重層的非決定

モーニング娘。
L. Althusser
No.18
2003/02/1-2003/02/28

★白い日・空白の日

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■いまさらながら

いまさらここに書くのもおかしな話で、よくは分からないがここの読者傾向からしてもますますいまさらもいいところだが、どうにも腹が立って仕方がないので書く。

イラク攻撃の是非、是非だとか議論だとかの水準じゃなくて、端的に知性の有無の問題でしかない。何を何処からどう読んでも、戦争というのは多くの傷跡を残す。9.11だかなんだかのテロ被害と規模において比較にならない傷跡を残す。そのことに、ほんの一片の思慮もせずに、己のテロ被害への恐怖だけをわめく。完全に知性が欠落している。

なんて事をいまさら書いても仕方がないわけで、アメリカのブッシュだとかいう馬鹿とか、イギリスの、誰だっけ、なぜか度忘れしたのだが、思い出す価値もないし、記憶からもその存在自体も消し去られるべき人物なので、あえて思い出さないようにしているので、多分なかなか思い出さないが、その首相だかなんだかとか、そいつらの顔を思い起こせば(といってもイギリスの某は顔も思い出さないのだが)、それこそ知性のかけらもないことなど、普通の感性を持っていれば分かることだ。本当にいまさらながら、なのだが。

(2003年2月25日)

■Opera便り

何か変だと思っていたが、やはりOperaの最新バージョン7にはバグがあるらしい。バグといってもセキュリティホールの類ではないので、そんなにやばい話ではないのだが、日本語処理に問題あり。全角の空白を無視することがあるというのはまあ、いいとして、画面のテキストコピーに難がある。やってもやっても文字がうまくコピーされないのでおかしいな、とは思っていたのだが、2バイト文字をうまく制御できていないとのこと。

ついでにAppleが自社でブラウザを開発したからといってOperaのMacOSX版をリリースしないとか、妙に気弱なのも気になる。タブブラウザでもないSafariとOperaとでは対して競合はするまいに。私がMacを買ったらOperaにしようと思っていたのに、がっくりだ。

(2003年2月25日)

■Happy Birth Day!

今のジジェクの主な批判対象は政治的なシニシズムにある、ということがはっきりしてきた。そしてそれは日本の今の現状への批判としても見事に通用する。しかしそれを前述の北田のように「建前」の限界性の結果と捉えてはならない。なぜならシニシストたちが依拠する「ロマン主義」とて最初から建前として存在し、そのことをかれらは*知って*いるからだ。かれらは「建前でないものの背後にホンモノがある」という建前を前提としているのだ。それゆえ例えばかれらの背後になにものかが存在していることを暴き立てても、それはさして意味はない。むしろ逆に*われわれ*のほうこそが己の背後に何かが存在していること、それに無様なまでにも執着しきること。シニシズムに対抗する戦略はそこにおいてないのではないか、などとちょっと考えたりしている。

というわけで、斜に構えたりせずに思いっきり叫ぼう。お誕生日おめでとう!

(2003年2月25日)

■壇ノ浦

モーニング娘。が終わっていく。もちろんカバー曲「ひょっこりひょうたん島」が原因ではないし、第6期増員が原因でもなければ、「さくら」「おとめ」分裂が原因でもない。

モーニング娘。を支えたのはそれのもつ二重的な構造にある。一方でモーヲタと呼ばれる狭くも深いファン集団。そして他方でメンバー個別に認識もままならないが、それでもそれなりに好意的に見て、カラオケなどで曲を歌ったりする「浮動票」。モーニング娘。という元来は隠微なオタクアイドルが「全国制覇」をなしたのは、もちろんアイドルオタクの勝利などではなくて、こうした別の論理を引き込めばこそであった。そしてそうなってもなお、オタク集団を温存したところにモーニング娘。の強さがある。この二重性は、例えば後藤真希の愛称に表象されている。ゴマキとして世間に知られた彼女は、しかしオタクたちには、そうは呼ばれない。彼女はごっつぁんなのだ。こうしてオタクたちの自己執行的なカテゴリー世界をモーニング娘。は抱え込んできたのだ。

今や浮動票の衰退は火を見るより明らかである。しかし事の本質はそこにはない。こうした浮動票はもともと長期にわたって抱え込めるものではないが故にそれを「浮動票」と呼ぶのだ。そうではなくて、オタクたちのリビドーを「モーニング娘。」という存在につなぎとめておくことが出来なくなってきたこと、それがモーニング娘。の終焉を示しているのだ。

オタクたちは各々の「一押し」を持っている。そしてそれを担ぎ、押し立て、その「地位」を脅かすものを攻撃する。かれらは「一押し」とともに「モーニング娘。」の中でも覇権を争ってきた。不在の中心へ向けての吸引力。それが各々ばらばらの「押し」たちを一つの方向を向いたモーニング娘。につなぎとめてきたのだ。

いまやモーニング娘。には不在の中心はない。平板で均質な集団がそこにあるだけだ。「押し」たちはもはやモーニング娘。を見ない。ただ己の押しメンバーを見るだけだ。

少しずつ進行しつつあったこの状況を決定的なものにしたのはもちろん昨年冬のハロプロ大改変にあったことは間違いない。そしてその中でも一番重要な事項は、もちろん平家みちよのハロプロ卒業にあったことも。

(2003年2月22日)

■アリバイ

久々にサイトの感想メールをいただく。死にかかっているサイトへの励まし、勇気づけられる。アリバイ的にではあっても更新をしようと思う。

雨の中、本屋に注文してあった「女性・戦争・人権」を取りにいく。欲しいのはバトラー論文一本。それで2100円。割が合わない気もするが、そういうところではケチらない。アリバイ的であっても、それが「社会科学関係者」としての矜持(やせがまん)というものだ。

(2003年2月22日)

■某国憲法前文

日本国民は、米国の安全を念願し、日米相互の関係を支配する崇高な現実を深く自覚するのであって、正義を愛する米国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、安全を維持し、専制とテロル、後進と無知を地上から永遠に除去しようと努めてゐる「帝国」において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

(2003年2月19日)

■シニシズムの政治学

2月17日の朝日新聞の夕刊に筑波大の北田暁大さんがテレビによって涵養されたシニシズムと「政治的ロマン主義」(ニューライトに近い)との共犯関係を論じていた。ふむ、ジジェクだな。というのでジジェクのなぞりであることが全く書かれていないことを除けば、書いてある内容は結構面白い(ジジェクだし)。ヤラセを見せつけるテレビに慣れ、建前を振りかざす(朝日新聞のような)大マスコミを笑うシニカルさの背後には「建前でないもの」を渇望するナイーブなロマン主義が存在している。それが「民族」「現実路線」などのタームによって埋め合わされる。。。

ただ若干論理に飛躍(こじつけ)があって、テレビ→シニシズムの因果関係の存在はかなり怪しい。むしろ逆じゃないのか、と私は思う。戦後民主主義的なるもの(「建前」)への疑いが社会的に醸成されてきたときに「オレたちひょうきん族」は隆盛してきた。ビートたけしを中心とした「本音」の笑いが、弱者の立場といった建前を攻撃する。そこにはまず政治的なシニシズムが*先に*あって、それに見合う形で一方でテレビが、一方でニューライトが、その空白を埋めるものとして埋め合わせをしてきたのではないか。

何が違ってくるかというと、もちろん「闘争」への戦略だ。北田の主張は、畢竟言説のアーティキュレーションの次元の問題ということになる。テレビの提供するシニシズムとそこから行き着く「ロマン主義」との共謀には何ら必然的なものはなく、ただ不幸な結びつきがあったのだ。私は、メディア論や言説のアーティキュレーションの次元でこうした問題にアプローチできるとは今のところ考えていない。これらは問題の所在の徴候を教えてはくれる。しかし問題の構造は別にある。シニシズムは、もっとはじめから「政治的なもの」として存在していたはずであって、そのシニシズム隆盛の力学をテクニカルにではなく、政治的に読み解かねばならない。

(2003年2月18日)

■イデオロギーを突き崩すもの

昨日のような自虐的なネタはあまり書くものではない。というか、別に自虐的な気分でもなかったのだが、「お約束」ということで書いてしまった。世に五万とあるWeb日記の相当の数で同じような「お約束」が反復されている。もちろんそのような「お約束」の反復こそが「バレンタインイデオロギー」を組織しているのである。イデオロギーに屈服し、その手先になった私、万歳。

今日は大手パソコンショップに行って、PowerBookを見てきた。やはりiBookより断然物がいい。性能差がどうとか、それに対する値段差がどうとか、そういう問題を超越してPowerBookはよかった。買うならこっち、と心に決める。見事にAppleにのせられた私、万歳、といいたいが、高すぎて結局買えない、ダメじゃん。

(2003年2月15日)

■僕は此岸にいる

帰ってくるのが遅くなりました。いえね、チョコをもらったんですよ。しかも食事にも誘われちゃたんですよ。しかも同時に二人から。いやはや、参りました。どっちも断りきれなくて、時間差で相手していたら、遅くなっちゃった。

え、二人って誰のことだって?もちろんなっちとメロンの大谷さんに決まっているじゃないですか。

などという妄想はべつに抱いていません。職場で妙齢の、もとい老齢の、失礼、女性から義理チョコもらいました。これはたぶん妄想ではありません。

(2003年2月14日)

■タブロイド

多少忙しかろうが、テレビドラマのチェックは欠かさない。

今クール、半分すぎて、とりあえず一押しは「最後の弁護人」。よくある推理+法廷ものだが、とりあえず阿部寛と須藤理彩の、いかにも現実離れした演技がよい。似たようなのに木村拓哉主演の「HERO」というのもあったが、あれは木村拓哉にくささがないし、松たか子が全然なのでダメだった。そういえばあっちにも阿部寛は出ていたな。

一方、全然期待もしていないし、見る気もなかったが、なぜか数回見てしまったのが、真中瞳主演の「メッセージ」。真中瞳というのが全くぞっとしないし、始まる時間帯も変則なので、全く眼中になかった。

真中瞳演じる暴露雑誌記者と非情な編集長の宇崎竜童。真中瞳は思いのほか、悪くもなかった。よくもないけど。まあ、こういう役柄はとりあえず元気よくやっていれば、大根でも何とかなるものだ。ただやはり真中瞳はまったりしていて、暴露雑誌に「正義」を求めつづける馬鹿者を演じるだけのひたむきさが足りない。そして主役以上にたぶん重要な主役の「父」、宇崎竜童も顔とか雰囲気とかはよさげなのだが、やはり大根。主役が大根でもこっちがびしっと締めれば、それだけでずいぶんよくなるのだが。そもそも悪人ずらしていて、厳しそうだけど、本当の心根はやさしいかも、という設定がいまいちであって、むしろ普段は飄々としているけど、なんだかんだのうのうと冷淡で、でもやっぱり、、、という何回ひっくり返っているのかひっくり返っていないのか、というような微妙な役柄のほうが現代的な「父」像にも則していてよいだろう。

となれば、配役をいじりたくなってくるわけで、主演はひたむきな演技が出来る常盤貴子なんてどうだろう。編集長は、飄々とかっこいい佐藤浩一なんてぴったりだ。ついでに一話完結の物語の中にも、全体を通して登場する最大にスキャンダラスな取材対象が登場して「娘」を誘惑すれば、ずいぶんストーリーにふくらみが出てくるだろう。その男役には、悲しくも怪しげな目つきが出来る真田広之あたりがくれば最高だ。あれ?

(2003年2月12日)

■無題

なんと長いこと更新していなかったものよ。

いろいろ仕事が押し迫ってきて、どうも気分的に余裕がない。

「女性・戦争・人権」収録のバトラー論文を読みたいのだが、肝心の「女性・戦争・人権」が私が行く気のする大手の書店4店回って一冊も見つからない。理由あって2月中旬には入手したかったのだが、注文していては間に合うまい。それでがっくり来て、不貞寝モードに入る。それが先週の木曜日。

金曜日に某アンケート調査の結果報告書の第一次締め切り。いろいろ訂正要求が入る。それはいいのだが、遅れて到着した回答分も集計に入れて欲しいと来た。向こうにしてみれば、ちょっとデータに10分の1ほど足せばよいだけ、と気楽に言ってくるのだろうが、こちらにしてみればほとんど分析のやり直し要求に等しい。追加分だけ分析を補足する、などという性質のものではなく、追加分のデータを合わせて、全データをいじりなおさなければならない。その締め切りが明日か水曜日まで。忙しい。

なのに貴重な土曜日は一日寝て暮らす。PopJamスペシャルでモーニング娘。のひょっこりひょうたん島を聞く。期待していたほどインパクトがない。モーヲタがなげくほど悪くないだろう、案外楽しげな仕上がりになるだろうと期待していたが、曲自体はモーニング娘。に合っていると思うのだが、いまいちパンチが足りない。

もっとも今はモーニング娘。よりメロン記念日のほうが気になる。なっちヲタというのはロリコンと思われやしないかというので、「真の」好みは大谷だと宣言しようと思っていたが、年齢を確認してみると大谷のほうがなっちより年下だった。

(2003年2月9日)

■くだらなくて笑える メール届かない

私は「情報機器」の中で携帯電話というのを侮蔑していた。いや、侮蔑というこちらが上にたったような物言いは、客観的には多分、正しくない。ただ私にとっては全く使えない機器であった。その機器が「有用」なものであるためには通信費がかかる。情報は自らの手に留まらず、常に流れつづけて役に立つ機器。自らの手によって生産される情報は断片的なものに留まり、流通は「やつら」=システムの掌中にある。そうして麻薬のごとく金を吸い取られつづける。そして後には何も残らない。

新しい携帯端末を手にして、己の過ちに気付いた。カレンダーに己の予定を書き込む。アドレス帳に知り合いの連絡先を書き込む。そうした作業がとても快適に出来る。PIMとして十分使える。また使っていて楽しい。かつての侮蔑は、単に私の都合を携帯電話に押し付けていただけなのだ。

そうして登録された予定、100件登録可能で12件。アドレス帳、500件登録可能で7件。ついでに受信履歴、なし。発信履歴、自宅に接続確認のため、1件。

なるほど、私は携帯を憎むわけだ。でも今はとても愛いやつだと思っているのだ。引きこもり人間の携帯一人遊び。そうそう、「通話ランキング」なんて機能もあったりして、発信着信あわせた総合順位、第一位は−1000点、「自宅」。パチパチ。とても楽しい。

(2003年2月3日)

■過去は一瞬に過ぎ去り

先日入手したが、自伝はなあ、などとわけのわからない理由で「興味がない」などといったアルチュセール自伝『未来は長く続く』、とてもすばらしいもののようだ。というのが今日の朝日新聞の書評を読んで分かった。大哲学者の書く壮大なる大河ミステリー、ラカン派精神分析の知見がちりばめられた心理もの、というとちょっと安っぽいか。ともかくとても切なく、かつ壮絶な物語であるようだ。ぱらぱらめくっただけでも、文章力が(翻訳で読んでいるんだけど)ずば抜けているので、とても緊張感のあるテクストになっている。

というので、今度は安易には読まじ、と大事に大事に温存しそうだ。というので、積どく状態からなかなか抜け出せないのだが、まあ、仕事の合間にでもじっくり読むことにする。しばらくはこれが生きる楽しみ、かな。

(2003年2月2日)

■この娘がいいねと僕が言ったから

後藤真希加入以前のモーニング娘。は安倍の一人舞台であった。もちろんその代償としてタンポポというユニットがあって、表に出られないメンバーおよびそのファンの不満の捌け口となってはいたのだが、それでも安倍へのバッシングというのは、ネット上では、どうにもとまらないものがあった。歌が下手なくせになんでいつもメインなのか、もっと歌えるメンバーに歌わせるべきだ。

そのころは、「そんなこといったってそりゃ、なっちがセンターじゃなきゃ、ピンとこないっしょ」と全く共感しなかったが、今にして思う。別に「アーティスト」でなくてもよいが、少なくともヘタでない人間が歌うべきだ。テレビはちょっと可愛いからといって一人だけ写しつづけるなんておろかだ。もっと他のメンバーに光を当てたほうが断然人気が出るのに。

もっと大谷さんを写しなさい。

(2003年2月1日)

■あう、あう

プロバイダに引き続き、携帯もディジタル方式廃止とかいうので、泣く泣く機種変更をした。私が持っているWindowsCE機(Telios)がディジタル方式にしか対応していないので、ぎりぎりまで渋っていたのだが、ついにauの圧力に屈する。So-netといい、AUといい、全くユーザ不在で勝手なことをしてくれる。あきれたのは携帯メールのアドレスが変更になるということだ。これで今まで使っていたメールアドレス二つがいずれも使えなくなる。

そうはいっても、さすがに気が引けるものはあったのだろう、取替え対象機種は結構新しい、無料ではまだ入手できない機種が入っている。携帯なんぞに金はかけたくない私が、そこそこ新しく、機能豊富な機種(A3015SA)を手に入れられた。携帯の機能なんて全く当てにしていなかったが、現物を見るとこれがなかなか。「カメラつき」はどうでもいいとして、カレンダー機能が結構充実している。私程度の貧弱なスケジュールならばこれ一本で対応できる。あと英和辞典。まあ、使える。

というようにWindowsCEのようにエラーは起こさないだろうし、それなりにいじりがいがあるし、これならPDAが売れなくなっても仕方がないな、といまさらながら思い知った。TronOS(だろうねえ?)の底力、恐るべし、である。

(2003年2月1日)

★引越し

(-2003/01/31)



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