重層的非決定

モーニング娘。

L. Althusser

No.25
2004/04/01-2004/04/30

★5月病との闘い

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■思想ではない

「自己責任」。大いに結構。自分で責任を負うのだから、他人はとやかく言うな。「自己責任」をいいながら「渡航禁止」を強要しようとする政府は既に自己矛盾に陥っているし、またその政府に乗せられて「自己責任」を旗印に人に罵詈雑言を浴びせる自称「ウヨ」とかいうアホどもも同様に自己矛盾に陥っている、というだけのことだ。

もっとも奴らに「筋」を説くこと自体がまったく無意味なのも自明であって、右だ何だといっているがもちろん「右翼」思想などとも無関係の、単に日ごろの鬱憤だかなんだかを、目に付いた人にぶつけたいというだけのものなのだから、そんなものは思想に値せず、ただのいじめ感情に過ぎない。

日本は右傾化しているのではない。単に人をいじめることに精神の捌け口を求めるそういう荒んだ感情が支配しているというだけのことだ。最悪なのはその状況に付け込んで政治的な動員をかけようとする政治屋ども、石原や小泉や、その取り巻きのマスコミどもであって、それらは断固批判せねばならないが、2chあたりに徘徊している「ウヨ」どもはそれこそ本来は社会的なケアの対象と考えなければなるまい。

(2004年4月20日)

■境地

大学の非常勤が始まり、2週目。なかなか快調。

快調の原因は、あきらめたこと。今年は再履修クラスが多いこともあって、「クラス全員がついていける」講義を目指している。進度はゆっくり、ゆっくり。余計な脱線はいつものことだが、本線は懇切丁寧。大学教育への諦念が快調の原因とはこれいかに。

(2004年4月15日)

■口直し

口直しに見て楽しいものの話を。

最近なっちこと安倍なつみが、ドラマに合わせてであろうか、髪の毛の色を黒くしている。ずっと(濃い目だが)茶髪だったので、新鮮というより違和感を感じる。あるいは「重い」という感じ。前の髪の色のほうが似合っていた、と思うのだが、しかし己のアナクロな感性の故か、似合わないといいながら新鮮で、ついつい見入ってしまい、にやけている。キモヲタと呼んでくれて結構だ。

安倍ドラマ主演と浮かれていたら、今度は後藤真希が大河ドラマ出演。しょうもない民放ドラマの主演と大河ドラマ出演、どちらかと言うと後者のほうがうらやましいかも。

(2004年4月15日)

■病める人たち

またちょっと間が開いてしまったので無理気味に更新。

とりあえず人質解放。ページ更新の間が開いた割に動きがなかったことにいまさらながら気づく。そんなに長い間、このニュースやり続けていたのか、と。

2chのモーニング娘。用の掲示板でROMしていたら、そこにイラク関連のスレッドがたっていて、そこで被害者および家族への罵倒の連続。2chは某右翼団体が組織で書き込みしているといううわさを聞いたことがあるが、また馬鹿どもがそれに乗せられてか、煽られまくっている。家族の動きを全面擁護する気などないが、それはそれ、馬鹿の鬱憤晴らしに適当な「ネタ」を見つけて馬鹿騒ぎ、人間の最も卑しい部分を見せ付けられる思いで気分が悪くなる。「右翼」はともかく、2chのいう「ウヨ」とは人間の最も卑しい部分をあえて見せつける神経症の病名である。

(2004年4月15日)

■救いようのない馬鹿晒し上げ

「勝谷誠彦の**な日々」とかいう馬鹿サイト。

号外だった。人質解放の動きを受けて朝日新聞は号外という名で休刊日を撤回したのである。それを知った瞬間奇妙な怒りが私の中で炸裂した。朝日新聞に対してではない。脳天気にファルージャを通り抜けようとした3人に対してである。その行動と彼らを擁護する勢力に対する言説の爆発を私は事態が決着するまで我慢するつもりでいる。だから今朝のそれはプチ爆発だ(笑)。私の読者には朝日新聞の奨学金を受けて新聞配達をしながら苦学をしている人々がいる。

号外配る人だって「仕事」だろ。そんなものの責任までなんで事件関係者が取らなければいけないのか。犯人グループだってそんなものの責任を取らさせるいわれはない。小学生か、こいつは。

(2004年4月12日)

■仕事に関する近況

お仕事の話だが、我ながら何度同じことを繰り返せば気が済むのか、結局丸め込まれてほぼ従来どおり仕事を続けることになった。なんだかなあ。

仕事先、というか正確には取引先だな、の責任者と面談をして、その人は非常勤という形でその会社に残るということ、私がやっている作業をその会社の業務として改めて明確にするということ(そこが不明確だったというのが本来は驚くべきことだ)、その人が個人で新たに始める予定の仕事を私が協力するということ、その辺を確認して、契約を継続することにした。自分が辞める分浮いた人件費でその会社の社員に出来るかもしれない、と打診もあったが、不確定な話でもあるし、また私自身その会社自体への思いがないのがはっきりしているので、それは断った。どっちみち今年一年は大学の非常勤などの契約があるから、無理なのだが、将来的な部分も含めて、別の関わり方をする、ということになった。

丸め込みの一環であろうが、「本当だったら君をいきなり課長か何かにして、管理側として雇ったほうがうまく行くと思うのだが」、みたいなことを言われて、正直管理能力のないやつが業務を管理しようとするからうまく行かないのが分かっているので、そういう話だったら、と心惹かれるのだが、実際には「前からいる人が承服しないだろう」ということであくまでも仮定の話。

結論としては、相変わらずボーナス、有休とは無縁な生活を送る、ということで。

(2004年4月10日)

■補足

下の文は「テロに屈するな」という主張とは何の関係もない。そうではなくて、国家を超える行動をした人間の気高き行動を、国家のもとに服属させるな、という主張である。

もちろんかれらが拘束されたのはかれらが「日本人」だからである。その意味で「日本」は無関係ではないが、しかしかれらの行動は本質的にそれを超えているべきものであり、犯人グループが単に「誤解」をしているだけのことだ。さらにいえばその「誤解」は、しかし、必然のものであることも事前に分かっていることで、この時期にイラク入りするためには、それも含めた「決断」が必要なはずだ。

そういった意味で、例えば小泉がイラクのメディアで解放を呼びかけるとか何とか計画があるらしいが、止めたほうが良い。それでは3人は「日本政府」の下にある人間ということになり、犯人グループの行動は誤解ではなく、「正解」になってしまう。それとは別にNGOが3人のこれまでの軌跡などを伝えようとする動き、かれらは日本政府とは別の意志を持ち、行動をしてきた人たちであることを伝えようとする動きがあるが、それが一番重要なことだと思う。

(2004年4月10日)

■イラク

拘束された3人の生き様は、3人それぞれ、とても立派だ。気高く、行動力があり、強い意志と覚悟に支えられなければできない行動だろうと思う。

だからこそ、かれらとは明らかに違う意志を持った国家に、その意志を曲げて「もらって」事態を解決すべきだというのは少し違うのではないか、と思うのだ。もちろんかれら3人の今の心境など知るべくもないが、しかし自衛隊が既に派遣されているイラクにあえて入ったその行動自体あらゆる決断を既に済ませたものであるはずだし、そのときの「決断」を軽視するべきではない。

「日本人の命が大切だから」撤兵させるべきだ、という主張は、だったら退避勧告に日本人は従うべきだ、という主張に帰結する。国家意志がそんなところまで出張る契機に、かれらの行動を貶めてはならない。

もちろん家族は何を言ってもいい。ただそれを理念レベルで展開するのは間違っている。自衛隊派遣自体は、国家の意志としてまったく間違っているし、いつにおいても撤回すべきだと私は思っているが、それは「人質の命を守るため」という名目であるべきではない。

「報道ステーション」は、しかし、思っていたより良かった。家族と古館のやり取りはかすかすだったが、藤原帰一を呼んできたのが良かった。

(2004年4月9日)

■記念日

「頭のおかしい人たち」が勝っちゃった!

(2004年4月7日)

■覚書

NO BLOOD FOR OiL.

Hey! Hey! Hey!での新垣さんの衣装。

ついでに「報道ステーション」とやらを見た。スポーツばっかりやってた。終わり。

(2004年4月5日)

■週回遅れ

そろそろ新しいドラマが始まろうとしているときに、前クールのドラマの感想文。「砂の器」。

原作は、多分、読んではいないのだけれど、粗筋というか、基本テーマというのはなんとなく知っていて、少なくとも私が思っていたそういうものとはまったく違ったものだった。

主人公が背負った「宿命」。それを*再現*させるべく現われた過去の恩人に対する殺人状況。その基本的な部分が、テレビと原作とではことごとく違っている。

(私の思っていた-以下省略)原作では、主人公の父親は既に死んでいる。「恩人」は過去の中から現われた。しかも主人公およびその父親は一方的に助けになった。その恩人を明確な殺意を持って殺害する。

テレビでは主人公の父親はまだ生きている。その父親は今なお死刑囚として監獄におり、恩人はその父親に逢うことを薦めにくる。さらに恩人はその父親を逮捕した警官だ。そしてちょっとした過失から殺人にいたる。テレビのほうが殺人にいたる契機が明確に存在する。原作の殺人は理不尽極まりない。

父親の置かれた苦難も原作のほうが理不尽だ。少なくとも子供をつれての放浪の日々の、その苦難の責任は、テレビの父親には、明確にある。原作はすべてが理不尽極まりない。

その理不尽さゆえに「宿命」の力と「砂の器」の脆さが際立つのだ。

(2004年4月4日)

■今後の運営方針

とりあえずこのページの運営方針について

ま、今までどおりのごった煮ということで。

(2004年4月3日)

■エピローグから始まるお話

充電期間ということで、本屋に行き、次の仕事へ向けての資料集めに勤しむ。4月はこれまでの仕事の残務処理ぐらいだが、それ以降は、散発的にだが、仕事の当てがないわけではない。不安定かつ不確実だが、もうちょっと仕事として意義を感じられるものになるはずだ、という期待はある。既得権にしがみつき、前進することを止めた者たちに足を引っ張られるのはもうたくさんだ、というのが捨て台詞である。

いまさらながら、己の仕事に関する契約関係などを勉強したりする。仕事先と結んでいたのは「業務委託契約」。雇用契約ではないので、社会保障も何もない。ある意味あざとい抜け道だが、私には合っていた気もする。業務委託契約にあるということは、業務の遂行に対して指揮命令関係が発生しない。また時間、場所の拘束性が低い。もともとその辺が「いい加減」なところだったので、契約形態に応じたというのでもない気もするのだが、ともあれ基本は守られていたというのは確かだ。今後しばらくは精々この契約のメリットを生かして、ヒッキーやりながら最低限のお金を稼ぐことにした。

業務委託契約というのは本来は個別業務につき結ぶものだが、私の場合それをかなりあいまいな業務内容で、時間単価で支払いを受けている、というのが微妙なところだった。仕事先の責任者は、仕事は切り取り次第でどんどん勝手にやれ、という感じだったので、その通り振舞い、その業務を遂行するシステムから作り直した。それは同じ業務に携わる社員の仕事の否定的意味を持った。私からすれば、私より良い条件で仕事をしているのだから、もっと「良い仕事」をしろよ、と思う。向こうからすればなんでよそ者がこんなに出張るのだ、と思う。その気持ちの軋轢に「ジェンダー」性が付加されたのだが、この「ジェンダー」性が今後考えてみたい中心テーマである。

その話は後におくとして、この微妙なバランスの要であった責任者がその会社を辞めることになった。それでは私は仕事にならない。「現場レベル」の社員とうまくやれなかった己の不徳を恥じるのみである。

(2004年4月3日)

■遠時間恋愛

長い間書いていない間に、それなりにネタの萌芽は散らばっていて、ことごとくスルーしてしまった、その残骸を思い出しながら書く。失われた思考のための年月を少しだけ惜しみつつ、しかしおそらく新たな思考の素材を得たはずだと自らに言い聞かせてみたりもする。

だいぶ前の新聞か何かの特集で、遠距離恋愛がテーマになっていて、「長い間会わないでいると話すことがたまるかというとそうではなく、むしろ毎日あって話していると話すことが生み出され、そうではないと話しことはなくなる」という趣旨のことが書いてあって、胸が締め付けられる思いがした。文章も、書かずにいればどんどん書くべき内容が枯渇する。

一年も音信普通の人と、「何か」が再開できるだろうか。文章もかけなくなった私に、何か語るべき内容は残されているだろうか。そもそも私は再会を望んでいるのだろうか。

(2004年4月2日)

■ミネルバの梟

エイプリルフールネタがそうではなくなってきた。実際に毎日更新するかどうかはともかく、それだけの余裕が出来そうな予感。

早い話、今主にやっている仕事をやめるか、大幅に縮小することになった。事情は、まあ、いろいろあって、こっちの思惑もいろいろあって、私はそれを積極的・肯定的に考えている。急には辞められないが、仕事先に出向くことはほとんどせずに、ほぼ家で最低限の仕事をして、収束させる、ということになるだろう。

きっかけとなる外的な事情がもちろんあったのだが、その前からこっちにも思うところはあって、潮時かな、と思ったというところだ。そのあたりの状況は、結構社会学ネタだったりして、余裕が出来たらここにぼちぼち書いていこう、と思っていた矢先、一気に外的な事情が押し寄せてきた。

結局状況の只中を文字化し、客体化し、変革する契機を得られぬまま、その状況は過去のものとなり、その過去の状況を、思い出話として、それだけに冷静に、語ることになる。ただそれでも私は状況の第三者では断じてなく、べたべたの当事者であった、その記憶のあるうちに書き留め、私にとっての資料と出来ることを願う。

(2004年4月2日)

■決意表明

これからは毎日更新します。

(2004年4月1日)

★抹殺すべき過去

(-2004/03/31)



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