーションが上昇してくる。それに対して、「旧」専門中間階級はエリート大学へのアクセスの独占を維持しようとする。つまり20世紀後半の競合は、中間階級として定義されうるもの内部での階級葛藤が主流なのだ、とまとめられる。

3.3 ジェンダーと教育

さらに教育システムの内部たる知識や教育方法に対する議論としてジェンダーの問題が取り上げられる。中間階級の文化は、その世界観において、公的な教育システムと親近性を持っている事を前提としているために、教育内容に及ぶ議論が取り上げられにくいが、中間階級内部でも葛藤が存在している、その例としてジェンダーの問題が挙げられているのである。

この節では、女性が「一人前の市民」として取り上げられていないのではないかという女性側からの疑いを踏まえて、そこに構造的な障害の存在を見いだす近年の議論の紹介がなされていく。教育の問題としては、カリキュラムや教授法に関する問いかけを含み込んだ議論である。

たとえばフェミニストの教育者は、女性の利害関心は男性支配的なカリキュラムにおいて周辺化されてきたと主張する。女性の利害関心やパースペクティブは既存の教育方法やカリキュラムや評価においては適切に表現されて来なかったのではないか。こうした議論を踏まえて、教育とデモクラシーの結びつきに関する自由主義的な見方に対する二つの議論が紹介されていく。

第一には、西洋の自由教育の伝統的文化の一部として、学校でなにが教えられているか、ということに関する議論である。従来、こうした文化は男性によって書かれた文学や哲学によって構成されているものと理解されてきた。それに対して、フェミニストは、「偉大な」哲学や文学といった男性に支配された基準が大学のカリキュラムを構成するのは適切なのだという前提を攻撃する。そうしてフェミニストたちは自由主義教育は家父長的な権力を行使しているのだと主張するのである。

第二に、こうした批判に関連して、デモクラシーの問題にかかわる公的領域の概念に対する批判がある。公的領域という概念は男性の自然的な権利を認識し、受け入れることで男性は統一性を確認するのだという観念から形作られているのである。階級、人種、宗教などはすべて自然権の光を浴びて消えるかかすんでしまうのである。こうした仮定はメリトクラティックな教育という普遍主義的な観念と同一のものである。いずれにおいてもジェンダーやエスニシティ、階級という観点からした特定の性格は、より広い国家的な利害のもとで黙殺されていくのである。

さらにこうした理論的な次元の議論を踏まえて、男女別学論争や貧困が女性に偏るという問題、さらにそれに関連して女性の早期教育の是非に関する議論が取り上げられていく。

3.4 ポスト植民地社会における教育

教育における闘争のメインストリームとして中間階級を取り上げ、周辺的と見なされてきたものの一つとしてジェンダーの問題を取り上げたのを継いで、今度は植民地主義の問題が取り上げられていく。ここでキー概念となるのは、「ポスト植民地主義」である。このポスト植民地主義とは有色人種と教育との関わりに関する議論において広く用いられる理論用語であって、この概念は、人種主義の問題が歴史的な文脈を持った問題であり、500年にもわたる西洋の植民地主義の影響に経済的、文化的、政治的に関係を持っているという事実に注意を向けさせるものであると説明される。

ここではアイデンティティ、文化、自律性の政治学が重視されることになる。ポスト植民地主義の歴史が、歴史や出来事の「公的」バージョンを作ってきた権力と有色人種の諸民族との文化闘争の歴史として捉え返されていく。こうした文脈において、各々の民族的・宗教的集団にたいして、各々の形態をとった教育をしようという動きの重要性が説明されていくのである。

さらにマイノリティ集団のライフチャンスを脅かすものとして貧困の問題が取り上げられる。貧困にあえぐ子どもたちは不利益を持った状態で学校に通い始め、予算の割り当てが少ない貧民街、スラム街の学校によってさらなる不利益を被ることになるのである。そして、西洋の国家が貧困街の教育の問題を大々的に扱おうという初期の計画から撤退してきていることについて、危機感が表明される。

3.5 小活

編者たちは、葛藤を資本家対労働者という二大階級の対立として一面的に把握するのではなく、様々に分化した対立状況をおのおのすくい上げようとしているようだ。そして、ここまで見てきたように、中間階級の葛藤、ジェンダー間の葛藤、西洋中心主義を巡る葛藤が順に紹介されていく。ここにはもはや、二大階級対立といった「大きな物語」は存在しない。こうした葛藤の個別化、が現在の趨勢であるとも言えるし、また個別的な葛藤に関わる議論をひとつひとつ紹介していく姿勢としてみれば、多様な論文の集まった論集のIntroductionとしては当然とも言える。しかし、多様な議論の紹介にとどまらず、それ自体としてまとまった議論を打ち出そうとするのならば、もうひとつ各々の議論の関連づけが欲しいと思われるのもまた事実である。述べられていることひとつひとつには取り立てて異議はない。しかし、同じく多様な議論を紹介しつつ、編者自身のパースペクティブでそうした諸議論をまとめ上げた1977年のPower and Ideology in Educationの序文のようなおもしろさを、残念ながら感じることができないのだ。

4. 教育のリストラクチャリング

この章においては、今度は最近十年における教育改革についての議論がなされていく。この動きを形作った複雑な原因を理解するためには、ポスト産業化社会すべてに一般的に適用可能なものと特定の国にのみ当てはまるものとを区別しなければならないという。例えば西洋世界全体で教育において特定の国のイデオロギーや政治、権力関係と関わりのない変化があった。高等教育進学者が増大したということや、職業教育と学術教育とが区別できなくなったことなどが含まれる。しかし一方で、英米の国家主導の教育改革が単にこうした経済的社会的変化の反映であるとはいえないとして、英米社会における教育改革を決定づけたものものとしてニューライトとよばれる政治的な思想が取り上げられることになる。ここから、教育社会学は、政治的なニューライトの動きがポスト産業化社会の社会的な変化にいかに関わっているかを査定することが必要であると主張されるのである。以下、ニューライトの思想・理念が簡潔にまとめられていく。

ニューライトは、アメリカやイギリスの没落の根本的な原因のひとつは文化的ものであり、個人の生活に対する国家の介入が、人々の競争心や起業家精神を奪ったと主張した。こうした国家の介入がもたらした病理的な結果とは、国家の支出が私的領域への投資へと向かわず、人々の起業家精神を奪ったことである。重すぎる税金によって富める人々の能力を奪い、貧しい人々の向上心を奪ったのである。こうした見方によって、ニューライトは経済ナショナリズムの時代における、国家は雇用を促進し、安全性と機会を創造するという政策によって貧困を軽減する責任があるという仮定をひっくり返した。しかしニューライトが強い国家を強調する点は本質的に従来と変わっておらず、にもかかわらず経済的、社会的な改革は国家主導のものではなく、個人のインセンティブによるものであるべきと主張するのである。こうした、市場はすばらしく、政府は悪であるという教条主義によって、教育システムにおいても市場競争の増大が企画されるのである。

こうした議論には、個人のモチベーション、ミクロ経済改革、競争の美徳、財政抑制に相当するテーマがすべて入っている。そして教育の全部門での市場競争の導入が強固に主張されていくのである。これには3つの側面が指摘される。第一に学校、大学といった公的部門は小中規模のビジネスにおける自己運営となる。第二に学校は、入学者の性質に関わりなく成功を争えるということを前提としている。言い換えれば学校の成功、不成功は学校の運営と教師の質によって決まるというのである。第三に両親の選択という考え方は疑問の余地のないものとして扱われる。

このようにニューライトの思想をまとめ、以下、この思想に対する批判が紹介されていく。論点の第一は「機会の平等」を巡る議論である。ニューライトは、「機会の平等」に関して以下の点を前提としてしまっているとされる。両親は各々等しい文化的、物質的資源をもって己の選択を行っているということ。そして学校は入学者の性質に関わらず、等しく成功しうるということ。しかし、実際には貧困などのために入学以前に不利益を被っている生徒が存在しているのであって、機会の平等を実現するためには、なんらかの組織的な原則が制度化される必要がある。ニューライトは、機会の平等という原則を「公正さ」に定義し直し、社会的な不平等を減らすために、資格競争を調整しようという国家の介入に反対するのである。こうした平等観はコールマンの主張した平等−結果の平等を含む−とは隔絶したものとされる。

次なる批判として、民主主義と教育との関わりが無視されているという批判が挙げられている。ニューライトにとっての自由とは私的な消費におけるものであって、学校は解放には何の役割も果たさないものとされてしまうのである。

また、ニューライトは、個々人の成果によって報奨金が支払われ、逆に学校が機能しなければ、失業してもしかたがないと主張するが、こうした報酬やサンクションは、教育の文脈を無視したものであると批判される。生徒の到達度というものは長期にわたる集合的な努力の成果であって、教師個人の産物ではないからである。

さらに教育に市場改革を導入することは、統制を嫌う彼らの主張とは裏腹に、教師の実践に対する統制となるのではないかという指摘がなされる。ニューライトの理論においては、公的な領域で働く教師は国家的な独占の手先であって、税金泥棒のようなものであるとされている。こうして保護されることで、教師は、何をなすかに関わらず、生徒そして仕事を保証されてしまう。こういうロジックで、ニューライト政権は改革を急速に進め、教師組合を攻撃するようになる。そして、こうした改革は教師の同意無しに、上から押しつけられたものである。編者たちは、ニューライトのように官僚的な統制のもとで改革を行うことと、教師がかかわる専門的な権限によって改革を行うことには根本的な相違が存在すると主張する。そして国家からの命令は、教育においては、望ましい成果を何ら生みださないと断じるのである。

ここでは「自由市場」のもつパラドクスの存在が指摘されているのである。すなわち、市場は国家が影響を公使し続ける制度的な文脈の中に埋め込まれているのであって、教育に市場原理を導入する動き自体は、ニューライト国家による強い権力によって引き起こされてきたものであるというのだ。ニューライト政権のもとにおいては、ニューライトの主張に反して、教育の自己決定にかかわる権限が縮小され、国家統制の権力が増大したのである。

こうしたパラドクスをつきつつ、編者たちはニューライトが教育統制の権力を増大させる方向に向かうことを指摘していく。そうした方向性の第一は、国家は教育に対する財政支出を増やそうという制度的な力を弱めようとするところにあらわれる。こうした脱中心化政策の例として1980年代の連邦政府の財政支出の削減があげられる。

ニューライトの分権政策のキャッチフレーズは、両親や地域社会の選択権や統制力を増やそうというものであった。しかしながら、こうした教育へのコントロールや管理は単に技術的な問題ではあり得ず、政策的な側面を持っているため、地域社会が政策的に動く準備がなされていない限り、地域社会のイニシアティブは失敗するであろうと予言する。

コントロールを減らそうというニューライト側の約束が額面通り受け取りえない理由としては、学校は資源の配分や政策の決定に関しては自律性を与えられる一方で、カリキュラムは集権化されていることが挙げられている。これがニューライトの抱く集権的な方向性の第二の形態である。そして、こうした集権化されたカリキュラムを導入しようとする理由は必ずしも市場の生産性と結びつけられているわけではないと指摘される。むしろ経済のグローバル化の進行と国民国家の弱体化に直面して、国家アイデンティティを再確認しようという試みとみなされるのである。

さらに第三の形態として、説明責任と業績指標の新たな形態を導入しようとする動きが挙げられる。そうして、ここにおける指標とは効率性の指標にすぎず、教育的効果とか教育の質とはさして関わりがなく、この指標は単に政策的な便宜上のものにすぎないのではないかという問題を指摘していくのである。

以上、本章においては、アカデミズム内部の議論にとどまらず、現実の政策的な動きをしっかり押さえた議論が展開されている。こうした具体的な政策に対する言及が、具体的に政策に関わっている人々に対して何らかの積極的なインパクトを持つか、あるいは「学者の空論」として片づけられるか、は微妙であるように思う。ともあれ、編者たちは、政策提言から逃げない、ということを自らに課そうとしているようだ。日本でも「ニューアカデミズム」の隆盛に対して同種の反応があった。ただポストモダニズム思想の成果は十分に引き継ごうとしているところに彼らなりのスタンスと、そして苦心が読みとれる。

5. 教育・不平等・社会的公正(Marshallの議論を中心に)

ここまでの議論は、要は「Parsons(1959)やKerr(1973)によって流布した、産業発展に伴って、教育は属性主義から業績主義へ、ドグマから民主主義へ、不平等から社会的公正へと変化していくという考え方の名残を取り除く」(p.25)ための議論であったとまとめられる。そしてこうした20世紀末における教育研究の成果に則って、啓蒙主義の時代に提示された問いを再び問い直していく作業が以下に展開されていくことになる。ポスト近代社会はともかく、近代社会においては、平等・自由・共同体の間の均衡を達成する手段として教育を捉えるのは有益であろうと述べる。そこから19世紀にさかのぼって、理論の流れがレビューされていくことになる。ここで取り上げられるのはMarshallである。

ヨーロッパやアメリカにおける公的な政策の歴史を振り返ってみると、その歴史を通じて啓蒙という糸が疑いもなく続いていることを見ることができるという。しかしまた、教育手段を通じて平等主義的な目的を実現することがことごとく失敗しているのだとも指摘する。実は歴史的検証に耐えない自由主義なる概念を軸としてつくられた、西洋の政策の基礎となっている理論自体が誤っているのだという。そしてこの理論の古典的な例としてMarshallの理論が言及されていく。

彼らがMarshallに着目するのは、彼の理論が後の自由主義的な教育論に通ずるものであると見ることができるからである。技術の進歩と教育の拡大、労働時間の短縮によって誰もがブルジョア的な職務に就けるようになるという議論、すなわち、産業社会の進展によって階級が無効化するという議論である。編者は、かかるMarshallの理論をビクトリア朝時代の自由主義理論と呼ぶ。実際、こうしたMarshallの議論自体の直接的影響はどうあれ、多くの国々において、非熟練労働者は減少し、労働時間は短縮され、教育も十分に拡大している。しかし、にもかかわらず、格差が存在し続けている。こうした現状認識を踏まえて、彼の目指した社会のブルジョア化が進行するという理念は、現実の進行に裏切られていったのだ、というのが編者のMarshall評である。

こうしたMarshallの再検討が、前回のPower and Ideology in Educationの序論でなしたDurkheimの再評価のようなインパクトを持つかどうか、疑わしいように思う。新たな評価を試みてはいるようだが、最終的な評価がありきたりなものに終わってしまっているように思えるからである。

ともあれ、こうした自由主義理論が現実にそぐわないものであるとするならば、その理論的な問題点はどこにあったと編者たちは見ていくのであろうか。この問題は以下の章で論じられていく。

6. 社会変動における決定論と開放性の問題

自由主義理論に投げかけられる批判の代表的なものとして、彼らの階級概念に対する批判を挙げる。自由主義理論は、階級概念を、子どもを取り巻く労働や共同体の諸要因から切り離された両親の態度に違いに矮小化してしまうのである。このように、教育達成を個人の帰属の結果として説明する理論は、階級という構造的な諸力に対する説明力を失っているのである。ここから「階級社会にかかせざる資源の配分の構造的な不平等に目を向ける」(p.32)理論が必要と主張される。

こうした観点から、階級と教育達成の関連についての理論・政策に関して、教育資源の配分までを考慮した議論が必要であって、伝統的な自由主義理論の範囲を超える意志が要請されると主張するのである。

この指摘もいちいちもっともである。しかし、自由主義理論の階級論が不十分なものであるとして、では「階級社会にかかせざる資源の配分の構造的な不平等」に目を向け続けてきた(はずの)左派の階級論が、どれほどのものを生み出してきたのか、その成果についての彼らの言及も不十分ではないだろうか。左派にとって、いま、伝統的な自由主義理論の階級論を乗り越えることにどれほどの意義があるというのか。「構造的な不平等」に目を向け続けながら、なおかつ今に至り右派に劣るインパクトしか持たない議論しか展開できていないのだとすれば、そちらの方がよほど事態は深刻であると言わなければならないはずなのだ。

「構造」に目を向けるとは、還元論であると非難される危険性を常に伴っている。価値の多元論を保持しながら、構造論を展開するということは、それ自体に矛盾した要素を含んでいるかもしれないのだ。ここに還元論を脱そうとする左派の階級論の困難と課題が存在するのである。

それはさておき、以下の議論では、なぜ平等主義が現実に達成されないのか、に関する3つのタイプの議論が羅列的に紹介されていく。

技術が進歩しようとも、「汚れ仕事」は必要であり続けるという職業階層の不変性に関わる議論、社会的な達成は「運」によって左右されるのではないか(Jencks)という、学校教育の持つ効果への疑い、そして教育達成の差異は遺伝によるものであろうという議論である。

この議論のそれぞれに対して、今までの議論が整理されて紹介されていくが、おのおのの議論に対する編者の新たな知見がとりたてて打ち出されているわけではない。職業階層の不変性の議論に対しては、一定その論点を認めつつも、不平等を中和する政策と生涯教育の重要性が説かれ、第二の議論に対してはJencksを中心としたアカデミズム上の議論が紹介される。そして遺伝論争に対しては、右派からの政治的な主張の絡みが指摘される。妥当にして無難な議論と言うべきであろう。

7. 新たな政治算術に向けての議論

最後に編者たちは具体的になされるべき方向性を打ち出そうとしていく。それは新しい「政治算術」という用語で語られる。ここには前のリーディングズにおける理論的な方向付けのもくろみ以上の何かを出そうという意志が感じられる。すなわち、ここで打ち出そうとしているのは社会学の方法にとどまらず、民主主義の確立といった政策立案的なところまで視野に入れようとしているのである。

ここにはポストモダニズムと呼ばれた思想潮流が、政治算術的な議論から遠ざかり、政策評価に関して何ら力を発揮しなかった事への編者たちの不満ないし反省が顕れているようだ。ポストモダニズムのインプリケーションは受け継ぎつつ、それをいかに現実変革へと結びつけるか、というところに新しい「政治算術」という用語の持つ方向性が示されているのである。ここで具体的に打ち出されているのは、量的な研究をふまえつつ、何を、何のためにはかるのかという問題をも重視していこうというものである。

結局ここで主張されているのは量的な研究と質的な研究の結合である。前回のリーディングズにおけるミクロとマクロの統合ときわめて似た、しかしより具体的な分、より並列的な「結合」linkingが、このIntroductionで示された方向性なのである。

8. 総評

以上、比較的理論的な比重の高い「社会変容と闘争の場としての教育 Social Transformation and Education as a Site of Struggle」の章を中心に、このIntroductionの内容を見てきた。Introductionにふさわしく、近年なされてきた議論が要領よく、網羅的にまとめられている。近年の様々な議論の動向のあらましを知るためには格好の教科書となるであろう。この意味では、IntroductionのIntroductionで述べられていた目的は達成されていると言って良い。しかし、前回のリーディングズのIntroductionのような、それ自体一個のまとまりを持った議論として読もうとすると欲求不満が残ってしまう。価値が多元化した「いま」をどう読み解くのか、編者たちの歯切れの良い回答は得られないままに終わるのである。確かにIntroductionとしては荷が重すぎる課題だったのかもしれない。しかし単なるIntroductionには終わらせないという編者たちの意気込みが十分に伝わるだけに、そういう印象を持ってしまうのだ。

もちろん本論文はIntroductionなのであって、こうした課題の解決は後に集められた論文にゆだねられるべきなのかもしれない。しかしこうした欲求不満を感じてしまうのは、本論文がIntroductionとして、筆者が己の議論を抑制したからだ、とは必ずしも言えないように思う。なんとなれば、こうした歯がゆさは「ポストモダン」が語られる際に、相当普遍的に見られるように思われるのである。「大きな物語」を批判し、「価値相対主義」を称揚しているうちは良かった。しかし、対抗言説としてではなく、それ自体内実を伴ったものとして「ポストモダン」を論じるとき、いかにそれを一定のまとまりを持った概念として語っていくか、が課題となるのである。これは理念的な次元の問題にとどまらない。たとえば政策遂行者が「多様な価値を尊重する政策」という課題を掲げるに当たっても同様の困難が待ち受けていると言えるだろう。

「ポストモダン」を論じるとは、多様な価値とその背後にある様々な社会的背景を含み込んだ「ポストモダン」的な状況をひとまとまりのものとして語らざるを得ない背理をそれ自体に含み込んでいるといえよう。このIntroductionからも、こうした「ポストモダン」を論じるという事自体の困難さ(あるいは、いかがわしさ、といっても良いかもしれない)をこそ読み解くべきなのかもしれない。

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