重層的非決定

モーニング娘。
L. Althusser
No.24
2003/10/10-2003/12/31

★未来は長く続く

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■肩幅の未来

年の変わり目といっても年賀状を書くわけでもなく、大掃除をするわけでもなく、ただただ長い休みを取っているだけというだらけた日々を送るだけなのにもかかわらず、というよりそれだからこそ、過去を振り返り、未来を想像してみたりもする。

去年の今ごろ自分は何をし、何を考えていたのか。

過去は時に美化される。さぞかしいまだ鬱屈した、それだけに何ものかである文章を書いていたのか、と思って確かめてみたら、今とほとんど同じことしかかいていなかった。一年前から既にほんの小さな未来さえ見ずに、去る人を追うわずかの執着も見せずに、ただただ無理やり過去の記憶をひねり出そうとする、その変化のなさにうんざりする。

この節の題名はさすがにわかる人がいないと思うので、注釈を付す。

長山洋子の演歌以前の最後の曲名。

一人になってみる夢は なおさら昔の背中だけ

・・・らちもない

(2003年12月31日)

■ちなみに

今日は市井紗耶香の誕生日らしい。おめでとう。

(2003年12月31日)

■解決

早くも下の「謎」について情報いただきました。2chでちょっとだけ話題になっていたんですね。話題って本当にちょっとだけなのにあれだけのアクセス、2ch恐るべし。弱小サイトゆえ、この程度でもいちいち記念に残しておこうと思う。

778 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :03/12/29 01:57 ID:FZvheWX5
最近のオキニ。

ttp://www009.upp.so-net.ne.jp/althusser/http://www009.upp.so-net.ne.jp/althusser/index.html

779 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :03/12/29 02:01 ID:xkpzxps5
>>778
いいねーーー正しくテキサイですね。

780 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :03/12/29 02:51 ID:iIpHM9FU
>>778
dragon valleyの生徒がいたら、せひともこの人の授業を受けてみて。

というわけで話題にしてくださった方、情報提供いただいた方ありがとうございました。

(2003年12月31日)

■謎

自分が更新しないとアクセスログも見ないものだが、久々にアクセスログを見て驚いた。12月29日午前2時になぜか大量のアクセスが。全然更新もしていないし、ログの痕跡を見てもどこかからリンクされてきているわけでもない。詳細な状況はログが流れているのでよく分からない。

そんなに話題になる記事書いたかなあ、とちょっと興味があるのだが、分からないものは分からないので、何か事情ご存知の方は掲示板ででも何か教えてください。

(2003年12月31日)

■備忘録

懐かしいという感情を持つと、過去のよき頃のことを付随してさまざまに思い出し、今の状況とは無関係なユートピアを垣間見ることがある。夢を見た。過去と今とが綯交ぜになった夢だが、明るい未来を予感させる夢だった。起きてみたら今とは無関係のお話だった。もちろんそのことにいちいち絶望感など持つこともなく、ただ一瞬いい夢を見られたことを喜ぶ。

懐かしさの元は、長山洋子がザ・ベストテン2003に登場して、10数年ぶりだかでアイドル時代の曲を、アイドル時代の衣装で披露したことだ。演歌歌うのはちょくちょく見かけ、それはそれだが、アイドル時代の衣装を着ると、一方でしっかり年を感じ、しかし一方でかつての面影がしっかり残っていて、とても不思議な感じがした。私が中学生の頃の、月並みだがしかし実感として、無限の可能性を持っていると半ば本気で信じられた頃の御伽噺の中の思い出。

「アイドル」に没頭できずに、どこかしら居心地の悪さを感じているような雰囲気。その中途半端さに惹かれたのかもしれない。半端者が寄せる半端者っぽい人への憧憬。因みにこの長山洋子の居心地の悪さという印象は同じ印象をもつ人がそれなりにいるようだ。

(2003年12月31日)

■時は流れ

また今年も一年が終わる。今年一年私は何をし、*世界*は何があったのか。きちんと振り返る機会をたまには持たないとどんどん記憶があいまいになり、ただ息をし、その場限りの生活を送るだけの存在になる。

アメリカ、戦争犯罪にあけくれる。イスラムの非戦闘員を爆撃で殺しまくり、自国民とイスラエルの安全を確保しようとする。これが正義。

北朝鮮。拉致被害者帰国。平沢とか西村真吾とかトンデモ君がしゃしゃり出てくるきっかけになったのは喜ばしい限りだ。社民党はつらいだろう。

社民党の辻本さんが秘書給与疑惑で追い詰められる。社民党、ますますつらい。

後藤真希、モーニング娘。卒業。モーニング娘。も後藤も正念場となるかも。

???

(2003年12月31日)

■鬼の笑顔

年末。ということで今年の個人的な収支。

30万円弱のT40を買い込んだので、支出は去年より若干UP。X20を購入したのは3年前。それ以前は毎年ノートPCを買い換えたりしていたので、X20の元は十分とった。T40もそのぐらいは持つだろうから、この出費は先行投資ということで。あとは小物を数点。すぐ壊れると評判のBUFFALOの外付けHDD。ノートPC用テンキーパッド。

書籍はあまり振り返りたくもない。己の精神の死をことさらに確認するほど、今私は強くはない。

収穫はPHPとSQLで簡単なシステム構築をしたこと、って私は何屋だ?学会報告一本。こちらはまずまずの出来。ただしそれ以降何もやっていない。

収入は週休3日ベースの割には、良くもないが、というか世間的にはかなり低いが、まあ、まずまず。気力体力さえあれば2足のわらじ計画も成就できそうな見通しはつきつつあるが、問題は気力も体力もないことだ。

(2003年12月25日)

■カノッサの傲慢

平家みちよの復活と安倍なつみのモーニング娘。卒業がほぼ同時期に行われる。死せる神と象徴的王のこの共鳴。

平家の復活を安倍なつみはどのように聞いたのだろう。「おめでとう」の電話ひとつしただろうか。想像を進める。

誰かが平家のアルバム発売を安倍に伝える。安倍はきょとんとした表情で語る。「平家さんって誰だっけ?電話番の子だっけ?」。

なっち、天使!

(2003年12月24日)

■メモ2

偽善を暴く物言いはあたかも自身はフィクションから自由だと振舞うが、実際にはそういう物言いをするものこそが最もフィクション、しかもその背後にある猥褻な力に支えられた強力なフィクション、に依存しているのである。石原の偽悪的物言いの、制度的にして陰鬱な共感を掻き立てるあの力を見よ。

(2003年12月24日)

■メモ

たとえば「戦後民主主義」をここで問題のフィクションとするなら、小泉はそのフィクションに対してシニカルに振舞おうとする。それに対して今の社会民主党とりわけ福島党首はそのフィクションを模倣的に反復する。もちろんこれはほめているのである。「模倣的」という言葉に含まれる肯定的な意味に注意せよ。しかしまた「模倣」の限界はそこにアイロニカルな姿勢か欠如していることに他ならない。その意味では模倣をパロディにまで昇華させねばなるまいが、その戦後民主主義のパロディを最もよく演じたのがやはり小泉と同じ自民党の野中広務であったというのが自民党の「強さ」である。

(2003年12月24日)

■「振り」のなれの果て2

まだ「現役」である振りをしようとして本を買い込む。

ネグリ「マルクスを超えるマルクス」。アレンカ・ジュパンチッチ「リアルの倫理」。雑誌「情況」。合わせて1万円。読むだけの読解力とか、時間的・精神的余裕なんてないのを分かっていて、ここで金をケチっては終わりだ、と言い聞かせて、義務感半分で買う。思わずお金のことは忘れて買い込む、というのではないのが「振り」の振りたる所以である。大体この手の本を買うのは何ヶ月ぶりだろうか。

「リアルの倫理」の著者はジジェクの弟子筋の人らしく、ジジェクが前書きで「私ともあろう者がこの著者に先を越されるとは!」と寄せているのに惹かれて購入。ネグりのはいまさらながらの割とベーシックなマルクス研究。個人的には「帝国」より好みな気がした。

多分「積ん読」状態に終わる可能性が高い。

(2003年12月24日)

■「振り」のなれの果て

メールチェックをしたら仕事関連のメールが数通。へえ、今日なんかに仕事しているのか、大変だな、と思ってすぐに気づく。今日って平日やん。

クリスチャンでもなく、特に予定もないくせにクリスマスイブは仕事しない、と宣言して勝手に休む私の行動は、クリスマスイデオロギーの模倣的反復である。しかし平日であることを忘れてしまったのは少しいただけない。

(2003年12月24日)

■能力差

このサイトの更新頻度を上げるためには。

まずは文の前につけている「表題」をなくすこと。いまやまとまった思考など出来る状況ではないのだから、いちいち表題なぞつけて入られない。

いちいちエディタでHTMLを打ち、さらにそれをFTPする手間を省くこと。今流行のWikiだとかなんだとかそんなシステムを導入すること。そのためにはso-netとは別に、レンタルサーバを利用すること。PHPを使えるサーバが月額1000円程度で借りられ、しかも独自ドメインで運用できる、というのを見つけ、心惹かれなくもないのだが、

  1. よいドメイン名が浮かばない
  2. そこまでしてサイトを運営するだけの意志がない気がする
  3. 月1000円が微妙に惜しい
  4. 申し込み手続きをするだけの精神の高揚感がない

というので、精神的に余裕が出てきたら考えよう。というか、こんなめんどくさいこと、多くのサイト管理人がこともなげにやっているのが不思議。週休3日の私に出来ないことをなぜ世間の人間は普通に出来てしまうのだろう。

(2003年12月24日)

■周回遅れ

久々に頭を使う余裕が出てきたので、他サイトさんの少し前の記述にいまさらながらの言及。転叫院さんのジジェクについての記述。んー、シニシズムに対するジジェクの姿勢からすれば、シニカルとアイロニカルを逆にしてあげないとジジェクがかわいそうな気が。たぶん差別を公言するのが反偽善的だとする態度はジジェクの批判するシニシズムそのものだと思います。このあたりのシニシズムとアイロニーとのジジェクの言及はFrom Joyce-the-Symptom to the Symptom of Powerで述べられている通り。

んー、2テンポぐらい遅れた言及だな。

(2003年12月24日)

■回帰

こちらが惰眠をむさぼっている間にも世の中は動いているわけで、フセインが穴倉から出てきたり、自衛隊の派兵がいよいよ現実となってきたり、明仁さんがひとつ年を食ったり、いろいろあったのだが、その中でもきちんと記憶しておくべき重大事二つをここに記録しておこう。

国鉄分割民営時の不当労働行為、その存在自体認めつつも、誰も責任を取らないというわけの分からない判決が下りる。最高裁の判事の、次回の国民審査のときのために、誰が国労側の敗訴を決定付けたのか、記録しておく。横尾和子、甲斐中辰夫、泉徳治。次回は絶対不信任。逆に審理を尽くすよう求めた裁判官、深沢武久、島田仁郎両裁判官。どの全員道信任されるのは承知で、少しでもましな判断をした裁判官とそうでない裁判官と、不信任数に差をつけるのがせめてもの抵抗である。

2004年3月3日、封印されていた伝説がよみがえる。空白を作り出すことによって成立する物語の象徴化に抵抗する「核」が*その場*を占めることで我々は現実界を垣間見る契機を得られるだろうか。松浦亜弥の「ね〜え」を録画するまでに飼いならされたわが精神に再び熱き力が流れ込む契機となるだろうか。

(2003年12月24日)

■日記

7日に更新後、11日に風邪を引く。今年何回目の風邪か、数えたくもない。完治しないうちに14日から18日まで連続で声を使う仕事。喉の調子は悪くなる一方。

15から17日は馬鹿な年寄り一人に絡まれて、とても時間を無駄にする。年寄りに無駄な税金を使うな。

18日非常勤の今年分が終了。まだ終わらない授業の試験問題を作成して、教務に提出。昨年電話がかかってきたことを思い出して、無視することが出来なかった。購読の授業の試験、英文和訳が中心なので、当然問題用紙には英語をいっぱい書かなければならない。当たり前のことながらワープロを使って印刷したものを教務に出したら、向こうが用意しているのは手書き用の試験用紙のみで、困った顔をする。結局私のつくったA4の用紙を規定のB4?の用紙に貼り付けることで解決する。つくづく馬鹿な仕組みだと思う。事務という仕事はこの手の馬鹿を反復する仕事なのか。

土日は寝倒す。23日、クリスマスイブイブ、自分用クリスマスプレゼントを買いにヨドバシカメラに行く。BUFFALOの外付けハードディスクを買う。あとでネットで評判を見たら、とても低評価。エラーがかなり多いらしい。安さに負けた己の不明を恥じる。

ヨドバシカメラではVAIO505Xを見る。思ったよりつくりはちゃちな感じがした。展示品は塗装禿げが結構あって、かつての505と同じ欠陥を抱えているのだなと思う。ただしキーボードは悪くなく、また薄さ、軽さは本物だった。

さらにIBMのThinkPadのX40も発見。思ったよりX31に比しての軽さ、小ささは感じない。

大分前からだが、大阪に出ても本屋にはまったく寄らなくなった。このまま安きに流れるに任せるのか。

(2003年12月24日)

■記念日

メロン記念日の新曲。「かわいい彼」。柴田あゆみWith・・化の進行が抑えられていい感じ。売れ行きに一喜一憂することもない。

新曲披露のミュージックステーション。歌詞に出てくるような頼りない男性はどうかという問に大谷さんと柴田さんはOK。柴田さんの株も上がるが、やはり大谷さんがいいなあ。

(2003年12月07日)

■世間並み

来年度の非常勤もとりあえず確保。ライフコース論みたいなのも出来ますかね、ときかれて、首をひねったら、「構築主義やっている人にはやっぱり難しいですね」とあっさり。構築主義やっている人に情報処理が出来るのもよく分からない話だが。そんなこんなで来年も情報処理がどっさり。まあ、今やこちらが専門という感じ(非アカデミズムとして)なので、たぶん都合がよい。

今年度については12月中に試験問題をつくらなくてはならない。まだ授業も終わっていないのに何で試験問題が作れるんだ、と思う。毎年それで事前の提出は黙殺してきたのだが、だんだんそういうわがままも難しくなってきている感じがする。

沖縄旅費清算書、印鑑の欄がなかったのでメールの添付ファイルで送ったが、受け取りの返事をもらえない。メールってまずかったのかなあ。もう少し「世間並み」に生きなければならないのかもと反省少し。そういえば一枚も年賀状出す予定がないが、それでよいのか?

(2003年12月07日)

■そんな季節

いつの間にか12月。沖縄でスーパーに入ったらクリスマス準備をしていて、「早いよ」と思っていたら、関西でもだんだんクリスマス色が出てきた。

期待の不在に絶望する。

(2003年12月07日)

■旅仕舞

旅の疲れがたまっている上、その期間穴が開いた仕事の後始末などなどに追われ、まったく更新どころではなかった。沖縄後半についても全然書いていない。思い出しながら沖縄後半。といいつつ、ほとんどが仕事だったので、ちょっとだけ。

仕事は嘉手納のマルチメディアセンターという場所で朝9時から午後5時まで。マルチメディアセンターは海岸沿いにあり、美しい海と凸凹の海岸線が見える。海岸が凹凸だらけなのは沖縄戦の米軍の艦砲射撃の名残なのだとタクシーの運転手に教わった。ここから米軍は上陸したのだ。

仕事が終わって、さあ、いよいよ琉球料理だ、と宿舎の周りを探すが、この一帯「地元」の「若者」向けに街がつくられていて、そもそも泡盛を出しそうな店がほとんどない。というので仕事に入ってからの夕食。

一日目:「地球食堂」というところで多国籍料理を仕事先の人にご馳走になる。その後、呑み足りないというので、同行者(上司筋)と付近を捜し歩いて、魚料理屋に入り、イカ墨汁・トウフヨウ・泡盛を食す。

二日目:少し遠出して、ちょっと雰囲気のよい居酒屋を探し出し、メニューにあった琉球料理を端から端まで注文する(その程度しかなかったということ)。種類は少なかったが味はよかった。じぃまあみ豆腐、そうめんちゃんぷる、すくがらすなどなど。

三日目:地元の人に聞き込んで、泡盛専門店みたいなお店「ひまわり食堂」へいく。名前から受ける印象とは裏腹にモダンなつくりの店。しかし泡盛の数は半端ではなく、料理も豊富。来年もここに来ようなどと盛り上がる。翌日はもう仕事がなく、後泊して帰るだけなので、がんがん泡盛を飲んだ。

最終日。泡盛の許容量を超えたようだ。気分が悪い。なかなかおきだせず、起きたら起きたで部屋にいるのが気分悪く、早々にチェックアウトをして海を眺めるが、気分が悪い。とにかく最終日なのだからどこかへ行こうと思うが頭が働かない。せっかく沖縄市周辺に来ているのだからそのあたりの観光をしようかと思ったが、交通がよく分からない。タクシーはあまり使いたくないので、バス頼りなのだが、バスの路線がよく分からないのだ。東南植物園というところに行きたかったのだが、結局行きかたが分からず、どうでもよくなって那覇に戻ることにした。そちらへ向かうバスならバス停は分かっている。

といっても那覇市内およびその周辺はすでにそれなりに回ったので、後はどこへ行こうか、とりあえず国際通りでみやげ物を物色し、さらに昼ごはんを食べようと店を探す。しかし琉球料理は今はお腹いっぱい、泡盛なんて思い出させてくれるな、結局タコライスを食すが、やはりタコライスよりタコスのほうがうまい、と思う。後は飛行機までの時間、どうつぶすか、観光案内をめくって、近辺で比較的興味を抱いた豊見城城址公園に行くことにする。

またしてもバスだが本数も少なく、着いた先も観光色があまりなく、少し寂れた感じ。入場料500円は、え、取られるの?という気分になった。単に見晴らしのよい公園だと思ってきたのに。

「11月30日をもって閉園」なる張り紙を見かけるが(11月29日の話)、見間違えか、本当に明日でおしまいなのか、よく分からなかった。こんな広い場所、しかも遺跡を一方的に「閉じる」といわれても、このあとどないすんねん、という感じだ。しかし自動販売機がどんどん撤去されていったりするのを見ると、本当に閉園なのかもしれないと思う(本当らしい)。

公園自体は想像していたよりずっとよかった。見晴らしがよく、那覇市内が一望でき、公園内もさまざまな木々が植わっていて、美しい。公園内を循環するSL(の模型)が故障で動かなかったのはご愛嬌。沖縄に来て初めて「線路」を見たのも不思議な感じ。

この豊見城城は南山王に属した豪族の城らしく、首里城を望む場所にあったため、中山と南山両者にとって重要な戦略的地点となったらしい。確かに首里城が見える。琉球統一時の激闘が偲ばれる。

公園内にはひっそりと旧陸軍野戦病棟壕が残されている。よほど意識しないと見失う公園の巡回路からのはずれ道を行くと坂道の途中に洞穴があって、そこが病棟壕である。ろくに整備もされておらず訪れる人もいなさそうだが、そこにおいてあった千羽鶴に添えられていた日付は2003年8月。観光ツアーが回るとは思えないが、修学旅行ではルートに入ることもあるのだろう。暗く、荒れ放題な状態が却ってそのときの状態をリアルに想像させる。平和祈念館とはすこしちがった感慨を持つ。

ちなみに「豊見城」をどう読むか、だが、この公園は「とよみしろ」と読ませていたが、那覇で見た観光案内では「とみぐすく」と読ませていた。もちろん後者が本来だろうと思う。そんなことともあって、公園自体はよかったが運営主体の「岩崎産業」にはよい印象をもてなかった。

帰りはまっすぐ。那覇空港では一応みやげ物を買う。まだ「泡盛はお腹いっぱい」モードなので、見向きもせず、職場用には無難かつかさばらないかつ配りやすいものというのでパイ菓子を、自宅用には南国の果物と珍味を数点。3時間後には乗りなれた阪急電車の車内。翌日日曜日なのにお仕事。

(2003年12月07日)

■沖縄観光

沖縄といえば。

海、琉球、基地。というわけでその各々の側面を各所で確認する感じ。

モノレールに乗って最寄の空港に行き、そこから2時間程度で那覇空港に着く。そこからまたモノレール。遥遥きたはずなのに、その実感があまりわかない。飛行機は距離感を失わせてしまうし、前後のモノレールがそれを増幅する。ただ気づけば暖かい、というより少し蒸し暑い。「南国」に来たのだとだけ実感する。昼はソーキそばを食す。はじめは定番から。

まず向かったのは首里城。建物自体は最近再建されたものらしい。中国と日本にはさまれた琉球の事情を反映したつくりになっているとのことで、柵封体制と幕藩体制の二重支配に己の位置を確立せんとする苦心の跡がうかがえる。建物自体は写真などを見て想像していたよりずっと小ぶり。ちょっと見晴らしのよい場所に行けば、視界に海が広がる。城全体にツアー客が満ち溢れ、少し騒々しかった。。

ツアールートから外れたところに見晴らしのよいところがあり、よいスポットなのに訪れる人僅少。ツアーでは拝めないところかと思うと少し得をした感じ。さらに城から那覇市へと向かう道に石畳の道があり、ここもツアールートから外れているようだが、趣がありとてもよかった。ただし沖縄全体はツアーでいくか、レンタカーを借りるかしないと交通はかなり不便なのは確かで、一人旅には向かない場所かもしれないと思った。

一泊目は自腹で那覇市内のホテルに泊まる。基本的に仕事で行くので「万が一」があってはならじと、ネットで予約しておいた。しかしそれは杞憂だったようで、実際那覇市内を歩けば手軽なホテルがいっぱいあって、選り取りみどり。予約しておいたことを後悔した。

晩御飯は国際通りで店を探す。国際通りは思ったより規模が小さい。雰囲気はよいが、店探しには案外苦労した。1人で入って顔がささず、それなりに食事が楽しめそうなところ。琉球料理か、ステーキか迷った末、ステーキ+ロブスターという組み合わせで3000円の店にした。このステーキとロブスターという取り合わせ、はやりのようで、このあと数箇所発見する。琉球料理とは違えど、これはこれで沖縄らしい。

飲み物はオリオンビールの生。足りなくなったので、他にアルコールはないか、と尋ねたら、泡盛しかない、とのこと。ワインはおかず、泡盛。突然「琉球」が顔を出す。もちろん泡盛をたのむ。ちょっと高めについたが、満足。

旅館は4500円は東京の感覚だと安いが、ほかで4000円のホテルを数箇所発見してしまったので、なんだか損をした感じ。さらに1500円で夕食付とかいうところもあったりするが、これはホテルの類ではないのだろう。完全な観光ならそういうのも面白いかもしれない。あと一週間冷暖房、ADSL付!で(たぶん素泊まりで)1万円とかいうのもあって、長期滞在するのも楽しそうだ。

翌日は戦跡を偲ぶ観光ルートへ。鉄道がなく、バスの本数も少なかったりして、ツアーでないと苦労する。途中の糸満まではすんなりいけるのだがその後が不便。というので、糸満で待ち構えていたタクシーにつかまり、なんとなく断りきれずにタクシーで観光することになる。なんとなく強引な向こうのペースに乗らされた感じがして、微妙に後悔する。不便は不便なりに歩くなり、バスを乗り継ぐなりするのも楽しみなのに。半日8000円でひめゆりの塔と平和祈念館をまわる。3人グループぐらいなら許容範囲だが、1人で払うのは割が合わなかった。ただ荷物が重かったのと、初めての土地ゆえ、多少不安だったのを見透かされた感じ。平和祈念公園では、売店の年寄りに花を売りつけられた。他所で200円とかだったので、それぐらいだったらまあ、と敬老精神で買おうとしたら600円といわれ、これもなんとなく相手のペースに巻き込まれて払ってしまった。これまた腹立たしい。観光で飯を食うのはよいが、あまりあざとい印象を与えるのはいかがなものか、と思う。まして死者に供える花、もう少し売り方というものがあるだろう。

花を供えるという感性を持たない私は、果てさてどこに供えたものか、と悩みながら、公園内を花を持って散策。黒っぽい背広の上着を脱いだ状態で、花を持って歩いている姿は普通の観光客とは違った見え方をしたかもしれない、同じく背広姿で花を持った老人から話しかけられた。牛島中将の碑にお参りに来たようだ。もちろん私は牛島中将などに花を供える気はない。ひめゆりの塔の資料館で彼の無責任な対応によっていかに多くの戦死者が出たか、教えられてきたばかりなのだ。司令官として、敗北を覚悟したとき、当然なすべき米軍との交渉、民間人の扱いについての交渉を放棄して、玉砕を指示してさっさと自決。そんなやつに供える花はない。

結局韓国人慰霊碑に備えることにした。が、碑文をみてちょっとがっくり。朴大統領が建立したと誇らしげに書いてある。うーむ。考えてみればそういうものか。でもいまさら他に備える場所もなく、訪れる人も少なそうだったから、朴はどうあれ、沖縄戦で戦死した死者に対して備えるのはよかろう、とそこに供えてきた。それでもあまり意味のある600円だったとは思えなかった。これは私の宗教的な信念によるものだ。

昼食は食べそびれ、そのまま翌日からの仕事場の近く、嘉手納のホテル(国民年金健康センター)へ向かい、その周辺で夕食を食べることにする。沖縄ではタコライスなるものが流行っているようで、各所で見かけ、なんだろうと思っていたが、タコはタコでも蛸ではなくメキシコ料理のほうらしい。それはそれで関西圏では珍しいので、タコス料理屋に入って、タコスとタコライスのセットを食す。またしても琉球とは違う沖縄を満喫する。

そんなこんなで観光部門?前二日は、観光としては海、琉球、基地、各側面を見たが、食事は偏った感じになってしまった。今後に期待としよう。

(2003年11月25日)

■旅支度

どうもネット中毒なので明日から、ネットにきちんと接続できそうにもないのがかなりつらい感じ。仕事中にこっそりアクセスする機会はありそうだが、まずもってこのページの更新は無理。

といってもどの道一週間に一回も更新していないくせに、何をいまさら。

今日のハロモニはデスクトップで録画したものをDivXで圧縮してT40に転送しておいた。飛行機の中で見る、のだろうか。旅行中のドラマはすべて予約録画しておいた。デジタル録画万歳。

ドラマとモームスとパソコンで完結するわが人生。

(2003年11月23日)

■そういえば

非常勤先の大学の開催するシンポジウムに内田樹さんがきていたのだが、授業中だったのでいけなかった。学生には私の授業よりそっち行きなさい、といいたかったが、社会学系ではなく福祉系の学生さんなので、(そうでなくても)いえるはずもなく、私も自分が学生ならともかく講義する側として抜け出すわけにもいかず。気の毒なのは社会学の大学院生のTAさんで、シンポジウム行きたかっただろうに、授業のアシスタントなんてたいして役立ちもしない仕事に忙殺される。こっち抜け出していいから、シンポジウム見にいっていいよ、といおうかとも思ったが、余計なおせっかいな気もして言わなかった。

(2003年11月23日)

■白い虚頭

後藤真希主演のNHKドラマ、「R.P.G」を見る。

つまらなかった。多分原作がだめなのだと思う。ネットでの擬似家族なんてのを題材にしながら、テーマ自体がとても古臭かった。もうちょっと視聴者(読者)の常識に混乱をきたさせるような、到底受け入れがたい「家族」像を垣間見させるような仕掛けがあってもよかったと思う。

そういえば今クールの連続ドラマの批評、まだやっていなかった。とりあえず今回見ているドラマ。

とてもやる気のないドラマ批評。たくさん見すぎだな。

(2003年11月23日)

■自由人

とりあえず看護学校の採点が終了。このお仕事は(少なくとも今年は)おしまい。来年度以降どうするか、どうなるか、分からない。とりあえず、今年度については、とにもかくにも終わった。終わった。

大学の授業のほうはだんだん調子が出てきた。遅すぎる気もするが、情報とかデータとか言うものの扱いについて御託を並べられるようになって、もっともらしい嘘をつく技術に磨きがかかっている。なんとなく「社会」に出て役立ちそうな雰囲気を漂わせて話をしているので、いまどきの学生さんにはそれなりに受ける配慮をしているわけだ。もっとも調子がいいのは「情報処理」系であって、英書購読のほうは、たぶん学生さんのほとんどはついて来られていない。ソシュールがどうとかフロイトがどうとか、ラカンがどうとか、そういう話なので、たぶんわけが分からないんだろうと思う。「社会」に出てもきっと役立たないオーラを漂わせて話をしているし。それはそれでいいのだ。

明日からは沖縄。一週間の予定。一日は自前でホテルを取って観光。残りはお仕事。大学も休講にした。

休講届けを出すとき「私用」か「公務」か、とたずねられた。何が公務で何が私用か、よく分からない。お仕事なのだから「私用」でもないと思ったがでも「公務」でもないし。というか私に「公務」はないのか。すべて「私」事。何にも縛られず、何にも守られず、自由に不安定。

(2003年11月23日)

■ああ

選挙が終わる。安倍なっちならぬ安倍某を「顔」に立てた自民党が伸びなかったのは楽しい。他の野党を押しのけて民主党が躍進したのは、まあ、そんなものだろう。社民党が壊滅したのはいかんともし難い。ただわかってはいても民主党の「若さ」になんとなく疎ましさを感じるわけで、衰弱死寸前の社民党のほうにシンパシーを感じるわけで、基本的に私は消え行くものを見守る性癖なわけで。

ああ、市井ちゃん、市井ちゃん。

(2003年11月10日)

■腐敗

とりあえずいまさらながら「分かった」ことは、対話ということをせずしては精神は腐ってしまうし、また機械相手に対話などできもしない、ということだ。今の複数箇所の職場、いずれも人間はいるが、話す内容などそれこそ機械的な反応で済ませるよりないものでしかなく、それならPCの方がよほど話が通じる、などと馬鹿な開き直りをしてみたが、やはりどうしようもなくなってきた。こうなることはもちろん織り込み済みではあったわけで、それでサイトを運営してみたり、どこかに何かをつなぎとめようという気はあったが、それとてもこちらの精神が腐りきってしまえばどうにもならない。

二つの学会に立て続けに出たのは、それでもチャンスたり得るはず。何かせねばなるまいが、何ができるか?

(2003年11月3日)

■ひきこもる

陰鬱な日々を送っている。特に何がどうということもなく、しかし何かに賭ける気持ちも、何かを思うこともなく、一日がただ終わるのを待っている。当面の雑事があればそれをこなし、当面のものがなければ来るべき予定にめんどくささのみを感じつつ、それを考えないようにして、ひたすらネットに戯れて時間を浪費する。要するに何も考えたくないし、何にもかかわりたくない。積極的に拒絶したい何かがあるわけでもなく、ただただプラスもマイナスもないゼロの状態でいることだけを望んでいる。

(2003年11月3日)

■備忘録

85年女性アイドルブロマイド年間売り上げなんてのが「あの人は今」みたいなコーナーの一環で発表されていて、第7位が松本典子だった。レコードはさっぱりだがブロマイドは結構売れたというのはアイドルとしてどういうタイプだったということなのだろう。

写真集は売れるが、音痴で曲の売り上げには貢献しない石川梨華みたいなものか?ん?なんか違うような。。。

ちなみに石川の音痴はメンバー公認なんだな。ハロモニで安倍が公言していたぐらいだから。でもスマップの中居の音痴は本人公認ではあっても、他のメンバーがあえてそんなこと言うっけ?

(2003年11月2日)

■世情

モーニング娘。の新曲、6日発売。またしても曲がどうとかゴタゴタいっている輩がいるが、どんな曲が出てきても文句しか言わないのだろう。悪いのはぜんぶつんく、そういうことだ。

ま、確かにあの中になっちがいようがいるまいがどうでもいいし、というのでそういう状態では個別ヲタの購買欲を掻き立てるのは難しいだろうし、ヲタ離れはどうしようもないだろう。もちろん「一般層」なんてCD買わないだろうから、売り上げが苦しいのはどうしようもないが、それは娘。の構造的な問題というしかない。

アイドルにもストーリーを必要とするアイドルと、存在だけでよいアイドルがいるが、そしてストーリーを必要とするのが近代的というべきだが、娘。はその当初より近代的アイドルであったわけで、ストーリーを失ったままなんら新しいストーリーをつむげない娘。がジリ貧になるのは至極当然だし、そうなればもはや娘。が松浦の後塵を拝するのも仕方のないことだ。結局娘。ヲタなんてものは大きな物語にしがみ続ける懐古主義者でしかないのだ。

(2003年11月2日)

■それは反則

Mac周辺は相変わらず面白く、iBookG4が12万そこそこで出たり、OSXがバージョンアップしたり、沈滞しているWindowsサイドから見ていると結構うらやましい。というのでMacPowerとかいう雑誌を立ち読みしていたら、Dellの広告が入っていた。いくらなんでもDellさんよ、品がなさすぎなんじゃないの?さらにMacPower編集部さんよ、いくらなんでも貧しすぎなんじゃないの。

(2003年11月2日)

■病める人たち

さしあたりニュースで、あまり気分がよくないのが、中国で起こったという「事件」。留学生と日本人教師が「卑猥な」寸劇をやったということでのデモ騒ぎ。デマの伝播の恐ろしさを感じる。もちろん「日本人たち」も迂闊だとは思わないでもないが、しかしあることないこと述べ立てて、扇動するのは、他の事のフラストレーションの解消でしかあるまい。一方で日本ではあいも変わらない馬鹿が中国を侮蔑し、挑発する発言を続ける。病んでいるのは*私*であってほかの誰でもないのに。

(2003年11月2日)

■息苦しい

更新が滞っているのは、お仕事のせいもあるがそれ以上に一日中暇さえあればT40を愛でているからだったりする。すばらしいツールを手に入れたのだから、それを使って作業すればいいのに、ひたすら道具を愛でる。フェティシズムだな。「人間」に期待するものがない今、ただただ道具が愛しい。ええ、異常ですよ。ヒッキーですよ。

もうひとつ更新が滞るのは、仕事でHTML書くことが多すぎて、プライベートまでHTMLを見たくなくなってきた、というのがある。テキストサイト見ていると結構スクリプト動かしているところが多いみたいだが、私のようなに何も考えずに大手プロバイダー上でサイト公開していると、そんなまねはできない。といって「ホームページ作成ソフト」は嫌いなので、そんなくだらない理由で更新が滞る。

看護学校が終わり、試験問題も提出し、一息つくかと思ったら、早速採点依頼。それは計算のうちだったが、模範解答を示せ、と来た。そんなの初めて。というか、論述問題の模範解答を教師が書かなければいけないのか。考えてみればそういうものだが、初めてなだけに理不尽な感情がこみ上げる。どんどん世の「仕事」は制度としてきちんとしていることが要求される。正しいことだが、息苦しいことだ。

(2003年11月2日)

■一歩前進二歩後退

2ヶ月続けての学会出席で結構勉強モードになったはずなのに、またもとの木阿弥。学会でいろいろ考えたはずの内容などすっかり飛んでしまう。ドロシースミスよまなきゃ、とかガーフィンケルのあの論文読もうとか、私の報告について、いろいろアドバイスいただいたところをぼちぼちつめて論文書くかとか、いろいろ考えていたはずなのに。

今日はおうちにこもって看護学校の試験問題を作成。社会学会のHIVについての報告が参考になる。例年になくいい問題と自賛。

あとは件のお仕事に忙殺。時給は安いがおうちでできるところは結構おいしい。ドサクサにたまっていたビデオを消化。プロジェクトXの「トロン」の回。なるほどこの番組、いかにも泣かせるつくりになっている。Windowsなんて消し去ってT40にトロンを入れたくなる衝動に見舞われるが、もちろんそんなことはできない。せいぜい使いもしない携帯電話を愛でることにする。パソコンより携帯、ダネ。

(2003年10月21日)

■一時の気の迷いです

更新頻度が増すといいながら、全然そうはなっていない。これまでどおり仕事をしているし。

雇用条件というものは、もちろんべたべたな物質的基盤を持つが、男女差というものは、それとは異次元の、しかしこれまた確実な権力性を帯びたもののようだ。

先週の「一件」、それはおのおのの立場を超えて、何らかの*事件*であったはずで、当事者にとってそれは簡単にはぬぐいがたい刻印を残したはずだ。直接の当事者の二人が双方とも「やめる」という言葉を口にしたということ、それはその場の感情とか雰囲気で出た言葉ではあるまい。なのにそれはなかったことになる。

私は荷物を大方引き払い、いきなり辞めるわけにもいかないので、己の今後のかかわり方を、仕事の範囲の縮小を正式に申し入れた。なのにそれはまったくなかったことになり、仕事が当たり前のように割り振られる。「彼女」が取り乱したのは一時の気の迷いであって、それは「事件」ではなかったのだ。何も変わらないし、何も変わる必要などない。彼女は錯乱しただけなのだから、ちょっと時間を置けば元通りだ。

私は知っている。私は彼女の仕事を明確に否定したのであって、それに対する抵抗を彼女はしたのである。いずれが権力を行使したのか、という問いとは別に、それを彼女の「取り乱し」は明るみに出しえたはずだったのに、それは日常の仕事の山の中に埋葬される。

(2003年10月19日)

■二日目

午前。またまた性・ジェンダー部会に出る。やはり「見たことのある人」を多数発見。狭い世界だ。

報告で興味があったのは一点、田中美津の女性の「取り乱し」に関する考察を再考しようという報告。われながらタイムリーな話題だ。

男性中心的なロジックにおいて女性は己の存在の危機にさらされる。そのとき己の存在を承認する過程として「取り乱し」を置く。

「女性の経験」とか「女性の論理」というものを措定する場合、とてもよくわかる。が、一方でそれでよいのか?という疑問も頭に浮かぶ。世のさまざまな(とりわけ「仕事」にかかわる)論理が男性中心主義によって成り立っている、という前提をわれわれはどの次元において承認しなければならないのだろう。学的なフェミニズムのそれこそ男性的なロジックとしてそういう論理構成はとてもよく理解できるのだが、実際仕事をする立場としての「経験」からすれば、そのロジックを考慮しての行動は、「女性を一人前として認めない」というような価値判断以外のどこに帰着させうるのか。世の多くの仕事が「男性の論理」で動いているとするならば、その「現実」下においては女性はその限りにおける「仕事」には向かない、という帰結になるだけではないか。仕事のあり方、世のロジックのあり方そのものの変革、というのはどう考えても、今現実に仕事をしている場面において容易に受け入れられるはずもないのだ。

まして私の立場は二重の意味合いを持っている。確かに私は「男性」だが一方で非正規労働者としてもそこにいる。だから私の「経験」は二通りの物語において記述することが可能なのだ。

A 非正規労働者である私が正規労働者(社員)の仕事のやり方に異議申し立てをしたら、「キレ」られて、非正規労働者として立場がなくなった。

B とある女性の仕事のやり方に対して男性である私が仕事のやり方にけちをつけたら、その女性が「取り乱」した。

この二つの物語、いずれもそれなりの妥当性を持っており、しかしその切り出し方によって「学」的な評価は大きくぶれる。しかしまた思うのは、実際の仕事の場においてこの状況が理解されたのはAの文脈であったというのは確かであり、なるほどその現実にこそフェミニズムの主張する差別が生起している、というべきなのかもしれない。

さらにまたAの解釈に「女性」性を付与する物語も成立する。その現場に居合わせた私と同じ立場の男性が漏らした感想に、「言いたくはないけど、ああいう反応はやはり女性だと感じた」というものがあった。この語りの逡巡とともにしかし名指しされた「女性」性はやはり考察するに値する。

  1. 仕事における「取り乱す」という行為は、日常生活者のレベルではしばしば「女性」に属するものと語られるということ。
  2. 上記の「事実」(語られるという事実)において見られる「女性」性を肯定的なものとするのは、日常生活のレベルではとても困難だということ。

この2点においてフェミニズムの反応は大きく分かれる可能性がある。それならばこそ、こうした女性の経験を肯定的に語りなおさなければならない、という主張がある一方で、それを上記の経験を「女性的である」と感じるその感じ方をこそ、問題にすべきだ(「取り乱し」には否定的な価値を保持した上で、「取り乱すのは女性だ」という常識を疑う)という主張もありうるだろう。そして多くの学的女性フェミニストが、主張としてではなく、実践のレベルで採択するのは多くの場合後者なのである。すなわち女性研究者は取り乱してはならない。女性がアカデミズム的な論理において男性に劣るなどということはない。これが女性研究者の実践レベルにおける「経験」のはずだ。その同じ実践を、プロとして仕事をしている学以外の場に敷衍することは不当だろうか。

もちろん男性たる「私」が反省すべき点は明確にある。「彼女」を「取り乱」させた直接の引き金となったのは「彼女」のメールに対して私が反発して逐一テキストクリティークを行ったメールであった。確かに「一般人」相手にそんなことをやれば相手は傷つく。そういえばある女性研究者からアメリカのエスノメソドロジーをやっている院生は東洋人・女性に対する態度は差別的だ、という訴えを聞いたことがある。フェミニズムでも多く取り入れられているテキストクリティークという手法はしかし、すぐれて「男性的」なロジックをベースにおいているものなのかもしれない。しかしまた「社員」と「バイト」という立場性の差を克服するための私の武器はこうしたロジックしかなかったのも事実だ。要するに何が権力で何が抵抗かがとても見えづらいのが現実なのだ。「取り乱し」も女性の抵抗のための武器ともいえる一方で、正社員なればこそ許された傲慢という解釈も成り立ちうるだろう。

午前中は「ジェンダー部会」を途中で抜け出して、差別部会に出る。その最後の報告、差別が差異をを生み出すという既存の差別論を抜け出て、差異が差別を生み出す、だから差異性をこそ問題にすべきだ、というような主張。言っている論理は理解できるが、えらいユートピアやな。私はやはり個別的な差異そしてそれに基づく差別意識があったとしても、それ自体を完全に破棄をすることを目指すより、そうした微細な差別意識が組織化され、あるいは暴発される可能性を言説のレベルで阻止する戦略を考えているので、つまり差別なるものの完全廃絶なんて理想はあまりまじめに考えていないので、やはり差別が差異に先行するというロジックを支持する。

午後。シンポジウム。「差異・差別・起源・装置」というテーマ。竹村和子さん、加藤秀一さんが目当て。予想通り、というか、この学会で初めてアルチュセールの名前を聞く。別に私がことさらにジェンダー・セクシュアリティ論にかかわる積極的な理由はないが、アルチュセールとかがまともに語られるのがこの場なのだから、仕方がない。

竹村さん、プレゼン下手すぎ。報告要旨集はほとんど何も書かず、当日配布資料もなく、いきなり口頭で論文みたいなのを読み上げられても理解できるはずもない。資料を配るか、あるいはもっと「やわらかい」内容にするか、どっちかにしないとたぶん聴衆のほとんどが理解できてなかった。加藤さんの「生まれないほうがよかったという思想について」は話はそれなりに面白かったのだけれど、テーマとのかかわりがいまいちぴんと来なかった。全体として面白くなくもなかったが、期待したほどでもなかった、という感じ。

まあ、そんなこんなで先月の「教育社会学会」に続いてしっかり学会を満喫しました。この2ヶ月の支出をまともに計算するのは結構いやだけれど。というか今後収入が減るのに、大丈夫かいな。おまけに先のことをわかっていながらT40なんて買い込むし。

ちなみにT40は、やはり、むちゃくちゃ快適。こいつがあればどこでだってどんな仕事だってできる気がする。少なくとも出先でがんがんサイト更新準備ができるだろう、と期待する。問題は「出先」でする仕事が今後大幅に減ることだ。世の中、うまくいかない。

(2003年10月13日)

大久保

京王新宿から大久保への行き方に迷い、さんざん歩いていい加減疲れた西大久保で、いかにもぼろそうなホテルを発見。さぞかし安かろうとチェックインすると7000円だといわれる。いまさらやめられず7000円払う。部屋は見かけどおり小汚く、しかしとても広い。ベッドもダブルで通用する。風呂場もしっかり洗い場が確保されている。

このホテル、ホテル名も、部屋の説明書きもハングルが書いてある。もしかしてこれが韓国風なのか。日本人向けだったら同じ値段を払えば小奇麗に、しかしもっと狭かっただろう。もっとも、小奇麗でなくても、部屋がこんなに広くなくてもよいので5000円台にしてほしかったのだが。

部屋のテレビは有料のビデオ放送があるが、しかし備え付けでアダルトビデオが一本おいてあるというのも妙なサービスだ。しかし普通のホテルならありそうなティーバッグのサービスはない。有料の飲み物が入るはずの冷蔵庫がソファーにはさまれて扉が開かない。たぶん中身は空だろう。その代わり通常料金(一本120円)の自販機が廊下にある。さらに冷蔵庫の上に冷凍庫がおいてあって、こちらにはペットボトルの水が冷やしてあるが、飲んでよいものか、そもそもいつ入れられたものか、判然としない。いろいろ不思議な感じ。

ついでにこのホテルのテレビ、NHKはどうしたわけかチャンネルを回しても出てこない。これまた不思議な話。

ホテルの近くは韓国人向けの店ばかり。CD屋を覗いてみたらみごと韓国のCDばかり並んでいた。BOAしか知らなかった。夕食はその中の韓国料理屋に入る。ラーメン700円+ビール500円はこれまたちょっと高め。しかしラーメンに前菜がつく。キムチどっさりにちょっとした炒め物。小魚の甘露煮。料金を支払うときの請求額が1100円。間違えようもないはずなのでそういうサービスなのだろう。安いのか高いのか、結局安いのである。

これだから大久保はやめられない。

(2003年10月12日)

社会学会一日目

午前。理論学説系は昔あったマルクス主義とかそんなのが全然なく、言説系もないのでいかがしたものか、と思って結局「HIV感染被害事件の検討」という部会に出る。看護学校ネタを期待、というよりエスノ系の山田富秋さんと好井裕明さんが報告者にいたので。

テーマからしてそんなに理論的に凝った話をするはずもないが、特に山田さんの報告はそれなりに「らしく」て面白かった。全体に聞き取り調査の難しさを再認させられる内容。もちろん否定的な意味でなく。

午後。ジェンダー部会。

ガーフィンケルの報告が二本。ガーフィンケル評価には違いあれど、いずれも言語化されざる「性別」をエスノを手がかりに捉えようとする試み。停滞気味といい続けてきたエスノの議論にしては進歩を感じる。ガーフィンケルの真意みたいなところで討論は進んだが、それはどうでもよいだろう。

ドロシー・スミスの報告。ドロシー・スミスはかつて来日した際の講演を聴いたことがある。マルクス主義とエスノメソドロジーとフェミニズムを統合したすごい人とか言う触れ込みでみな期待していたが、当たり前の会話を当たり前になぞっただけの報告で、詐欺だとか散々くさしたことがあった。後で名前を聞くとやはりひとかどに人らしく、要するにあの時は本人がやる気がなかったか、聴衆のレベルを低く見積もったのか、どちらかだったのだろう。

報告自体は、たぶん常識的な、その分面白くないドロシー・スミス解釈。「女性」の言語化されざる立場性を「経験」より救出しようという感じの読み。ありうべき方向性だし、スミスの流布しているイメージからはそんな感じのことを言っていそうだが、多分もう少しひねりが必要。

「田中真紀子の涙」についての新聞報道を分析した報告。想像していたとおりありきたりの報告だった。しかしそれを聴衆はともかく司会者(女性)までもが論理の詰めの甘さを追及していたのはいかがなものか。報告者(女性)はいかにも一般的な「女性」イメージにふさわしく、論理よりも感性に走り、司会者ともどもそれにいかにも「男性」的に突っ込みを入れる。これを「男性」「女性」に振り分ける感覚こそ、ジェンダー論が批判すべきものだ、という主張は多分正しいのだが、それで押し通すと*今現在は*多分多くの女性の「経験」が抑圧される。

翻ってみれば私と件のあほとのいざこざも、多分そこに帰着する。私は純仕事上の論理で相手をあほといったはずだが、それはあからさまに男性的な論理だったのだろう。学会ではそれでも切れたら切れたやつが抹殺されるだけだが、普通の世の中、切れればそれはそれで「女」が通用する。責任は切れさせた「男」が負うものだ。何が公正なのか、何が差別なのか、わからなくなる。

ちなみにこの部会、上の山田さん、好井さんとあと中河さんなどそっち系の人が集結。内輪すぎるぜ、と思いつつ、エスノ・構築主義のなんだかんだ言っての根強さを実感。アルチュセールな報告なんて全然ないし、アルチュセールな「有名人」もいない。

(2003年10月12日)

社会学会前夜、ノートPC新調

更新をサボっている間に突然東京(中央大学)で開催中の社会学会に来ている。といっても更新するときはまた京都に戻ってきているときなのだが。

社会学会が朝一なので、今度はせっかくの東京秋葉原でも見たいものだと思い、一日前より東京入り。開催場所は八王子多摩と都心から離れているが、ホテルの確保などが心配なこともあって、そこから30分以上もかかる新宿のカプセルホテルに宿を取る。新宿・大久保は私が東京に行くときの常宿となっている。宿泊代などの値段が安く、飯屋も多く、いろいろ安心。もっとも新宿と大久保とはこれまたずいぶん街の様子が違い、私は大久保のほうが好みだったりする。今回は大久保の目当ての宿が満室で、仕方なく新宿のカプセルに止まることになる。

カプセルホテルの共有スペースを占拠して使っているパソコンは、今日秋葉原で衝動買いしたT40 92J。液晶の解像度がSXGA+のモデル。衝動買いといっても、もともとKAKAKU.COMで価格動向をずっとチェックしていた。T41が気になっていたが、いざ発表になってみるとそれほど大した差がなく、なら値段が下がった今だと(実際にはT41が発売されればもっと下がるのはわかっているが)KAKAKU.COMに出ていた店の中から秋葉原で店頭売りしている店を選んで買い込んでしまった。T41は最初からSXGA+モデルの廉価版が結構な安値で出ることはわかっているが、それでも値段的に今のT40程度。そしてその廉価モデルならT40のほうがスペックが若干上(HDD容量とBlueTooth、無線LANの仕様)。それなら今安いT40を買うのがよい。

ファーストインプレ。液晶は文句なくよい。普段使っているデスクトップよりも解像度は大きく、しかも想像していたよりもドットが細かすぎず、とても快適。ただキーボードが少し重すぎて、いまだ少しフィーリングがあわない。あと問題はPentiumMのくせに変なところで動作に引っ掛かりがあって、X20ほどスムーズには、今のところ使えていない。

ちなみに今回は、何かのときに使おうと思ってX20も持参してきてしまったので、無駄に2台のパソコンを持ち歩いている。

京都に帰って学会批評とともに一気にUPする予定。下の事情によって、更新頻度は上がるものと思う。

(2003年10月11日)

教訓

教訓を得た。あほを馬鹿にすると痛い目にあう。

職場にあほなやつがいたのであんたあほですか、と言外にメッセージを送りつづけたら、突然切れられた。まあ、しゃーない。

あほが切れると見境なくて、自分の立場とか他者からの評価とか一切気にせず切れまくるので、やはり切れられたこちらも巻き添えを食らうのでとても厄介なのだ。

なんだかあほをこれ以上相手にするのがいやになって、あほがやめる気もないくせに仕事やめるとか言うので、それならこっちが辞めると言った。まあ、向こうは正社員だしな。こんなレベルでけんかしてしまっては勝てない。

一応取り繕っておくと、「あほですか」といったのは、そのあほが仕事とられたとか泣き言言うから、自分の力で取り返して見せるぐらいの気概見せろよ、もっと成長しろよ、というとても前向きなメッセージが内包されていたのだが、そんなのは伝わらずに単にくだらない自尊心だけを傷つけたようだ。まあそういうものだろう。

もともとこっちは部外者だし、首になったわけでもないし、まだ仕事は残っているので完全にやめるわけにもいかないのだが、少しは研究なるものに時間を割くぐらいの余裕は出るはずだ。そうならないと自分で何をやっているのかわからない。

一点、さすがに切れることによって少しは自分のあほさをいやおうでも自覚したはずで、自覚のないあほが世の中から一人減ったというのは功績としてはなかなかのものではなかろうか、というのは強がりが過ぎるか。

更新していなかったのはそういうのでぐだぐだしていたから、もある。で、私なりに決着をつけたので、更新を開始。

(2003年10月10日)

★引き続き合併号

(-2003/09/28)



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